プロローグ ~覚悟の刻~
静寂が包む森にちらちらと雪が舞い始めていた。
カノンが放った光の玉が辺りを照らし、雪がその光を反射して幻想的な光景を生み出している。
吐き出す息は白く上り、澄んだ空気は肌を突き刺すほどに冷たい。
そんな中、カノンは射るような視線を俺に向け、そして鞘から剣を抜いた。
「剣はお互いに同じ物を使う。そしてハンデとして、僕は弱体化魔法しか魔法は使わない。お前は持てる力の全てでぶつかってこい。一撃でも僕に食らわせられたなら、お前を認めてやる」
「はっきりハンデって言われると悔しいんだけど……今の俺じゃ全力のカノンには歯が立たないだろうからな。その条件、ありがたく受けさせてもらうよ」
そして俺も鞘から剣を引き抜いた。
「私は貴方たちを見守りましょう。お互いに死力を尽くしなさい」
兄が両手を広げると、何やら地面に魔法陣が浮かび上がった。そこから発っした淡い光が俺達を包み込むと何事もなかったかのように消えていく。
「見せてもらいますよ、クロス。貴方の覚悟を――」
その言葉が合図となり、俺はグッと剣を握り締めて戦闘態勢を取ったのだった。
******
開始と同時、立て続けに強化魔法を掛けていく。
――身体強化、跳躍の翼、探究の眼
読んで字の如くな基礎強化魔法だが、身体能力の底上げをしてくれる非常に重要な強化魔法だ。
――次は……
刹那、ドクンッと心臓が早鐘を打った。
目の前にカノンの剣先が迫り、無理矢理体を捻って間一髪その剣戟を躱す。
崩れた体勢に続けて打ち込まれるであろう連撃を予見するが、強化した眼でもカノンの剣戟を見極めるのは至難の業だ。だが何千回と受けてきた稽古で戦い方のクセは分かっている。
俺は反射的にカノンの剣を受け止めると風の初級魔法“疾風”を放ち、その風圧と跳躍の翼で上がった脚力で後方へと跳びのき、転げながらも距離を取り直す。
たかが数秒の出来事だが、その数秒で感じた殺気に嫌な汗が頬を伝う。
「これを躱すか……でも、不合格だ。油断が過ぎるな。殺されるわけがないという気持ちを持っているからそんな無様な事になるんだ」
「いきなり首を刎ねられそうになるとは確かに思ってなかったな。悪かったよ。次は俺も、そのつもりで行く」
剣を両手でぎゅっと握り直し、一度大きく息を吐いて、俺は一つの魔法を発動した。
「“狂戦士化”」
ドゴンッという音と共に足元の大地に亀裂が走る。髪は逆立ち、筋肉は一回り膨れ上がった。
全身体能力を向上させ攻撃に特化させるこの強化魔法は、代わりに魔法防御力が大幅に低下するのが難点だ。しかし“攻撃は最大の防御なり”である。
今はハンデとして魔法攻撃を受けない事が確定している。それ以前に本気のカノンに防御など無意味。
剣聖とも言われるカノンの剣戟は受けれて数発、これは経験則で分かっている。しかも訓練として手加減有りの状態で、だ。さっきの攻撃も連撃技を撃たれていたら間違いなく受けきれずにハチの巣になっていただろう。
だから攻める。カノンが一瞬でも防御に回った時が俺にできる唯一のチャンスだ。
「それでいい……来い」
剣を構え直したカノンへ、俺は爆発的に上がった脚力で一瞬にして間合いを詰める。
振った剣をカノンが弾き、振られた剣を俺も弾く。
体ごと弾き飛ばされても空中で体勢を取り直し、地に足が着くと瞬時にまた間合いを詰めて斬りかかった。
――ってもカノン相手じゃ剣技のみで勝つなんて無理な話だな。力では押し勝てるはずなんだ、ならもっと手数を……
その時、視界にはらはらと舞う雪が映った。
――そうか、これなら……いける!
