プロローグ ~決意の日~
遡ること数時間前――
俺は森の中でいつも通り魔物退治をしながら薪集めをしていた。魔物退治は鍛錬の一つ、薪集めはそのついでだ。
家の近くにいるのは魔物といっても動物に毛が生えたようなやつらばかりなのだが、それでも訓練に一番効率がいいのは実践だ。その経験が日常的に積めるのはありがたい。
「ゥキィィィィィーーー!」
今まさに上空から直滑降で降って来るのは猿に蝙蝠の翼が付いたような魔物、名はそのままバットモンキー。移動速度の速い、下級の魔物だ。
「1、2、3……計四体か、余裕だな。――“探究の眼”」
動体視力を上げる強化魔法を目に施し、腰に差した剣を引き抜く。
鋭い鉤爪の付いた前足が眼前に迫り、強化した目で凝視してそれを回避すると、空振りした前足が地面に勢い良く突き刺さる。
回避した勢いのまま空中で回転し、横薙ぎに剣を振り抜くと、動きの止まったバットモンキーの首が飛ぶ。
「まずは一匹」
続いて左右から同時に迫り来るバットモンキーへと視線を移す。翼を折りたたみ、四足歩行で地を駆けてくる二匹は尖った歯を剥き出しにこちらへとジグザグに向かってくる。
「“跳躍の翼”」
脚力を上げる強化魔法を足に掛け、二匹が襲い掛かって来る寸でを見極め頭上に高く跳躍する。
飛び掛かかった対象物が消えた事で、二匹の魔物は額を盛大に打ち付け合った。
仰け反る様に動きを止めた一匹へ剣を投げる。
鋭い剣先が眉間を捉え、後頭部へと貫通しそのまま地面へ突き刺さった。
「これで二匹」
そして同じように動きを止めたもう一匹へ、落下する勢いに乗って踵落としをお見舞いする。
グシャッっと顔面が潰れる音がして、叩き付けた地面の上で魔物の体が痙攣を起こす。
剣を手に取り直し、心臓に一刺し入れると、すぐにその痙攣が収まった。
「三匹目」
最後の一匹は頭上でこちらを見下ろしていた。
地面を踏み締め、抜刀体勢で跳び上がる。
魔物へ間近に迫ったその時、口が大きく開かれた。
「キィィィィィーーー‼」
音波のような甲高い声が発せられ、まるで鈍器で殴られたかのような感覚に襲われる。
三半規管が揺さぶられ、バランスが完全に取れなくなった。
翼を大きく広げたバットモンキーが激しくその翼をはためかせると、俺との間に渦を巻いた突風が発生する。
その風圧に押され、勢いよく木々の中へ吹っ飛ばされた。
「――っ、“身体強化‼」
身体の耐久力を上げる強化魔法を咄嗟に施し、木にぶつかる衝撃を緩和する。それでも打ち付けられた衝撃に息が詰まった。
「……チッ、油断した……魔法が使えるヤツだったか」
見上げると、既にバットモンキーの姿は消えていた。気配も完全に無くなっている。
「逃げられたな……ハァ、こんな体たらく、アイツに知られたら雷を落とされるだけじゃ済まないぞ……」
深い溜息をつき、土を払いながらゆっくりと立ち上がる。
「だいぶ暗くなってきたな。そろそろ帰らないと」
剣を鞘へ納め、集めた薪をひとくくりに纏めて背負い、帰路に着くため歩き出す。吐いた息が白く空に昇り、ふとそれを追って顔を上げた。
「……さっむ。この感じじゃ夜は雪だな」
見上げた空には厚く雲がかかり、肌が痛いほどに空気は澄みきっていた。
「雪が降ったら薪集めは今日で最後か……何年もやってきた日課が最後ってのは少し寂しい気もするな」
そんな感慨に浸りつつ、俺は家路を急いだのだった。
******
「おかえり、クロス。遅かったな」
「カノン‼ こんな早くに帰ってくるなんて珍しいな。今日雪が降ったらカノンのせいか?」
扉を開けると先に一人の人物が帰宅していた。
彼の名前はカノン=エクセシア。俺が実の兄のように慕っているその男は、この世界で有数の白魔法使いであり魔法騎士だ。そして俺の教育係でもある。
