第10話 絶対君主の風紀委員長
学院に戻る道すがら、先程の戦闘の事を思い返す。
――無理かと思ったが……使えたな……
ゼルの使った炎は恐らく大精霊の守護を受けたものだ。純粋な炎として発現させ、魔力操作のみであのドームを形成。だから俺でもあの炎を扱う事が出来たのだろうが、その際、かなりの魔力量を必要とした。
展開した魔法は炎を圧縮して放つと言う単純なもの。自然に存在するただの火だったならばあそこまで魔力は必要とならない。そしてあれ程の威力を持つ魔法にも変換は出来ない。
魔力の質のせいなのか、それとも他に理由があるのか、はっきりした事は分かっていないが、精霊の助力を得られない俺は自分の意思で強力な魔法を使う事は不可能だ。そもそも初歩的な魔法ですら事象改変に頼らなければ発動出来ない。
そのため今まで自然に存在するモノを主として扱ってきたのだが、素材として成り立つならば精霊の力を帯びたモノでも使用可能だという事が分かったのは収穫だった。
それに付随して分かったのは“事象改変”と言う魔法はとにかく魔力消費が激しいと言う事である。自然の意思を無視して魔法を使うのだ、拒絶の意思表示が魔力量に反映されているのかもしれない。
やはりカノンの言う通り、俺はまだこの魔法をろくに使いこなせてないのだろう。
――理解が及んでいない、と言った方が正しいかもしれないけどな
そんな事を思いつつ、気付けば校門の前まで戻ってきていた。
これから会うであろう人物の事を考え、憂鬱な気持ちで目的の場所へと向かった。
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「一学年Hクラス、クロス=リーリウムです。失礼します」
風紀委員会室に着いて中へ入ると、そこには大柄な男が一人、横柄な態度で椅子に腰を掛けていた。
「よぉ、一年坊主。お手柄だったな」
そう口にした男は間違いなく、回線の向こうにいたドスの効いた声の持ち主だった。
オールバックの深緑色の髪、精悍な顔には紅い眼が力強く輝き、笑った時に見える犬歯がその男の獰猛さを際立たせている。巻くし上げた袖から見える浅黒い肌は身体を覆う筋肉の形をくっきりと浮き立たせ、服の上からでもその体躯の逞しさがはっきりと見て取れた。正に“威風堂々”、その言葉を体現しているような男だ。
その男は薄っすらと口元に笑みを浮かべ、からかうような口調で話し掛けてきた。
「三学年イグナス=ドラコーンだ。風紀委員長をしている。今回は不運だったなぁ、怖かっただろ?」
「いえ、頼もしい奴らがいたんで」
「そうか」
イグナスと名乗る男が机の上で手を組み、射抜くような視線をこちらに向けると、その口元に獰猛な笑みを一層濃くした。
「この学院で俺の命令は絶対なんだが、お前は異を唱えたな? 何か言いたい事はねーか?」
瞳の紅さが増し、その眼の中心で縦に長い瞳孔が俺をしっかりと見据えていた。気分は蛇に睨まれた蛙……相手を威圧するには十分な迫力がそれにはあった。
――爬虫類の目……いや、竜の目……か? ドラゴン……まさか、竜族……
この世界で希少な種族の一つ……いや、希少すぎる種族の一つ。竜の眼――相手を威圧し全てを見通す覇者の眼だ。
――凄いな……この眼に覇気を宿されたらどれぐらいの威力があるんだろう
そんなイグナスから目を逸らす事なく、言葉を返す。
「口の利き方に関しては謝罪しますが、それ以外については何も問題なかったかと」
「ほぅ、ビビる様子も引く気も全く無しか」
――まぁ俺はカノンで色々耐性があるからな
それでも生意気に見られたら面倒だなと思っていたのだが、イグナスから出た言葉は意外なものだった。
「面白いな、お前。ちょっと気に入ったぜ」
「……はい?」
