第9話 戦闘開始。風の守護持ち、ダスカーベア
その生物の行方を追うのは簡単だった。
草木が薙ぎ倒され、明らかに何かが通った跡が残っている。
しかし気になる事が一つ。
木々を薙ぎ倒している事からも分かる通り、どう見ても巨大な何かが通ったはずなのに、その生物の足跡が一つも無いのだ。
「動物……じゃ、ないよなぁ」
「ああ、残ってる気配で分かる。魔物だ」
獣臭さも残っているが魔物特有の臭気も感じられる。大きさ=強さではないが、生身の人間では巨大な動物ってだけでも襲われたらひとたまりもないだろう。
「街道に出る前にどこかで留まってくれてる事を願うぜ」
「……とにかく急ぐしかない。戦闘準備、しながら行くぞ」
「だな。じゃあまずは連絡だ」
そう言ってゼルは腕輪を起動すると、昨日教えられたばかりの緊急回線を繋げた。
――ああ、そうか。緊急時には必ず連絡、だったよな
「一学年Hクラス、ゼルディア・フォン・デゥーイが報告します。ただいま学院から街に向かう街道で魔物と思しき生物と遭遇、追跡中です。負傷者多数、応援が来るまでの魔法使用許可を求めます」
普段のおちゃらけた雰囲気とはガラッと変わり、ゼルが落ち着いた声で的確な状況報告を上げ指示を仰いだ。
ドスの効いた知らない声で即座に応答が入る。
『……了解だ。魔法使用制限をレベル2に引き上げる。目標を発見し次第、即時報告しろ。決して安易に戦うんじゃねーぞ? それとナビィを呼び出せ。それで回線が映像に切り替わる』
「了解」
続けざまにハスキーな、これまた知らない声で応答が入る。
『こちらも確認した。現場に討伐部隊と医療班を要請、数分で到着する。周辺の地図を送るから街道までの距離を常に注視してくれ』
「了解。追跡を続けます」
ゼルが連絡を入れている間、探究の眼を掛けた俺の目に目標の姿が映った。
街道までは残り百メートルを切ろうとしている。
被害を最小限にしようと思ったら、もう迷っている暇は無かった。
俺も腕輪で緊急回線を繋げ、対象物へ取る行動を報告する。
「一学年Hクラス、クロス=リーリウム。目標を発見。こちらに気を引き付けます。ゼル、あとの報告は頼んだぞ」
「えっ⁉ ちょ――」
『許可する。街道には絶対に出すんじゃねーぞ!』
「了解」
跳躍の翼の魔法を足に掛け、地面を踏み抜き一気に目標物へと距離を詰める。
その勢いのまま飛び蹴りをかました。
「グガァァァーーッ」
身体強化で強化した身体とフライの脚力が相まった飛び蹴りは目標物の巨体を数メートル先へと吹っ飛ばす。
体勢を崩したその生物はゆっくりと起き上がり、こちらに顔を向けると獰猛な唸り声を上げた。
「ちょっと俺の相手、してくれよ」
「グルル――」
見た目はまんま熊、しかしその大きさは動物の熊としては有り得ない程大きかった。四メートルはあろうかという巨体が二足歩行で立ち上がると、それはもうまさに壁だ。
その巨体は何か黒い、禍々しいオーラを纏っている。やはり、魔物だ――。
「多分意味ないだろうけど、一応やってみるか……“地割振動”!」
地面に両手を着け、魔物の足元に地割れを起こす。しかし案の定、思った通りの結果で終わる。
「おいおい。あの巨体、浮いてんのか?」
「ああ、あの重量で足跡が一つもなかったんだ。地面割っても体勢を崩さないのはそういう事だろう」
――厄介だな。あの魔物は見た目の割に機敏で体を覆う体毛は鋼のように硬い。しかもこいつは……
「風の守護持ち……ダスカーベア」
その瞬間、魔物を中心に物凄い突風が吹き荒れた。両腕を高く上げ、その手を勢いよく振り下ろすと、風の刃が俺達を襲う。
「ゼル!」
「あいよっと」
二手に分かれてそれを避けると、背後の木々が綺麗な断面を見せて倒れていく。