「何バカ言ってんだ。お前が話したい事があるって言うから急いで帰ってきてやったのに、随分な言いようだな」
「はは、悪い悪い。まさか昨日の今日で都合つけてくれるなんて思ってなかったからさ。じゃあ先に夕飯の準備を――」
「いや、今日は僕が用意しよう。もうすぐリア様も帰って来られるからな」
「え⁉ 兄さんも帰ってくるのか?」
驚いた――。
リア様とは俺の兄でカノンが仕える主の愛称である。
フリティラリア=セラフィナイト――この世界で最強の白魔法使いであり最高位の大魔法使いだ。そんな兄だからこそ、この家に帰ってくるのは月に二回がいいところで……多忙を極める兄とその従者カノンが二人そろって帰宅するなどいったいどれぐらい振りの事だろうか。
「一緒の方がいいだろう? リア様もおっしゃってたぞ」
「あー……っと、そうだな。一緒の方が助かる……かも?」
俺は「はは」と苦笑いをしてその場をごまかす。
「……まぁ話は後だ。お前もさっさと着替えてリア様を迎える準備をしなさい」
「はーい」
「返事は伸ばすなっ!」
「はいっ‼」
飛ばされた檄に背筋を伸ばし、俺は脱兎の如く自分の部屋へと向かったのだった。
しばらくして玄関の外がまぶしく発光し、光が収まると同時に兄フリティラリアが扉を開けて入ってきた。
「おかえり、兄さん。相変わらず律義に玄関からの帰宅だね」
「ふふっ。家に帰ってきたのですから当たり前ですよ。ただいま、クロス。二週間ぶりですね」
そう言って、兄はにっこり笑いながら俺の頭に手を置いた。
この世界には高位の魔法使いだけが扱える転移魔法という便利な移動手段がある。兄は帰宅する際、必ず家の外に転移してきては律義に玄関から帰ってくる。自分の部屋や家の中に直接転移してきたらいいのにと思うのだが、本人はそれだと帰ってきた感じがしなくて嫌なのだそうだ。
そして帰宅するとまず最初にやる事がこれだ。昔は兄の大きな手で撫でられることが嬉しかったが、さすがに今はこそばゆい。
「ったく、いつまでも子供扱いするなよな」
照れを隠すようにボソッと呟く。
「おや、クロスもついに反抗期かい? 大きくなりましたねぇ」
兄が嬉しそうに頭をわしゃわしゃと撫で繰り回す。
「だーーっ‼ もうやめろって」
そんな不本意な兄弟のスキンシップをキッチンから出てきたカノンが終わらしてくれる。これもいつものお決まりパターンだ。
「お帰りなさいませ、リア様。さ、いつまでもじゃれてないでお着替え下さい。夕食の準備が整っておりますので」
そう言われ、名残惜しそうに微笑みながら兄が部屋へと向かうのだった。
今日の夕飯はポーチドエッグ付きグリーンサラダと魚のテリーヌ、そして焼き立てのパンと熱々のクリームシチューだ。
兄はこの家で豪華な料理を食べたがらない。至って普通の家庭的な料理を好む。そんな兄の要望に応えたカノンの手料理を味わいつつ、久しぶりに三人で囲む食卓には和やかな時間が流れていた。
「今日も森に出てたのかい?」
「俺の日課だからね。でも冬は魔物も冬眠するからバットモンキー四体としか遭わなかったけど」
「あの蝙蝠猿か。あいつらは集団だと強さが格段に上がるが、油断しなかっただろうな?」
「も、もちろん。カノンのしごきのお陰で油断のゆの字も俺にはないさ! ははは……」
「何で目が泳ぐ……あと、しごきじゃなく指導な」
訝しむようなカノンの視線に目を合わせまいと一心不乱にシチューを口へ運ぶ。
そこへ兄の穏やかな声が響く。
「ふふっ、クロスは本当に頑張っているね。それには何か、理由があるのかな?」
不意に発せられた言葉に、口元まで運んでいたスプーンがピタリと止まる。
それを見た兄とカノンも食べるのを止め、じっと俺の返事を待っている。
――言うなら今……だよな。勇気出せ、俺っ!
