老兵
ベテラン搭乗員の数は目に見えるように減って行った。「老兵は座して死を待たず」とは、この事だろう。空里も徴兵から2年余り。すっかり部隊のベテランとまでは行かないが、新兵では無くなっていた。
空里の同期もどんどん死んで行く中、空里は米軍を憎まず、戦争そのものを憎んだ。この違和感は、拭いさる事は出来なかった。そして、今度は自分の番かもしれない。
幸いにも自分には許嫁も子供もいない。自分が死ぬ事に対しては何とも思わないが、それでも少しは死ぬ事は恐い。いざ自分の番となると、それが増す。未来への心配はなかったのだが、人並みの幸せを謳歌したいという気持ちはあった。
だが、ここで逃げる事は出来なかった。零戦での特攻だ。迷わず目標に突入する事無く、その辺の無人島に不時着して生き延びると言う荒業も無くはない。しかし、逃げる事はこれまでに死んで行った人間に対する裏切りであり、士道に反する冒涜である。
人生20数年の若者でも、それ位の事は分かる。戦争の勝敗は既に決していて、日本軍にとっては、負け戦である。最早戦争の行く末には興味がない。ただ一つ興味があるとすれば、己の死に方位のものである。命は一つ。そのたった一つの命をかけるなら、やはり一矢報いてやろうと思うのが、武士の一分である。
老兵であろうと、新兵であろうと、犬死にだけはしたくない。そう言うプライドや心があった。勝つか負けるか、そんな事は末端の兵士には関係無い。ただ、与えられた命令を遂行するのみである。特攻もその例外では無いだろう。




