19、女王は理想郷を下賜する
「本当に、大丈夫ですか?」
先に馬車を降りたザフィーア公爵は、気遣わしげな視線を送ってくる。
「……ええ」
彼の手を取って馬車を出たフランチェスカの眼前には、騎士達が守る門があった。
エリザベスの父を始め、グラナート伯爵家に関わる者達を一時的に預かる場所として、グリンマー侯爵が貸し出した別邸だ。
父と面会したいと希望した彼女の為に、ザフィーア公爵がこの機会を設けてくれた。
「本当に、申し訳ありません……閣下のお手を煩わせてしまって……」
「他ならぬ、貴女の為ですから」
手を握ったまま微笑む公爵から、フランチェスカはさりげなく距離を取る。
この男は、随分と遠慮が無くなったように思えた。
躊躇するような素振りは消え、エリザベスの隣で尽くす行為は当然だという振る舞い――あの娘には堪らないだろうな、という感想しかない。
ヘンリー・スマラクトにもう少し器用さや図々しさがあれば、この場所には彼が立っていた筈だろう。
別邸の奥、とりわけ厳重に監視された部屋に、リチャード・グラナートの姿はあった。
力なく座る姿は、屋敷にいた頃より弱々しい印象を与えていた。
彼は開かれた扉を虚ろな眼差しで見つめ――フランチェスカの姿を前に目を見開いた。
「エリザベスっ」
ふらついた足で此方に駆け寄ろうとして、護衛の騎士に押し留められる。
「……閣下、暫く二人にしていただけないでしょうか?」
「しかし……」
「これが、最後かもしれないのです」
フランチェスカの申し出に、公爵は暫し逡巡した後、騎士達を連れて退室した。
開け放たれた扉の外で待機している姿が見える。
「大丈夫か? 何があったんだ? 怪我は無いか?」
「お父様」
質問を重ねるグラナート伯爵を制し、フランチェスカは悠然と微笑む。
「アネット・グラナート前夫人を……お母様を手に掛けたという疑惑は本当なのでしょうか?」
その問いに、伯爵は慄然とした表情を見せる。
「何度も聞かれたが……私は、アネットを……」
愛する娘にまで疑念を抱かれた事に、彼は動揺しているのだろう。
(まあ、無理もないわね……アネットは自然死でしょうし)
彼女が心臓に不調を抱えていたのは本当だと、フランチェスカは推定している。
おそらく、エリザベスもその体質を受け継いでいる。
妊娠・出産を契機に悪化する可能性もあるし――しかし、教会によって医療の発展を妨げられたこの時代では、手の施しようが無かっただろう。
まあ、フランチェスカにとっては些末な事。
『エリザベスが非情な父によって愛する母を失った』――それが真実になる。
この男が罪を負う事で、グリンマー侯爵が、ザフィーア公爵が、そしてエリザベスが幸せになるのだから。
フランチェスカの役目は、女王として、優れた道化を労う事だろう。
そっと、伯爵の胸に縋る。
「お父様……」
外に聞こえないよう、小声で囁く。
「ご苦労様。まあまあ楽しめたわ」
エリザベスの肩に触れようとした伯爵の手が、硬直したように止まった。
「御許でアネットと巡り合えるように、祈って差し上げる」
彼を見上げ、にっこりと微笑む。
亡き夫も、これぐらいは許してくれるだろうと信じて。
「お前は……」
伯爵は急遽、フランチェスカを突き飛ばした。
尻餅をついたフランチェスカが見上げると、彼は一転して凄まじい形相で此方を見ていた。
「お前は……お前は娘じゃない」
騎士達に取り押さえられながらも、伯爵は「エリザベスをどうした」「娘を返せ」と叫び続けている。
(御可哀想……本当にエリザベスを愛していたのにね)
『口に出さずとも問題ない』――そう考えていたことが、この男の失態。
(この小娘はね、貪欲なの。全身全霊を掛けて愛を実感したいの)
公爵に抱きかかえられながら、フランチェスカは肩を竦めた。
「エリザベス……」
「私は大丈夫ですわ、閣下」
フランチェスカの笑みに、彼は安堵した様子を見せる。
(後は、サラとして証言してあげるだけね)
遠ざかって行くグラナート伯爵の叫びを聞きながら、フランチェスカはほくそ笑む。
大義を得たグリンマー侯爵。
自らが正義を成していると自尊心を得たザフィーア公爵。
そして、不幸な自分に酔いしれるエリザベス。
褒美としては十分すぎる位であろう――フランチェスカは自らの采配に満足した。