俺はこの魔物を知っていた。
元々はダスカー山脈という場所に生息していた只の熊。それがいつの間にか魔物となり、世界各地で目撃されるようになったのだ。俺の住んでいた場所でも稀に遭遇する事があった。
ダスカーベアは物理も魔法も弾く、その体毛が少ない所を狙って攻撃するのが順当な倒し方である。しかし今目の前にいる魔物にはまるで守るように発生している風が鎧のように纏わりついて攻撃自体が届かない。しかも不運な事に、今の俺達には武器が無かった。
『お前ら、倒そうと思うなよ? 時間を稼ぐ事だけに集中しろ。奴の頭脳指数は高くない。安全な距離をとりつつ、気を引きながら逃げ回れ』
「「了解」」
『ナビシステムに所持者の防衛を要請した。危険な時は物理防御と魔法反射を自動で施してくれる。応援部隊が到着するまで耐えてくれ』
その瞬間、腕輪から勝手にナビィが現れた。
胸の前で両手をグーにしながら「頑張って!」と応援され、その愛らしさに思わずほっこりしてしまう。
「何だよ……それ……」
「は?」
「何なんだよ……」
急にゼルがワナワナと震えだした。
「ナビィに女の子がいるなんて、聞いてねー!!」
「…………」
『『…………』』
――どうでもいいわっ!
「グオォォォ!!」
――魔物も無視されて怒ってんじゃねーか!
バカを無視し、魔物の気を引き付けるように繰り出される風の刃を避け続ける。
「おい、ふざけてないでお前も気を引き付けろ!!」
「わーってるよ!」
そう言ってゼルが火球を打ち込んでいく。
当たる前に風で掻き消されてしまうので攻撃としての意味はないのだが、注意を引くだけならこれを繰り返すだけで十分だろう。
俺達は互いが常に対角になるよう四方に動き、俺が囮、ゼルが牽制といった感じでダスカーベアの気を引き付けた。
しかしそれも束の間、魔物の様子がおかしくなる。
――この感じは……
その時、さらに緊急性を要する連絡が入った。
『緊急事態だ。一般街道の方にも魔物が確認された。動物の突然変異のようだが……向かわせた私の部下は付近の捜索にあたらせてもらう。恐らく、イビルホールが発生している』
「ちょっ! 治療してるルル達は――」
『そいつらなら大丈夫だ。双子の妹が結界を張り安全を確保している。俺の部下が間もなく到着するはずだしな』
『両街道に街の騎士達もそろそろ到着する頃だ。二人はこのまま――』
「間に合いませんよ」
俺は逃げ回るのを止め、巨大な魔物の前に躍り出た。
「この魔物、しっかり知能が有りますよ。俺達が陽動しかしてこない事に気付いて街道に向かおうとしてる」
『おい、下がれ! 入学したてのお前らを戦わせる訳にはいかねー!』
「そんな事言ってる場合じゃないだろう!!」
思わず声を張り上げ、俺は魔物に飛び掛かっていった。
しかし、いくら強化した肉体でも風の障壁に阻まれ拳や蹴りは届かない。さっきは油断の隙に不意打ちの一撃が決まったが、それでも吹っ飛ばす程度にしかならなかった。
さらに難儀なのが課せられた制限だ。狂戦士化などの魔法を使おうとすると腕輪から警告が発せられ、使いたくても使えないのである。
――無視して使えば倒す手もあるが……さすがにマズイな。下手したら退学になる
そう判断し、魔物から繰り出される攻撃を避けながら回線の向こうにいる人物へ要請を出した。
「俺はこの魔物の倒し方を知っています。戦闘許可さえもらえれば被害を最小限に防げる。討伐指示を!」
「俺も手伝うぜ! 民間人を危険に晒すなんて騎士失格だからな!」
そんな俺達の言葉に一瞬の沈黙の後、溜息交じりに渋々と言った感じで返答がなされる。
『それが最善……か。いいだろう、魔法の使用制限を戦闘可能レベルの3まで引き上げる』
