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零の風~あるパイロットの戦争~  作者: 佐久間五十六
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零戦とは?②

 昭和6年の歳出総額は14億7700万円であったが、この内の軍事費が30.8%(=4億5500万円)となっていた。海軍の予算はその内の約75%(=3億600万円)で陸軍よりも、予算の割り当ては遥かに多かった。

 だが、その内海軍航空隊への予算は5900万円程に留まっており、その日暮らしの状態で、とてもではないが優秀な戦闘機を開発する余裕など無かった。

 と、言うのも昭和6年の段階において、日本海軍航空隊は、17隊272機しか航空機はなかったが、米国海軍は既に1000機を越える航空機を配備していると言う現実があった。この日米間の差の根底にあったのが、大艦巨砲主義であった。

 その一方で、航空戦力及び潜水艦中心主義を唱える者もいて、日本国内での世論は二分している状況であった。当時、海軍の航空機を開発していたのは、三菱航空機、中島航空機、川西航空機、愛知時計電機のわずか4社であり、海軍としてはもっと競争力を高めて、航空機の開発を推進しようと、民間技術の積極採用を決める。

 そんな中でスタートしたのが、7試計画であった。昭和7年度海軍用飛行機試作計画と言うのが、正式名称である。艦戦、艦攻、双艦、三水、大陸攻の5機種が指定された。機種の指定までは良かったが、要求された性能が問題であった。

 最高速度は高度3000メートルで180~200ノット(時速335㎞~370㎞)、上昇力高度3000メートル迄に4分以内であった。優秀だとされていた海軍の90式艦戦でさえ、時速150ノット(時速278㎞)、3000メートル迄5分45秒で上昇であったから、7試艦戦は後の零戦のベースとなる機体となるが、この無茶な要求が零戦を生み出す事になろうとは、誰も計算していなかった。

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