そう自分を鼓舞し、少しの沈黙のあと、スプーンを置いて一つ大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「実は……ここを出たいと思ってる」
意を決して言ってみたものの、二人は予想していたのか驚いた様子は見られない。それどころか、兄は困ったように微笑んでいた。
「……理由を、教えてくれるかな?」
その問いに小さく頷く。
「ずっと思ってたんだ。俺は、兄さんの弟だと世界中の人達から認められたい。二人に守られてコソコソ生きていくんじゃなく、カノンみたいな魔法騎士になって堂々と二人の側に居たいんだ」
これが長年秘め続けてきた俺の夢――。
そんな俺の言葉を聞き、カノンは眉間にしわを寄せた。兄は完全に困った顔をして微笑んでいる。
先に口を開いたのはカノンだった。
「……クロス、それがどんなに大変で難しい事か分かっているだろう。下手をすればお前の存在自体がこの世から消える事になるんだぞ? “セラフィナイト”という家名が……リア様がどんなに凄いか、お前は分かっていない」
その言葉にゆっくりと首を振る。
「そんな事、俺が一番よく分かってる。自分で自分を呪ってやりたいぐらい、痛いほど……分かってる」
無意識にこぶしを握り締め、変えられない現実を反芻するように目を閉じた――
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フリティラリア=セラフィナイトは四大天使の加護を持つ大魔法使いである。この世界の頂点に君臨するその姿は天上の美を体現したかのように洗礼され、微笑みを携えた姿はまさに天使の様であった。
絹糸のような銀髪がサラサラと腰に流れ、その肌は雪のように白く、形の良い唇は常に微笑みを絶やさない。しかし、長い睫毛に縁取られた目は常に固く閉じられ、そこにある瞳は決して見る事は叶わない。
クロス=セラフィナイトはその人物唯一の血縁者である。だがその風貌は似ても似つかず、フリティラリアが白魔法の使い手であるのに対し、クロスは黒い魔力の持ち主であった。
漆黒の髪は無造作に切り揃えられ、筋の通った鼻と少し大きめな口が端正な顔に精悍さを与え、キリっとした目には金色の瞳が輝き華やかさを添えている。
年の割りに大人びたその見た目は美男子と呼ぶにふさわしく、しかし、白魔法使いの名家には全くもって不似合いな容姿であった。
この世界ではフリティラリアを崇拝する者が大半を占め、セラフィナイトの家名を神聖視する者も多い。そんな中、白魔法使いの要素を全く持たず、何の加護も持たないクロスがセラフィナイトの名を語るなど、神を冒涜するかの如く、自殺行為に等しい事であった。
それはクロスも重々承知している事だったが、尊敬する二人に守られ、自分の存在自体が家名の汚点となり、大切な家族である兄の足枷として生きていく事など到底耐えられる事ではなかった。
しかし、現実は非情だ。どんなに願ってもクロスに白魔法使いの才が現れる事は片鱗もなく、そして何の加護も授かる事はなかった。それどころか精霊の守護を得る事も出来ず、初歩的な魔法すらもほとんど使えなかった。
その絶望は幼心を壊すには十分で、己を嫌悪し、運命を呪い、次第にクロスは己を自虐するようになっていく。
見兼ねた二人が一度だけ、クロスを森から連れ出した事がある。映像でしか見たことのない世界は閉ざした心に少しだけ興味を抱かせた。
変装したカノンに連れられて、やって来たのはとある広場。
そこには大勢の人が集まっており、全ての視線は聖堂の中から姿を現したフリティラリアに注がれていた。
人々の視線は熱を帯び、発っせられる言葉に涙を流して感動する。
その光景に劣等感の塊となっていたクロスは今にも泣き出しそうになっていたのだが――
その時、二人の視線が重なった。フリティラリアは真っ直ぐクロスを見つめたまま、大衆の面前で言ったのだ。
「貴方を愛しています」と――。
自然と涙が流れていた。
罪の意識は兄達への罪悪感に変わり、周りを見渡せば自分と同じように涙を流す人々を見て、クロスの中で今までとは違う感情が沸き上がった。
――自分も……ここに在りたい……
今ここで自分の存在が明るみになれば、この人達は間違いなく殺意にも似た憎悪と嫌悪を持つだろう。そして崇拝するフリティラリアにも裏切られたと感じるかもしれない。だから自分はここに居るのに、存在してはいけないのだ。でも同じ涙を流せるこの人達となら、同じ想いを共有する事が出来るのではないか?
