必要悪
戦争と言うものが必要悪である以上、そこに携わる兵器もまた同様に必要悪であると言える。つまり、零戦もそうした流れの中で生じた必要悪なのである。
必要悪とは読んで字の如く必要な悪いものである。世の中には、こうした必要悪が存在する事は承知の通りで善きものばかりで世の中は回っている訳では無い。
戦争を防ぐ術を人間が持たない以上、兵器開発は必要悪になってしまう。例え何万人、何百万人を殺す事の出来る兵器であっても、である。
正当防衛と言う概念があるが、国家防衛における"それ"は、兵器を開発し運用する事にある。軍事力の強化は、その延長線上にあり、本来ならば制限されるべきものではない。軍拡の流れが日本人は鈍いと言うだけの事であり、軍縮をすれば平和に成ると考える事は浅はかである。
第二次世界大戦の時の世界の流れは、まず間違いなく軍拡の過渡期であり、その流れは東西冷戦終結まで続いていく事になる。人間は戦争=悪であると考えているが、そんなものは性善説に過ぎない。戦争=悪なのではなく、人間の本質=悪なのである。だから戦争=必要悪と言う図式が成立するし、兵器も必要悪であると言えるのだ。
零戦もそんな必要悪の一つでしかなかった。稀代の名機も時代の寵児であり、必要悪でしかない。そんな事を言う人間は希少種かもしれない。結局、核兵器も零戦も同質のものなのである。




