舵の好み
飛行機は昇降舵や方向舵と言った、舵があったが、当時はこれと言ったプリンシプルが無かった。舵の利き具合はパイロットの好みの問題であったからだ。
例えば、陸軍は舵の利きの軽いものを好んで使っていたし、海軍はその逆で舵の重いものを好んで使っていた。
91式戦闘機の舵を例に上げると、試行錯誤しながら取り替えた舵だけでもトラック一台分になったと言うほど、操縦性に対する軍の要求は細かさがエスカレートしていた。
舵の利き具合は、戦闘に直接影響するコンテンツであった為、軍としても譲れない部分であった事は否めない。飛行機はテストパイロットにより納入まで何度もテスト飛行を重ねる。少しでも不具合が生じてしまえぱ、納入後の大事故にも繋がりかねない為手抜きは許されない。
舵の利き具合も例外では無い。要求されたタスクを全てクリアして、初めて納入に至る。妥協は一切無い。納入時期は多少にかかわらず要求されたタスクをこなせるまでは、納入しないのが鉄則である。納入後は手出し出来ないからだ。
出来るだけ多くのパイロットが、安全かつ操縦しやすい様に作ってはいるが、軍の要求通りのハイスペックな機体を作ると、どうしてもその機体に慣れない人間が出来てしまう。だが、軍はそうした人間には時間をかけて訓練させて飛行させる。
誰もが乗りやすい機体は技師の理想ではある。勿論、現実的ではない。自分の思い通りにはいかないし、何よりも彼等が作っているのは、人殺しの為のツールである。どんなにきれいごとを並べても、戦闘機は人を殺すし、敵戦闘機を落とすためのものであり、武装している。要するに殺戮の為の兵器でしかない。そこにどんな大義名分があったとしてもである。それでも設計者や技師は、要求があれば、戦闘機を作り続けるのである。