“フリティラリア”と“セラフィナイト”を想う気持ちは一緒なのだ。想いが一緒なら、分かり合う事だって出来るはずである。
――認められたい……この人達に。自分も、この世界に在りたい!
いつの間にか涙は止まっていた。
――努力しよう。諦めるだけの運命なんてクソくらえだ‼
だから決めた、抗うと。
そう決意してみると毎日の鍛錬も楽しくなった。知識が増えるのも嬉しくなったし、苦手だった礼儀作法も一生懸命身に付けた。未だに白魔法は使えないし、何の加護も受けれてないが……それでも俺は希望に満ちていた。血の滲む努力を重ねて、諦めなければ必ず――
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ゆっくり目を開くと、強い意志を込めて宣言する。
「俺は自分の望む未来を諦めない。たとえ不可能でも可能にしてやる! だから……俺に“クロス=セラフィナイト”として生きる努力をさせて下さい」
ガバッと頭を下げ、そのままの姿勢で二人の返事を待った。
数秒なのか数分なのか……緊張しすぎてどれくらい時間が経ったか分からない。それでも微動だに動かず言葉を待っていると、「顔を上げなさい」と兄の優しい声が降ってきた。
「クロス、私はね、長いことずっと一人でセラフィナイトの名を背負ってきました。この星の守り人として、人々の希望として……それは私にとって誇りであり、使命です。でもその代償として私はずっと孤独でした。そんな孤独から救ってくれたのはクロス、貴方です。この家に帰ってきた時だけ、私はセラフィナイトの名から解放される。貴方とカノンが本当の兄弟みたいになってくれた時は、家族が増えたように思えて嬉しかった」
それを聞いて、ずっと険しい顔をしていたカノンが気恥ずかしそうに肩をすくめた。
「私は……家族を失いたくない。貴方を外の世界に出す事が……怖いのです」
初めて聞く兄の本音は悲痛な想いとして俺の心に突き刺さる。
――それでも俺は……
「信じてほしい。兄さんを一人には絶対にしない。俺もセラフィナイトの名を背負って、カノンと一緒に兄さんを支える!」
力強い俺の意気込みに、兄が一瞬キョトンとした後、顔が少し綻んだ。
「……ふふっ、頼もしいですね」
「だろ? これで兄さんの孤独は無くなるし、カノンも頼もしいだろ」
ニッと笑って言った言葉はすぐに後悔へと変わる。
「こいつっ……」
――ヤバッ、調子に乗りすぎたっ
ピキッとこめかみに青筋を浮かべたカノンからサッと視線を逸らす。
「まぁまぁ、カノン。クロスの成長は素直に喜びましょう」
「ですがっ!」
「大丈夫、貴方の気持ちも分かっています。クロス、私の気持ちとカノンの気持ち、どちらも分かっていますね?」
「もちろん」
「ならば、後は認めさせてみせなさい。私達の気持ちを知った上でなお我を通すというのなら、その覚悟を示しなさい。――カノン」
「はい、リア様」
そう返事をして、立ち上がったカノンが玄関へと歩いていく。
「クロス、表へ出ろ。その覚悟とやらがどんなものか、僕が見極めてやる」
「……ああ、望むところだ」
俺は気合を入れてカノンの後に続いたのだった。