打開策を閃いた俺は力の限りカノンを剣で弾き飛ばし、すぐさま後方へと下がって魔法を唱えた。
「“水氷魔槍”」
俺が認識している範囲内全ての綿雪が結晶化し、その結晶が氷の刃へと姿を変える。
その氷刃を背後に背負い、再度カノンへと剣を構え直した。
「……原料さえあれば関係なし、か……相変わらずめちゃくちゃだな」
カノンはその光景を見詰めたまま思った事を口にした。
クロスに聞こえない程の呟きであったが、感心から出た言葉である。
得意不得意はあるにしろ四大元素魔法というのは基礎中の基礎であり、その大前提は自然界に存在する下位精霊の力を使役する事が出来るかに掛かっている。魔法使いを目指す者で出来ない者はまずいない。
しかし、クロスはそれが出来なかった。
精霊からの守護も得れず、下位精霊を使役する事も出来ない――本来であれば魔法そのものを使う事すら不可能なはずなのである。
だが、クロスはチートとも言えるとある魔法が使えた。
それはカノンが思わず呟いた言葉で完結する。そう、“原料さえあれば関係なし”なのだ。
ところで、氷魔法というのは水魔法の派生である。今この状況で使おうとするならば一度雪を水へ戻し、その水を原料として氷魔法を生成する、というのが順当な手順となる。
魔法の扱いに長けた者は雪から氷結晶を抽出し直で氷魔法を派生させる事も出来るのだが、クロスはそもそもどちらも出来ない。そしてする必要もなかった。
面倒くさい手順を全部すっ飛ばし、元々氷晶である雪を違う氷の形にただ変える。クロスが使ったのはそんな魔法だ。最初に放った疾風も同じ。自然に吹く風を威力を強めてただ放った。
実はこの魔法、本来はそれなりの原理原則の基ある程度の手順を必要とするものを省くのだから、相当な魔法原理の理解と熟練度が必要になるのだが……
そんな事は気にも留めないクロスに、カノンは感心しつつも若干の呆れを見せたのだった。
「行くぞ、カノンっ」
俺は作り出した氷刃を間髪入れずに放っていく。どんなに使っても雪は無限に降ってくるのだからこの魔法の行使に困る事はない。
そして数百の氷刃と共に再びカノンに向かって地面を蹴り抜いた。
「手数を増やすのはいい作戦だが……まだ甘い」
カノンが剣を脇に引き、俺の踏み込みに合わせて体を低く屈める。
「一の戟――“雷光一閃”」
抜刀からの横一閃――ブォンと空気の震える音と共に、放った氷刃が全て砕け散った。
カノンと俺の剣が火花を散らしてぶつかり合い、その剣圧がお互いを後方へ弾き飛ばす。
「拮抗しただけ上等だ! “地割振動”‼」
カノンに出来た一瞬の間に両手を地面に着けて地魔法を放つ。
足元に地割れが起こり、僅かにカノンの体がグラついたのが見えた。
「“水氷大魔槍”っ!」
先ほどのより数倍大きい氷刃を作り出し、一気に放つ。
轟音を鳴らして突き刺さる氷刃は雪煙を上げ、カノンの姿を完全に隠した。
「これで一撃くらいは……」
ドクンッと心臓が二度目の早鐘を打つ。
一度目とは違う、底冷えするような……鳥肌が立つほどの悪寒だ。
「油断が過ぎると、忠告したはずだがな」
「――――っ⁉」
気付いた時にはすでにカノンの剣先が懐まで迫ってきていた。
俺は咄嗟に剣を手放し、“物理防御”を発動させる。
ギリギリで掛けた強化魔法が辛うじて命を繋ぐが、カノンの剣戟を受け止めきれず、衝撃で木を薙ぎ倒しながら後ろへと吹っ飛ばされた。
致命傷こそ防いだものの、それでも何本か骨が逝っているのが分かる。
――チッ、今のでバーサクが解けたな……とにかく早く起き上がらないと……
グッと腕に力を入れて体を起こそうとしたその時、急な激痛が体に走った。口からはゴボッと血が噴き出し、あまりの苦しさに目が霞む。
「これは……まさか……」
「そう、弱体化魔法の一つ、“苦痛”だ。剣にその魔法を乗せてお前を斬った。僕の動向をずっと気にしてたのに雪煙で隠してしまったのは大幅減点、失策だな」
