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零の風~あるパイロットの戦争~  作者: 佐久間五十六
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零戦とは?①

 零式艦上戦闘機…「通称ゼロ戦」と呼ばれた、有名な飛行機がこの物語の主役である。

 ゼロ戦は、昭和12年に設計が始まり、実戦配備されたのは太平洋戦争開始の1年前の昭和15年の事であった。

 大正時代から、昭和初期にかけての日本の飛行機は、ほとんどが外国人の設計によるものか、外国航空機の模倣であり、日本には、航空機開発後進国の意識が強くあった。

 だが、日本海軍はそんな状況を打破しようと、優秀な国産機を1000機整備する計画を立てる。その中心となったのが、海軍航空本部強力トリオと呼ばれた人間達であった。当時の航空本部長であった安東昌喬中将、航空本部技術部長の山本五十六少将、総務部長の前原謙治少将の3人である。

 彼等は「航空技術自立計画」を策定し、それに基づいて優秀な国産機かつ日本人の設計によるものを作ろうとしていた。

 とは言え、日本海軍にも優秀な機体が無かった訳では無い。大正13年の13式艦上攻撃機や、昭和3年の3式艦上戦闘機等は、日本の空を守るだけの力が充分にあったが、いずれも翼が二枚重ねの所謂、複葉機がメインの時代のものであり、エンジンは単発で、スピードや馬力のどちらも欠けるものであった。

 対して米国等はこの3式艦上戦闘機の時代と同時期には、ボーイング社製F-4B戦闘機を完成させている。スペックは、420馬力、最高速度238㎞、上昇力38秒で3000メートルの3式艦上戦闘機に対して、450馬力かつ最高時速253㎞で、上昇力10分で5486メートル迄と言う高いスペックを持つF-4Bの能力の高さが分かる。ロバート・ショートによる太平洋横断飛行が試みられたものの、あえなく失敗してしまったと言うのも同時期の事であった。

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