突助の現場
日本海軍では、現場や最前線に出る下級兵士の事を"突助"と呼ぶ。突助の主な役目は、体を張って文字通り敵に突撃すると言う至ってシンプルなものである。無論、命の危険はどの職種よりも高く、命を落とした兵士も少なくはない。
航空機乗りとてそれは同じ事である。大抵の場合が、海軍兵学校出のエリートを飛行隊長とし、4機編隊でベテラン下士官や下級兵士(突助)が続くものである。
突助の現場は想像以上にハードである。生き残る為にはリファイン(洗練)された飛行技術が必要であり、下手をすれば待つのは死だ。突助にとって頼りになるのは、己の腕だけである。完全な成果主義だ。空に出れば突助だろうが、ベテラン下士官であろうがエリート飛行隊長であろうが関係無い。戦場に出れば生きるか死ぬか。それを決めるのは実力である。
少なくとも、開戦から2~3年の間では、零戦のスペックは、米軍航空機のスペックを上回っていた。戦いとは、回数を重ねただけ強くなる。戦闘のプロになるには、いくつもの修羅場を乗り越えねばならない。
将棋で歩兵が敵陣三マス以内に入ると金将になれるように、突助も生き残る事が出来れば強くはなれる。出世は望み薄だが、日本海軍航空隊の屋台骨は突助の成長が支えていた事は言うまでもない。勿論、その分多くの戦死者を出した事実がある。いずれにせよ、日本が4年も米国と戦えたのは、突助なる下級兵士の奮戦がそこにあったからである。