地面に散らばる木の枝をパキパキと踏みしめながら、一歩ずつカノンが近づいてくる。その纏うオーラをまじまじと見て、俺は呑気にも『そう言えば……』とある事を思い出していた――
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カノン=エクセシアは白魔法騎士の最上級、聖魔法騎士に属する兄の側近だ。元々は孤児だったらしいが幼い頃に兄が引き取り、今では誰もが認めるセラフィナイトの専属騎士となっている。
プラチナブロンドのショートヘアに女性なら誰もが見惚れるであろう甘いマスクの持ち主だ。しかし一度剣を取ればその様相は一変し、冷酷な青い瞳に捉えられた者は例外なく戦慄し戦く事となる。別名、【白金の悪魔】と言う名称の持ち主だ。
白魔法使いに悪魔とはよく付けたもんだと子供心に思っていたが、俺も剣の稽古(と称した死合い)で何度死を覚悟したか分からない。
幼い頃、一度だけ本気のカノンを見た事がある。言いつけを守らず、禁止されていた山の奥へと足を踏み入れた俺を必死に守ってくれた時の事だ。
その時のカノンの戦い振りといったら……冷酷非道とは正にこの事といった感じで、その時の光景は今でも鮮明に覚えている。
しかし俺の無事を確かめたカノンが震えながら抱きしめてきた時、思ったのだ。『この人は冷たいんじゃない。自分の内側にいる者が傷つく事が、ただ堪らなく怖いのだ』と――
今もきっとそうだ。
俺が外の世界で傷付く事を恐れてる。そしてそれは間違いなく兄の心までも傷付ける事になるだろう。
自分の事より人の事で傷付いてしまう……そんな優しい男がカノン=エクセシアという人物なのだ。
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「もう十分だろう。これ以上やるなら完全に再起不能にするぞ」
カノンの冷たい青い目に見下ろされながら、チャキッと剣先が突き付けられた。
絶体絶命――確かにそうだ。
でも……
「俺が諦め悪いの、知ってるだろう? それにな、カノン……」
俺は血が流れるのも構わずに、目の前の剣をグッと掴んだ。
「お前も大概、甘すぎるぞ」
「何を――」
カノンの言葉を待たず、俺は不敵に笑って頼みの綱である魔法を発動させた。
「侵蝕しろ……“暗黒物質”」
剣を掴んだ手からぶわっと漆黒の触手が湧き出した。
それは瞬く間に剣を絡め取り、カノン自身を飲み込もうと魔の手を伸ばす。
初めてカノンの表情に驚きと焦りの色が見て取れた。
しかしそれも一瞬、すぐさま冷静さを取り戻し、即座に剣を捨てて見事なバク転で距離を取られる。
その様子に俺は思わずニヤリと笑った。
――そりゃ焦りもするはずだ。この魔法は侵蝕型の闇魔法……最悪の場合、カノンの持つ魔力自体にも影響を及ぼす。まだ一度も見せた事のない俺の奥の手……これでやっと、カノンの手元から武器が消えた‼
俺はすぐさま水氷魔槍を生成し、牽制するように氷刃を打ち込む。
息を止めて痛みを堪え、力任せに体を起こす。
そして両手で一本ずつ太い枝を拾い、カノンに向かって走り出した。
「“暗黒物質創造”‼」
木の枝にダークマターを侵蝕させ“闇の剣”の双剣を創り出す。
気力を振り絞り再度自身にバーサクを施すと、体の至る所が悲鳴を上げ、無数の血管が切れて血が噴き出した。ペインの効果も相まって意識が飛ぶような激痛が全身に走る。
その痛みを歯を食いしばって耐えながら、走る勢いそのままにカノンへと斬りかかった。しかし、剣術だけじゃなく体術も得意なカノンである。
打ち込んだ氷刃は素早い身の熟しで全て躱され、剣戟に対しては華麗な体術で捌いてくる。
――ほんと、華奢なくせにどこにこんな力があるんだか……制限付きでこの強さは勘弁してほしいぜ、まったく
そんな事を心の中でボヤキながら、俺の口元には薄っすらと笑みが浮かんでいた。
――でも、これが俺の目指す強さだ。追いつくぜカノン、必ずな! そのためにも、絶対認めさせてやる!!
