8、悪意の累積
結局、婚約者と義妹は遅い時間まで滞在していたらしい。
いかに楽しかったかと話す義妹の言葉を、エリザベスは適当に聞き流していた。
婚約者から手紙が来たのは、夜会の翌日の事。
『王太子殿下から歌劇の席を譲ってもらったので、同伴をして欲しい。劇場前で待ち合わせをしたい。服を贈るのでそれを着てほしい』と書かれた内容に、エリザベスは辟易した。
(また、私を貶めたいのかしら……?)
件の服は二日と経たずに送られてきた。
「ローズ様の分は先にお届けして参りました」
使用人に箱を置かせた家政婦長は、エリザベスの部屋へ入るなり、そんな事を言う。
(ローズの分……? 今度は、あの子の分まで?)
さぞかし、可憐なドレスを仕立てたのだろう。
エリザベスは想像するのも不快だった。
「此方でございます」
家政婦長が箱を開ける。
目に映るのは――黒一色。
(これって……)
家政婦長が掲げるそれは、どうみても葬礼用の衣服であった。
「どうかされましたか?」
何一つ疑問を持たないかのような態度の家政婦長に怖気が走った。
「準備しておきますね」
丁寧に衣装棚に掛けられたそれを、破り捨てたい気分だった。
「そう……喪服を? なんてひどい男なのかしら」
久し振りに落ちる、井戸の底。
使用人達の目をかいくぐり、何とかたどり着く事が出来た。
手がかりの無いサラの行方を相談し、ついでに婚約者との出来事をエリザベスは訥々と語っていた。
古びた長椅子に並んで座り、フランチェスカは優しく頭を撫でてくれる。
ずっとエリザベスが求めていた行為であった。
「私、決めたわ」
項垂れていたエリザベスは、決意を現すように前を向く。
「あの人の顔も見たくない。明日は行かないわ」
「落ち着いて、エリザベス」
彼女の背中を擦るフランチェスカ。
「そんな事をしてみなさいな。貴方がどんな仕打ちを受けるか分からないわ」
父の顔を思い出す。
確かに、あの男ならば、エリザベスがどんな仕打ちを受けようと耐えるよう命じるだろう。
嫌悪の感情を隠さないエリザベスを見て、フランチェスカは自分の胸を叩く。
「私に任せなさい。代わりに行ってくるわ」
「でも……」
そう返しつつも、期待を込めた目でフランチェスカを見てしまうのは、罪深い事なのか。
「大丈夫。それに、違う目で見れば、手がかりを見つけられるかもしれないでしょ?」
その言葉に押し切られるように、二人は手を合わせた。
きいきい、と二体の人形が揺れる。
天井から吊るされる人形は、いつの間にか数が増えていた。
(いいわね、貴女達は仲良しで)
手足をじたばたと動かすさまを、エリザベスはぼんやり眺めていた。
フランチェスカと魂を交換し、エリザベスは静かに地下室に座っていた。
思い出すのは、幼き日の優しさに満ちた時間。
そして、先日の夜会の事。
『とても似合っていたのに』
その言葉が、エリザベスの心に、ずっと残っていた。
(あのような方が不遇な目に合うなんて……)
自分の想いを肯定する言葉、思いやりに満ちた眼差し。
ザフィーア公爵との遣り取りを繰り返し思い出していた時――そっと扉が開けられる。
そこから覗くのは、榛色の瞳。
「戻ったわよ」
フランチェスカは、いかにもうんざり、といった様子であった。
身に纏うのは、婚約者が贈ってきた黒い衣服。
やはり、歌劇というより葬礼に行って来たかのような出で立ちであった。
「おかえりなさい、フランチェスカ」
どうだったかと質問の意を込めて見つめてみれば、彼女はゆっくりと肩を竦めるだけ。
「……どうしようもない男ね」
貴女は来なくて正解だったわ、と大きく嘆息した。
「劇場に着くなり、ローズと熱く抱き合っちゃって。しかも、『席は二人分しか取っていないから待っていろ』なーんて言うんですもの。あの時のローズの顔ったら!」
肩に掛かった髪を乱暴に払いながら告げられた言葉に、エリザベスは絶句した。
「なんて酷い事を……」
「お義母様たちも、『兄妹なのだから当然でしょ』としか言わないもの」
仮にも婚約者のいる男性が、公の場で他の令嬢と抱き合うなんて――エリザベスの常識では考えられない行為だった。
(『義理の兄妹』を建前に、そのような事をしていたのね)
浅慮な振る舞いをする二人にも、それを認める周囲にも、ただただ気持ち悪さしか感じなかった。
(早く、サラがどうなったのかを突き止めて、この屋敷を出るしかないわ)
フランチェスカと手を合わせながら、エリザベスは改めて決意した。