『こちらも了解だ。だが、三分だ。それで騎士たちが到着する。命を懸けるような無茶は許可しない。確実性を持って行動にあたれ』
「「はい!」」
許可さえ下りればこっちのものだ。あの渦巻く風さえ何とかすればどうとでもなる。
「ゼル、炎だ! 奴を中心にこの一帯をドーム状で覆ってくれ。出来るだろ?」
「あ、ああ。でもお前、俺の炎は……」
「心配ない。やってくれ」
「りょーかいっ!」
ゼルが手の平を地面に着け魔力を込める。
すると身を包むように足元からゆらりと炎が立ち上った。
「行くぞ、ぶっ倒れんなよ! ――“炎獄”‼」
発すると同時、ゼルの手から赤黒い炎が噴き出した。
その炎は瞬く間に俺達を囲って半円のドームを形作り、そしてあっという間に中の酸素を消費していく。
――凄まじい炎だな……もう息が出来ない。だがこれで……
「お前の風も止んだな」
「グゥゥゥ――」
ニヤリと笑って自身に狂戦士化を施し、勢いをつけて魔物に殴り掛かる。
渾身の力で横っ面を殴り飛ばし、体勢を崩して地面に倒れる寸でで今度は思いきり空へと蹴り上げた。
巨体が浮き上がり、その頭上目掛けて跳躍すると、赤く血走った獰猛な眼と視線を合わせる。
「恨みは無いが今のお前を野放しには出来ない」
そして魔物の口をガッと掴み、その手に魔法を展開させた。
「この炎、使わせてもらうぞ。――“炎獄砲”‼」
ゼルの生み出した炎が魔力を込めた俺の手へと集まり、圧縮された炎が一気に放たれた。
その衝撃で大気が震える。
魔物の体内で盛大に爆発が起こると、弾かれた俺は空中で体勢を取り直し、ゼルの隣へと着地した。
「終わったぞ。この炎、早くどうにかしてくれ」
「……お前、いいとこ取りしやがったな」
不服そうな顔をしながらゼルが魔法を解くと、轟轟と燃えていた炎が跡形もなく鎮火していった。残ったのは円状に付いた焼け跡だけだ。跡が線状にしかない事からも、その魔力操作がいかに緻密だったのかが伺える。
涼しい風が肌を撫で、汗で張り付いた前髪をかき上げながら、肺一杯に深呼吸をした。
「にしても凄まじい炎だな。あれに巻かれたら数分と持ちそうもない」
「手加減してやったんだぜ? でもあんな一瞬でよく思い付いたな。風を無くすために密閉空間を作り出そうなんてさ」
そう互いを称賛し合っていると、回線の向こうから『ほんとにな』と通信が入った。
『良くやったな、一年坊主。入学早々の不運を無事解決したって事で、俺への軽口は見逃してやろう』
「軽口? ……あっ⁉」
――そういや言ったな……思わず出たタメ口が一回……
「すみません……」
『おう、口先だけだったらシメてたぜ。んじゃ、本題だ。俺の部下が今しがた街道に到着したと連絡が入った。魔物の討伐も一先ず終わって今は避難誘導を行っている。お前達二人はそこへ向かい、そいつに指示を仰いでくれ』
「「了解しました」」
『こちらからも報告だ。商業用の街道に街の騎士達が到着して安全確認と誘導が始まった。君達のおかげで無事避難が出来るだろう』
報告を聞き、俺とゼルはホッと胸を撫で下ろす。
『我々は引き続きイビルホールの捜索にあたらせてもらう。ご苦労だったね』
そして回線が切られると、俺達は揃って来た道を引き返した。
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「でもまさかこんな所で魔物に出くわすとはな~。しかも風の守護持ちとか、ビックリだぜ」
「ああ。街道にあまり人がいなかったのが不幸中の幸いだ」
そんな話をしながら街道へ出ると、そこにはルル達と何かを話す二人組の姿が見えた。私服だが、恐らくこの二人が部下と教えられた人物だろう。そのうちの一人が俺達を見つけてこちらに手を振ってきた。
