戦闘機無用論
戦闘機が活躍する以前の日本では、何と戦闘機無用論が平気で世に溢れていたのである。活躍実績の無い戦闘機よりも、大和・武蔵等の戦艦や航空母艦等の開発に力を入れ、艦上戦闘機や艦上爆撃機に力を入れる方が良い。
それは当時主流であった大艦巨砲主義と大差無い理論であった。と、言うよりも大艦巨砲主義の考え無しには、戦闘機無用論を展開するのは不可能である。
そもそも、開戦以前の日本に限っては、大した航空能力は無かった。補助的な任務をこなす事の出来る航空機や航空母艦ばかりで、まともな戦闘機は無かった。日本海軍が戦略的に機動部隊を編成し、運用するためには、明らかに花形となる戦闘機が不足していた。米国海軍に勝つ為には、約1000~2000機もの大量の戦闘機が必要不可欠であった。と、推算されている。
その為、少しでも理論的に考えれば、その数字が不可能であると知るのに時間は要らなかった。その為、戦闘機無用論は艦隊派を中心に展開した。だが、先見の明を持つ海軍将校がいた。彼等のお陰で航空機の重要性を認知する事が出来た。
山本五十六然り海軍の重鎮達はこぞって航空機取り分け戦闘機の重要性を説いていた。そうした声があったからこそ、日本海軍は空母機動部隊を編成し、歴史に残る戦いを繰り広げるという事になる。日本海軍にとっては重大克つ緊急の問題であった。