イグナスはそう言うと一度瞬きをして目を元の状態へと戻した。縦長だった瞳孔は普通の丸い形に変わっている。
「いやな、俺ら風紀委員会と生徒会は在籍する全生徒のステータスを把握してるんだ。だから入学試験の結果でお前ら一年坊主の力量もだいたいは把握している」
「はぁ」
「でだ、お前じゃあの魔物には力不足と判断したんだよ。デゥーイの坊主ならまあ大丈夫だったろうが、お前を守りながらは酷かと思ってな。それにあいつの魔法は派手過ぎてなぁ、あそこでぶっ放される訳にもいかなかったんだ」
――入学テストの結果を元に判断基準を設けてるなら俺の責任だな
「そうなんだよ。テスト結果じゃお前の判断基準が組めなくなっちまったんだ」
「え⁉ 声に出てました?」
「やっぱそーかよ‼」
――カマかけられたのか⁉
「さて、じゃあもう一回聞くぞ。何か言いたい事はねーか?」
イグナスが今度はニヤッと意地の悪い笑みを浮かべる。
――まずい。非常に……まずい。入学早々目立たずひっそりと作戦が破綻したのに、一週間でテストの工作までバレるのは今後の計画が何もかもめちゃくちゃになってしまう
俺は一瞬の逡巡の後、冷静を装って口を開いた。
「……俺、山育ちなんですよ」
「ほう? まぁエメラルダの領土は自然豊かだからな」
「ええ。で、その山であの魔物に遭遇して命辛々討伐した事があるんです」
「だから倒し方は知っているって事か。それで?」
「ダスカーベアは普通に戦うと厄介ですが、毛に覆われていない部分は野生の熊と変わりません。それを知っていれば格段に戦いやすくなる。あの場にゼルがいたので風の守護を持つ相手でも対処出来ると判断しました。俺があの魔物を倒せたのはそれだけの事です」
「…………」
――視線が痛い……頑張れ俺。もう押し通すしかないんだっ‼
そもそも入試で何点だったか知らない俺は、自虐も交えて内心は必死に、外面は至って冷静に説明を続けた。
「俺は魔法よりも剣術や体術が得意なんですが危ない時はナビィの助けもあると聞いてましたし。自分は知識と経験がちょっと人よりあるぐらいで、それが入学テストの範囲外だったってだけですよ」
これでどうだとハラハラしながら返答を待っていると、渋々と言った感じでイグナスが不機嫌そうに口を開いた。
「……チッ、納得はいかないが筋は通ってやがるな。一応、今はそういう事にしておいてやる」
一先ず危機を脱したようで、ホッと胸を撫で下ろした。
「そんじゃ、そんな知識のあるお前に質問がある。あの魔物、対峙してみてどう感じた?」
「どう、とは……」
「何か気付いた事はなかったか?」
そう言われて俺は記憶を遡った。
あの魔物と戦った事があるのは本当だが、その時の個体はもっと小さく、何の守りも持っていなかった。しかし、質問の答えにそれを求めているわけじゃないだろう。他に気になった事と言えば……
「……こちらの動向や攻撃パターンをしっかり見ていて、知能の高さを感じました」
そう、あの時イグナスも言っていた通り、本来この魔物はあまり知能レベルが高くない。ほとんど動物に近いからだ。だが、さっき対峙したダスカ―ベアは俺とゼルの行動から思惑を読み取り、自分で考えて行動を変えようとしていた。
「あの時もそう言っていたな。間違いないか?」
「はい。確かに、あの魔物には思考による意思がありました」
「……そうか」
イグナスは椅子の背もたれに深々と体を預けると、面倒くさそうに溜息をついて話を続けた。
「実はな、あの魔物から知性を確認したという報告は今のところねーんだよ。近年そういった事例が増えててな……しかも守護持ちときたもんだ。風の精霊なんだろうが……お前は他にもこういった魔物を見た事があるか?」
「こういった、とは?」
「知能が有り、特別な力を持つ魔物だ」
