7、運命の夜会
いくら嘆こうと日は巡り、そして日は暮れる。
婚約者の指定した質素なドレスに身を包んだエリザベスは、義妹と共にスマラクト家の馬車に乗っていた。
自分の正面には、婚約者が座る。
最初に此方を一瞥した後、彼は窓の景色をずっと見ていた。
ザフィーア公爵家の屋敷は、王族の住まいだけあって、スマラクト公爵家にも引けを取らない規模だった。
集まる面々は、エリザベスとそう変わらぬ年頃の男女達。
この中で年少のローズは注目を浴びていた。
着飾った彼女の隣にいるだけで、自分がみすぼらしく思えてしまう。
「やあ、ヘンリー。彼女が噂の婚約者かい?」
「確かに、ヘンリーの言う通りだな」
婚約者の友人らしき令息たちが思わせぶりな笑みを浮かべているのを見ると、婚約者が自分を厭っている事は有名なのだろう。
「エリザベス・グラナート様ですね? 一度お話してみたかったの」
他の令嬢達からも頻繁に声を掛けられた。
「本当に、羨ましいですわ」と示し合わせて微笑まれては、なんとも遣る瀬無い。
(……もう、そっとしておいて)
夜会の場に相応しく、煌びやかで、多少露出した令嬢達と見比べると、エリザベスの格好は明らかに見劣りする。
唯一の救いは、家政婦長が髪と化粧を整えてくれたことか。
地味なドレスと合う程度に、華やかに仕上げてくれた。
「では、ごきげんよう……」
興味を失った令嬢達から解放されたので、休息を求めて会場の隅へ移動した。
飲み物を片手に会場を見やると、ローズを囲む婚約者と王太子の姿。
(本当に、あの子は誰からも愛されるのね……)
濃い橙色のドレスに身を包んだ彼女は、本当に愛らしい。
「グラナート嬢、気分が悪いのですか?」
不意に掛けられた言葉に身を震わせ、恐る恐る振り向く。
そこにいたのは、金髪碧眼の青年。
王太子の兄であるライアン・ザフィーア公爵だろう。
此方を気遣う碧い瞳は、地下室にいる“彼女”を連想させて――エリザベスは無意識に微笑んでいた。
「大丈夫ですわ、公爵閣下。このような場に出るのは初めてなので、すこし緊張していましたの」
その言葉に、安堵したような笑みを見せる公爵。
フランチェスカが人間の体を得ていたら、きっとこんな風に笑うのだろう。
「それは良かった。ヘンリー・スマラクト殿は、貴女を公の場に出さないことで有名だから……このような場所は好かないのかと」
社交から遠ざかっている公爵でさえ、自分の不仲を知っているらしい。
(本当に、私達の事は有名なのね……結婚して大丈夫なのかしら……)
「今日は……随分と……雰囲気が違うのですね」
慎重に言葉を選んでいる様子の公爵は、遠慮がちにエリザベスの足元までを一瞥する。
先日の茶会の席での姿と比べているのだろう。
フランチェスカが、母の形見のドレスを着ていた筈だ。
「ええ……」
何一つ、世辞を言える部分が無いのだろう。エリザベスも良く分かっていた。
「そうか……勿体ないな。とても似合っていたのに」
その言葉に、エリザベスの目元が潤む。
(似合っていた、なんて……)
「兄さん!」
「ありがとうございます!」
王太子の声とエリザベスの声が重なる。
周りの時間が止まっているかのように感じた。
「あの時のドレスは、母の形見で……ほめてくださったのは、閣下だけですわ」
堰を切ったかのように言葉が溢れる。
「そうか……」
碧い瞳が翳りを帯びた。
悼むような感情を覗かせる眼差しに、エリザベスの心は温かくなる。
(“フランチェスカの再来”だなんて……この方は悪徳の象徴なんかじゃないわ……私に親身に接してくれたのは、フランチェスカや閣下だけなのに……)
「エリザベス。何を言って……」
いつの間にか婚約者が隣に来ていたようだ。
エリザベスは強引に手を取られ、勢い余ってグラスの中身が零れる。
誰かの息を呑む声が聞こえた。
「ああ、これはひどいな……よかったら……」
恐る恐るハンカチを差し出す公爵に、エリザベスはゆっくりと首を振る。
これ以上、彼に迷惑を掛けるわけにはいかない。
服が濡れる感覚も、周囲の囁く声も、エリザベスは気にならなかった。
「ご迷惑を掛けて申し訳ありませんでした。私は失礼いたします」
この服も、この夜会も、エリザベスには価値が無い。
自分の体面など、もう既に地に落ちているのだから。
「ヘンリー様」
憮然としている彼に声を掛ける。
久し振りに、婚約者の名前を呼んだ気がした。
「馬車をお借りしますね」
スマラクト家の馬車で来てしまった以上、それに乗って帰るしかない。
エリザベスは自分がひとまず帰り、その後にザフィーア公爵邸へ戻ってもらう算段を立てた。
婚約者とローズは残ればいい。
「いや、ああ……好きにしてくれ……」
彼は口ごもると、王太子とローズがいる場所へと戻る。
その振る舞いを見て、エリザベスも心が軽くなった。
(私よりもローズを大事に思っていることを隠さないなら、遠慮する必要も無いわ)
エリザベスはザフィーア公爵に一礼すると、出口へと足を進める。
「グラナート嬢。屋敷の者に送らせましょう」
彼の視線を受けて、男女の使用人が近付いてくる。
この場で自分を気遣ってくれるのは、彼一人。
「申し訳ありません、閣下……」
丁寧に礼を取ると、エリザベスは会場を後にした。
来た時とは違い、毅然と前を見て歩く。
たった一人。誰かに自分を認めてもらえたことで、エリザベスは満たされていた。