あこがれ
リチャード・グラナート伯爵は、打算でリリー・カルネオル子爵令嬢に結婚を申し込んだ。
当時の伯爵は後継となる男児を儲ける必要があったが、愛娘のエリザベスを尊重できる、弁えた後妻を探していた。
その点において、実家が困窮していたリリーが最適と判断した。
リリーは穏やかな女性であり、使用人達からの印象は悪くなかった。
しかし、エリザベスは義母を絶えず罵り、見かねた親類がエリザベスを預かろうとしても癇癪を起こす。
伯爵夫人としての務めや男児を産む事への重圧に、義理の娘との確執――リリーの心労は絶えず、医師の薬なしには安寧を保てない時期もあった。
伯爵は責任を感じ、夫婦の間には少なからず情も生まれた。
エリザベスも別館で過ごす内に落ち着きを取り戻し、義理の母子が穏やかに会話する光景を見て、伯爵は胸を撫で下ろした。
ローズが生まれた時、伯爵夫妻は落胆した。
次こそは男児を――と願ったが、数年経っても子を授かる気配は無かった。
伯爵は男児を諦めて、グラナート家の親類からローズの婿を迎える事に決める。
そこで、今まで養育係に任せきりだったローズに改めて教育を施そうとした。
しかし、ローズは『期待されていない娘』として養育係も手を抜いていた。
そして宛がわれた侍女達はローズに同情し、ただ甘やかすだけ。
その結果、ローズは物覚えが悪く、礼儀も身に着かない不出来な娘となっていた。
それでも、伯爵夫妻にとっては、ローズの朗らかさが癒しとなっていた。
再婚によって距離が出来たエリザベスにも、ローズは人懐っこく話し掛ける――その姿に、ささやかな幸せを感じていた。
『エリザベスお嬢様を見習って……』
古くから伯爵家に仕える使用人達は、ローズの言動に眉を顰め、優秀なエリザベスと何かにつけて比較した。
お嬢様は公爵家に嫁ぐ大事な方なのだからと、別館を訪ねる事は許されなかった。
それでも、美しくて優しいエリザベスは、ローズの憧れであった。
彼女が姉と交流を図る事が出来たのは、主にヘンリー・スマラクトの配慮によるものであった。
姉が婚約者を持て成す様子を覗いていた時、ヘンリーは快く迎えてくれた。
それから、二人が会う時には同席するようになった。
姉と婚約者が向かい合う姿は、とても眩しく見えた。
長い付き合いがあっても互いに恥じらう姿は、物語の恋人達のようであった。
同じ年頃の侍女達と、二人の進展について話し合う機会も多かった。
姉と共に参加した社交の場は、ローズの知らない世界であった。
一番の驚きは、本当の王子様に出会った事。
金茶色の髪をした彼は美しく、彼と結婚するお姫様はどんな人なのだろうと想像した。
ある日、母に初めて叱られた。
自分のせいで姉の婚約が駄目になるかも――そう聞かされて、その日は憂鬱だった。
しかし、二人がすぐ結婚すると聞いて、胸を撫で下ろした。
姉に届けられたのは、スマラクト公爵家で代々受け継がれている婚礼用のドレス。
各所にあしらわれた宝石や年代物の美しいレースに、ローズは息を呑んだ。
自分もこのようなドレスが着たい――そう零して、母に呆れられた。
ドレスは所々ほつれていたが、お針子達の手によって直されていく。
日に日に輝きを増すドレスが羨ましくて、ローズは姉の顔を見る度に話題にせずにはいられなかった。
そして結婚式の前日――
姉との別れが寂しくて、寝付けずにいると、自分を呼ぶ声がした。
扉の外には、白いうさぎのぬいぐるみ。
(お姉様が貰ったうさぎさん?)
自分を誘うように振る手が愛らしく、思わず後を追った。
うさぎが誘った場所は、姉のドレスを保管している部屋。
月明りの下でも綺麗なドレスに見惚れていると――
「ローズ様」
女性の声に、身を竦める。
叱られるのかと振り向けば――
「……誰?」
見覚えのない、赤毛の女性が立っていた。
「このドレス、着てみますか?」
「いいの?」
姉の大事な衣装を勝手に来てもいいのか――と躊躇う気持ちもあったが。
優しい微笑みに誘われて、ローズは頷いた。
「花嫁さんごっこをしましょうか」
少し大きいドレスを着て、女性に支えられながら屋敷を出る。
裏庭に入り、ローズが井戸の縁に腰掛けると、女性は飲み物が入ったグラスを差し出した。
「これが花嫁の儀式ですよ」
月明りに照らされて、赤い液体が綺麗に輝いていた。
自分が大人になったような感覚に高揚し、ローズはグラスを手に取った。
そして、その中身を――
気が付いた時には自分の部屋にいて、周囲の大人達は怒ったり泣いたりしていた。
何があったと問われ、正直に話したが、ぬいぐるみの所でもういいと言われる始末。
頭痛やだるさが長引き、寝台から出られたのはその日の夜。
水が欲しくて部屋を出ると、そこにいたのはぬいぐるみ。
「この前の、うさぎさん……?」
再び自分を誘うような動きを見て、後を追う。
辿り着いた先は、昨日と同じ裏庭。
「ローズ嬢」
物陰から、一人の男性が姿を現した。
月明りに光る、金茶の髪。
「王子様?」
王太子殿下と呼ぶんだ――ヘンリーに言われた言葉も忘れて、ローズは呟く。
「どうして……」
「伝えたいことが……いや、それより、昨日は此処で何があった? 君はどうして……」
王太子は真剣な面持ちで、ローズの肩を強く掴む。
痛みや恐怖を感じたローズは、相手を押しのけて逃げようとしたが――
「汚らわしい」
憎悪を滲ませた声に、足を止める。
この人は、どうして、そんな顔をしているんだろう――と疑問を抱くが。
体を襲う衝撃に、意識を手放した。
こうして、 ローズ・グラナートはその生涯を終えた。