止まる事なく渾身の連撃を打ち込んでいく。
だんだんとカノンの頬や腕、脇腹などに薄っすらと紅い線が付き始める。
――もっとだ……もっと速く‼
息を止めて両手を振る速度をさらに上げる。
カノンが必死になってきているのが分かる。
――あとちょっとだ……あと少し追い詰められれば‼
その時、ふいにカノンの瞳が横に動いた。
視線の先には地面に転がる一本の剣。
いつの間にか最初に居た場所へ戻ってきていたらしい。それは俺が投げ捨てた剣に違いなかった。
「ふっ――」
止めていた息を吐き出したその一瞬、防戦一方になっていたカノンの手刀が頬を掠める。
首を折って避けるだけのわずかな間、今度はカノンが息を止め、上半身に力を込めるのが見えた。
「“全能力強化打消し”」
引いた利き手に魔法陣を展開させ、胸を穿つように掌が突き出される。
もろに受けた事で息の詰まる衝撃に動きが止まり、次の瞬間、自分に掛けていた全ての強化魔法が解けるのが分かった。
カノンは素晴らしい身のこなしで瞬時に剣の元まで移動すると、流れるような動きでそれを拾い、剣先をこちらに向けた。
「……もう十分だ。終わりにしよう」
そう言ってカノンは片手を真っ直ぐ伸ばし、手の甲に剣先を乗せた。膝を曲げて体を引き絞ると、青い瞳が完璧に俺を捉える。
「二の戟――“雷閃牙突”」
相手を確実に仕留める閃光の一撃。
放たれたが最後、避ける事は不可能なカノンの奥義、雷閃牙突――。
名前の通り、それは雷が光る様な速さで一直線に撃ち出された。
「その技を待ってたんだ」
「――――っ⁉」
俺は口元に笑みを浮かべながら双剣を手放し、無防備に真正面からその技を受け止めにいく。大きく両手を広げ、ギリギリまで軌道を見極める。
予想外の行動にカノンは目を見開くが、閃光の如き牙突は放ってしまったら止まらない。
その剣先は俺の胸の中心を穿ち、勢いそのままに後ろの巨木へ突き刺さった。
磔になった俺を見て瞠目しているカノンの肩をガシッと掴み、耳元へ顔を寄せて囁く。
「カノン、実はさ、俺……」
そう言って頭を振り上げ、いたずらっぽい笑顔で告白した。
「結構、石頭なんだよね」
勢いよく頭を振り下ろし、渾身の頭突きをカノンの額目掛けてお見舞いする。
ゴッと骨と骨がぶつかる鈍い音が響き、目の前がチカッと発光した。
目から星が出るとはきっとこの事を言うのだろう。カノンにもきっと見えたはずだ。
そんなカノンは「ぐあっ」と呻き声をあげて地面に倒れ込んでいる。
お互いに額から血を流し、目に映るチカチカとした星が消えるのを悶絶しながら待っていた。