そう聞かれ、背中にゾワッと悪寒が走った。
幼い頃の、決して忘れられない記憶――。
思い出すとその時の情景も感情も鮮明に蘇る、悪夢のような記憶が俺にはあった。
あの魔物と対峙した時、確かに感じたものがある。相手を品定めするかのような威圧感、それと圧倒的な魔の力だ。
その時感じた恐怖と絶望、そしてカノンが現れた時の安心感……今思い出してもあれほど自分の無力さを痛感した事はない。
だがイグナスの質問にこの事を話す気は無かった。この出来事は兄とカノンに堅く口止めされているからだ。
少しの沈黙の後、当たり障りのない返答を返す事にした。
「その質問に答えるのは難しいですね。見た事があるかないかで言えばありますが、俺はその魔物の事を知りません。だからこの質問にこれ以上答える事はできません」
そう先手を打って、この話を強制的に終わらせる。しかし、イグナスは意外にも楽しそうに口角を上げてそれを受け入れてくれたようだ。
「構わねーよ。俺も踏み込み過ぎたな。とりあえず、お前の評価は過小評価として再考しておく。魔物と遭遇して怖気づかないってだけでも評価アップだ」
「え、出来たら遠慮したいんですけど……」
「否だ。俺の言う事は絶対だからな。そんじゃ、帰っていいぞ一年坊主」
「……失礼します」
不服を抱えたまま風紀委員会室を後にした俺は、また一つ入学早々悩みが増えた事に泣きたい気分になっていた。
「間違った事はしてないのに何でこうも目立っちゃうんだ……」
早急な計画の練り直しを決意しながら寮への道を歩いていると、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。声の方に振り向けば、こちらに駆け寄ってくる二人の女子生徒が目に入る。
「リファか。どうしてここに?」
「授業が終わった後、オリエンテーションで行ったパン屋さんでご飯を食べてたの。したら話が盛り上がっちゃってこんな時間に……クロス君は?」
「俺は……野暮用だ」
ここでもう一人の女子へと視線を向けた。
黄緑色のゆるく編み込んだお下げ髪、大きなタレ目に黒縁の丸眼鏡、鼻の頭に点々とするそばかすが純朴そうな可愛らしさを感じさせる。
そんな彼女と目が合うと、ビクッと体を硬直させてリファの後ろへと隠れてしまった。そこからそーっと顔を出して上目遣いに俺を見ている。まるで怖がりな小動物だ。
「ちょっとミサ、クロス君に失礼じゃない。ごめんね、この子人見知りな上男の人が苦手で……ほら、クロス君は大丈夫だから!」
グイッと前に押し出され、ミサと呼ばれた女子生徒は目を白黒させて完全に挙動不審になっている。
「あ、え、わ、わたしっ……え、えっと……」
――何か可哀相になってくるな……
「ほぉら、植物園で感動してたじゃない。話してみたかったんでしょ?」
「リファちゃんっ!」
「…………ん?」
「この子ね、植物や動物が大好きで、同年代で自分と同じくらい詳しい人に会ったのが初めてで嬉しかったみたいなの。クロス君、仲良くしてくれる?」
「ああ、そういう事か。俺は構わないが……」
――でもなぁ、こんなオドオドされてちゃ仲良くもなにも……
「お前は、どうしたいんだ?」
「「…………へ?」」
二人揃って目が点になっている。ミサの挙動不審も止まったようだ。
「いやだから、リファの言ってる事は分かったけどお前はどうしたいんだよ。人に言わせて自分では何も話せないんじゃ仲良くのしようがない」
「…………っ⁉」
「ちょ、ちょっとクロス君、もうちょっと優しく……」
あわあわしているリファの横で、スカートの裾を両手でギュッと掴み、食い縛るような表情でミサが顔を上げた。
「あ、あの! わ、私……ミサ=サリーシャって言いますっ」
