大陸暦1971年――冷えた寝床
「本当に一人で大丈夫ですか?」
星還送が終わったあと、ユイさんが星教会の入口まで見送りにきてくれた。
「よろしければお家までお送りしますよ」
そう言う彼女の背後には、二人の星堂騎士が控えている。
星教会の門衛ではない。別の星堂騎士だ。この人たちは男女二人組で、星還送の最中も中庭の隅に立っていた。そして思い返してみれば、ユイさんが星教会に現れたときにも背後に付き従っていたように思う。おそらく彼女の護衛なのだろう。
「大丈夫です。そんなに遠くありませんから」
本当は近くなんてない。走っても一時間以上はかかる。でも家まで付いてこられるのは嫌だったから私は嘘をついた。……それに、道中の安全なんて、今の私にはどうでもよかった。
「いろいろと、ありがとうございました」
私は頭を下げる。ライナは助からなかったけれど、それでもすぐに星還してあげることができたのはこの人のお陰だ。そして、その費用までも彼女はいらないと言ってくれた。
それは明らかに星教が行なう慈悲活動以上の行為だ。
この人の、親切だ。
そこまでしてくれたのだから、たとえそんな気分でなかったとしても、人としてお礼を言わなければ失礼だろう。
「いえ。妹さんを助けてあげられなくてすみません」
ここに着いた時点で死んでいたのなら助けようもないのに、それなのにこの人はまるで自分の責任かのようにそう言った。その言動はやっぱり落ち着いていて表情の変化もほとんどない。けれど、真摯な気持ちだけは伝わってきた。
いい人、なのだなと思った。
そして思う。私がもう少し早く家に帰っていて、この人がもう少し早く星教会に訪れていたら、ライナは助かったのかな……と。
……そんなこと考えるだけ、無駄なのに。
「アルバ」
呼ばれて、下げていた視線をあげた。
「なにか困ったことがありましたらこちらの教会長、今日はいらっしゃいませんが女性のかたです。そのかたを通して頼ってください。彼女には修道士様から伝えておいていただきますから」
はい、とだけ答えて、私はその場を後にした。
*
通りに風が吹き抜けた。
そこにいる人たちの誰もが、寒さに反射的に身を縮める。
けれど、冷たいはずのその風を受けても、私の身体はなにも反応しなかった。
星教会を離れてからというもの、体も心もどこか、宙に浮いている。
自分の身体なのに、まるで自分のものではないような感覚を覚える。
痛みも寒さも疲労も、なにも感じない。
それでも足は、前へと進んでいた。
夜の明かりに照らされた舗装されていない道を、一歩一歩と前へ踏み出している。
私の意思とは関係なく、ざらざらと土の音を鳴らしながら歩いている。
その足取りは見るからに投げやりで、重い。
この辺りはまだ壁近に入ったばかりで、人通りがそこそこにある。
その誰もが私を見やると、目を逸らした。
すれ違った人たちも、私を大きく避けて通り過ぎていく。
その理由はすぐにわかった。
私の衣類についた血のせいだ。
私の右腕と右胸あたりには、もう乾ききったライナの血が付着している。
それを見かねたかのようにユイさんが星還送の前に着替えを用意してくれたりはしたけれど、私はそれを断った。
これは、ライナが苦しんだ痕跡だ。
だから自分でも見るのは正直、辛い。
でも、それ以上に、ライナが最後まで私の腕の中にいた証でもある。
だから……脱ぐことはできなかった。
脱ぎたく、なかった。
それからずっと歩きつづけて、家へと辿り着いた。
玄関の扉に手をかけると、鍵は開いていた。
ライナを抱えて飛び出したので、かける余裕がなかったためだ。
扉を開けて中に入る。ざっと玄関から室内を見渡す。どうやら荒らされた様子はない。空き巣などは入っていないようだ。……まぁ、こんなところに入ったところで、家に金目のものなんてないのだけれど。
室内に足を踏み入れる。足と視線は自然と厨房へと向く。
厨房のそばの床にはまだ、血だまりが残っている。
私は厨房に置いているタオルを手に取ると、血だまりのそばに両膝をついた。
血は大分、変色して木の板の床に染みこんでいる。
それを拭いてみるも、床に染みこんだ部分までは取れない。
早々にそこを綺麗にするのは諦めて、今度は厨房など周辺に飛び散った血を拭く。
そうして一通り拭き終わると、タライに水を入れて血を含んだタオルを洗った。それが済んでから自分の手も洗う。
そのときふと、厨房の端に置いている籠が目に入った。
その中にはパンが入っている。
……そう、ライナが朝に食べなかったパンが。
今日の夜、私と一緒に食べると言っていたパンが。
そして明日の朝、ライナが半分こしようと言っていたパンが。
……こんなことになるのなら、無理にでも食べさせればよかった。
いや……無理やりだとあの子は絶対に食べないから、一緒に食べればよかった。
夜に置いておくなんてせずに、朝に二人で食べればよかった。
そうしていれば、少なくともあの子はいつもよりお腹を空かせてはいなかったはずだ。
きっといつもよりお腹を空かせて、私を待っていたのだ。
そんな状態で……あの子は……。
私は洗った手も拭かずに二階の子供部屋へと向かった。
その途中、父さんの部屋の中を覗ったけど、いないようだった。
子供部屋に入ると、そのままベッドに寝転んで毛布にくるまる。
そこでやっと感覚を取り戻したかのように、寒さで体が震えた。
そして気づく。
そこにいつもあった、温もりがないことに。
――あたためておいたよ。
脳裏に浮かんだその声に、その笑顔に、胸が強く締め付けられた。
唇からは嗚咽が漏れ出て、目からは涙が溢れ出す。
それはこれまで堰き止められていたかのように、あとからあとから流れ出て止まらない。
胸の奥から溢れる感情に震える身体を、私は抱きしめた。
身体を丸くして、ライナの血がついた腕を掴む。
「……っ……ライナ……ライナ」
守れなかった。
たった一人の妹を。
私は……守れなかった。