「おーい! 君達が委員長から連絡のあった一年生だろう? ちょっとこっちへ来てくれよ!」
そう呼ばれ話の輪へ参加すると、二人組が自己紹介を始めた。
「初めまして! ボクは風紀委員実動部隊、二学年のリュカ=リオン。こっちの子はネア=マキーネ、同じ実動部隊の二年生だ。よろしくだゾ☆」
ニカッと八重歯を覗かせ快活に笑うリュカと名乗った女性の横で、正反対に無表情で佇むネアと紹介された女性が小さく会釈をしてくれた。
つられて会釈を返すと、今度は分析でもするかのような目を向けられる。
――何か、前にもこんな事があったような……
そう思ってちらりと視線を動かすと、不思議そうに小首を傾げるナナと目が合った。
「いやー、君達が通りかかってくれてよかったよ。怪我した人達もお礼を言ってたゾ!」
「魔物はどうなったんですか?」
「ボク達で倒したよん♪ 怪我人に子供もいてね、死骸を放っておくのもな~と思って浄化も終わらせといたゾ!」
「私達はあまり出る幕なかったわね。お二人が街に居てくれて助かりました」
「……ありがとう」
「謙遜はよすんだゾ! 君達の迅速な行動と判断は素晴らしかった。これは胸を張っていい事だゾ。な、ネアもそう思うだろ?」
「是。一人が治療に専念し、一人が守りに徹し救援を待つ。一番最適解な行動です」
――何か……また個性的な人達が出てきたな……
「そんな優秀な君達にお願いがあります! 聞いてくれるかニャ~?」
屈託のないその笑顔に俺達は嫌な予感がして押し黙る。……一人を除いて。
「はい、はぁ~い☆ キレカワなお姉さん達の頼みなら喜んでっ!」
満面の笑みで即答を返すゼルに、ルルとナナのジト目が怖い。
「助かるよ! それじゃあネア、説明よろしくだゾ☆」
「……了」
そしてネアは面倒臭そうに話し始めた。
「我々は生徒会からの連絡が入るまでこの場を離れられない。安全確保のためです。なので貴方方にはそれぞれ向かって欲しい場所があります。双子の貴方達は怪我人に付き添い診療所へ、赤髪の君は街の警備隊本部、そして黒髪の君、君は学院に戻り風紀委員会室へ向かって下さい。そこでこの事を詳しく説明してもらいます」
「それじゃ、よろしく頼んだゾ☆」
思わず「マジか……」と心の声が漏れた。
昼時が完全に過ぎている今、この雑用に否を唱えられない以上昼飯抜きが確定するのだ。
ルルは変わらずジト目でゼルを見やり、お腹が減ったと言っていたナナは鬼の形相でゼルを睨んでいる。珍しく感情が前面に出ていて、食べ物の恨みは恐ろしい事を知った。真っ先に了承を唱えたゼルもガックシ肩を落としている。
そんな三人へ俺はため息交じりに声を掛けた。
「……仕方ない。風紀委員長からも指示を仰げって言われてたんだ、外食はまた今度にして早く終わらせよう」
「ハァ……そうね。そして早めの夕飯を食べるとしましょうか」
「……ルル、早く行こう」
ルルの手首をガッと掴んで、ナナがすごい勢いで走って行った。
「ちょっと!」と焦ったルルの声はあっと言う間に聞こえなくなる。
「ナナがあんな食に貪欲だとは知らなかったな」
「……俺、来週からご機嫌取りに励むわ……」
「それがいいな。じゃあ俺も行くぞ」
「あっ、そうだ!」
そう言って背を向けた俺をゼルが呼び止めた。
「言い忘れてたぜ。お前、俺の炎を使って魔法を撃っただろ?」
「……ああ」
「ならもっとしっかり撃ってもらわねーとな。弱っちすぎて俺の炎が泣いてたぜ。だからいつか見せてやる。本当の炎獄砲をな」
予想外の発言に、思わず「プッ」っと吹き出してしまう。
「そうだな、お前の見せ場を取って悪かったよ。楽しみにしてる」
そして俺達は目的の場所へ向かって別れたのだった。