「うん……ん? サリーシャ?」
「は、はい! お姉ちゃん……治療医のプリメラは私の姉ですっ」
「クロス君……クラスメイトの名前、全っ然覚えてないよね……ほとんどの人が保健室で気付いてたと思うよ?」
「……すまん」
――自己紹介の時は自分の事で必死だったからな……
「クロス……君。お、お願いが……ありますっ!」
「何だ?」
「わ、私と……今度、お話してくれませんかっ」
ギュッと目を瞑って顔を真っ赤にしながらミサが肩を震わせていた。人見知りでも頑張っているのが伝わってくる。
俺は不思議と優しい気持ちになり、無意識に手を差し出していた。
「ああ。よろしくな」
彼女はおずおずと自分の手を重ねると、気恥ずかしそうに軽く握り返してくれた。
「良かったね~ミサ! それじゃあさ、今度一緒にお茶しない? 実は今日誘ってみようかってミサと話してたんだけど、すでにクロス君いなくなっちゃってて……だから日にちを変えて、どうかな?」
「ああ、構わない」
「やったぁ! それじゃあ来週の休日はどう? 美味しいドーナツ屋さん知ってるんだ♪」
「リファちゃんと入学前に街で行った所だね。美味しかったなぁ」
「…………」
「クロス君?」
少し考え込んだ俺に気付いたリファが覗き込むように声を掛けてくる。
「ドーナツ、嫌いだった?」
「いや、そんな事はない。……なぁ、ちょっと聞きたいんだが……」
「なあに?」
「今日俺を探したりしたか? 『約束したのに』とか言いいながら」
「あれ、何で知ってるの? 実は追いかけて少し探しに行ったんだ。でもすぐ諦めて二人で食べに行っちゃったけど」
「あと、約束したのにじゃなくて約束しようとしたのに……です」
「……そうか」
――聞き間違いをしただけで嘘はついてなかったんだな……
「じゃあクロス君、来週の休日、空けといてね!」
「楽しみにしてますっ」
そして俺達は別れて寮への帰路についた。
時刻はすでに夕方近くになっている。
――腹が減ったな……
さすがに朝食べたっきりであんな事件まであったのだ。空腹も限界ってもんである。それと……
「嘘吐き呼ばわりは悪い事をしたな……」
今度話すタイミングがあったらレミーラにちゃんと謝ろう――そう心に決め、とりあえず今は寮の食堂へと急いだのであった。
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「あら、アンタ。今日も随分早いじゃないか」
この間の救世主、食堂のおばちゃんに覚えられてしまっていた。
「あの子と仲直りはしたのかい?」
「いや、むしろ悪化したというか……」
「アンタ、女の扱い分かってなさそうだもんねぇ」
「…………」
――あいつの場合、扱いとかいう問題なのかが疑問だが……
「いいかい? 女ってのはヘソ曲げたらなかなか直んないんだ。そうなる前に、解決するんだよ」
「もう曲がり切ってると思うんだが……でも俺の早とちりで傷付けたかもしれない。それについてはちゃんと謝るよ」
「おっ、偉いじゃないか! どんな場合でも自分が悪い事したら謝るのは大切だよ。特に人間関係はね。相手も悪いからとか謝らないからとか、それは自分が謝らない理由にならないからね」
正直、向こうにも非はあると思っている。
――でも俺に対して何も悪いと思ってないだろうからなぁ、あいつ……
「アンタに一つ忠告だ。女はただ謝ってもダメだからね? 理由も分からず謝った日には痛い目見るよ。気を付けな!」
「……覚えておく」
「それじゃ、注文を聞こうかね。今日は何にするかい?」
「日替わり定食、大盛で!」
「あいよ! 応援も込めて特盛にしてあげようかね」
「――っ⁉ 空腹が限界だったんだ、ありがとう」
そして俺はやっと本日二度目の食事にありつけたのだった。