絶対国防圏
大日本帝国の戦争戦略は、絶対国防圏と言う広大な世界地図の線引きにより、実行される事になる。
絶対国防圏と言うのは、簡単に言ってしまえば日本の防衛の為、落とせない要所をエリア広く線引きしたものである。策定は大本営が全て執り行っている。
戦争において、日本軍が勝ち進めば進むほど絶対国防圏は拡大していた。逆に太平洋戦争後半は日本軍が敗退を繰り返すと、絶対国防圏は縮小して行った。
勿論、絶対国防圏が上げ下げしても、日本軍の戦略自体は大きく変わる事は無かった。絶対国防圏の存在意義は、結局の所指導者層の意思決定によるものでしかなく、大日本帝国の独善性がクローズアップされてしまう様なものでしかなかった。
絶対国防圏構想は、最終的には沖縄に米軍の進行を許す頃には、絶対国防圏は脆くも崩れ去ってしまう。本来ならば絶対国防圏を策定してから、戦力を配置して必要な装備や、施設を整えるのが常道であるだろう。
日本軍の敗退の原因は、そうしたセオリーを無視して、場当たり的な対応をしてしまった事にある。勿論、米軍に勝てなかったのは、そう言った戦略的な未熟さだけでは戦争ないだろう。
しかしながら、日本軍が米国に勝てなかったのは、人的な要因がそのほとんどを占める。太平洋戦争後半、後手後手になってしまった戦略に加えて、物資の体力差が追い討ちをかけてしまった。それらが総合的に合わさり、日本の敗因になったと言える。




