横須賀海軍航空隊へ
「優勝劣敗、適者生存」
そんな理念を掲げる日本海軍航空隊最期の砦である"横空"通称横須賀海軍航空隊に空里は、配属された。大日本帝国の防衛ラインは、外へ外へと広がって行ったが、緒戦の敗北により、日本本土防衛がやっと、と言う厳しい状況に追い込まれていた。
熟練のパイロットはもうほとんどおらず、大日本帝国防衛にいる手持ちの駒は学徒動員で戦線に派遣された学徒兵と赤紙によって召集された徴集兵のみであった。彼等が航空機の操縦法を知るはずもなく、戦闘機があっても、飛ばせない状況であり、最低限の訓練は必要不可欠であった。
その訓練の厳しさは想像を絶するものであったが、彼等は耐えた。大日本帝国防衛の為、大日本帝国が亡国化するのを知っており、音を上げなかったのである。負け犬になるつもりはない。そんな瀬戸際であった。それは教官が耳タコで彼等に教えていたからである。
空里は、軍隊がここまで厳しいとは思っていなかった。厳しく理不尽なバワハラが平然と行われている事を知るはずもなく、ただひたすら耐えた。
昭和4年6月初旬からの欧米出張で、朝鮮→ソ連(モスクワ→クレムリン)→ポーランド(ワルシャワ)→ドイツ(ベルリン)→フランス(パリ)→英国→ドイツ(デッサウ)と、世界の航空機を見て回った経験も空里天斗の中では生きていた。米国に負ければ世界地図が、どんな風に変わるかは容易に想像が出来る。もう負けは決定的だったのかもしれない。自分一人が死んでも何も変わらない。
それでも自分の作った零戦が米国ごときに負ける筈がない。そういった想いがあった事も確かである。




