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悪徳のフランチェスカ  作者: 長月 灯
令嬢は感傷に浸る
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1、灰色の日常

 贅を凝らした客間で、エリザベス・グラナートは彼と向かい合う。

 自分の隣には、いつものように我が物顔で振る舞う義妹の姿。

 屋敷のこと、勉学のこと、流行りの菓子のこと――取り留めない義妹の話に、彼は微笑み、相槌を打つ。


 エリザベスが声を掛けると、彼はむっつりと黙り込み、此方を見ようともしない。

 それを見て、義妹はいつもくすくすと笑うのだ。

(……早く終わればいいのに)



 婚約者が訪ねてくる時間は、エリザベスにとって苦痛でしかなかった。

 彼女が会いたくないと渋っても、父は叱り、折角決まった婚約なのだから努力するよう命じる。

 使用人達が、惨めな自分を見て口の端を持ち上げている事を知っているくせに。


 いつしか彼女は諦めるようになっていた。

 何も考えずに口角を上げ、時間が過ぎるのを待てばいい。

 部屋に戻れば、侍女が労わってくれる。

『ひどいお方ですね』と怒り、背中を擦ってくれる。


 義妹との会話を楽しむ婚約者は、紅茶を二杯三杯とお代わりして時間を過ごす。

 茶すら喉を通らないエリザベスは、なるべく物音を立てないように身をこわばらせていた。


 周りに聞こえるのではないかと思うくらいに、荒く、早く、胸の鼓動が響く。

 二人の話し声を遠くに感じた。



 エリザベスにとっては気の遠くなるような時間が経つと、ようやく婚約者は屋敷を去った。

「また来るから」と告げる時も、エリザベスの顔など見ようともしない。

 そんな彼の背を見送ると、義妹は無邪気な笑みで自分に言うのだ。

「とても楽しかったわ、お義姉様。またご一緒してもいいかしら?」

「ええ、私も嬉しいわ」

 心にもない言葉を作り笑いで述べると、エリザベスは逃げるようにして自室へと戻った。



 伯爵家の本館とは廊下一本で繋がっているだけの小さな別館に、エリザベスの自室がある。


 母を病気で失い、父がすぐに再婚してから、エリザベスの自室はここに移された。

 寝室や食堂も備わっており、彼女は人生の大半をここで過ごしている。


 固い表情で頭を下げる使用人達の前を足早に通り、自室に入ると、中にいた人物に抱き着いた。

「サラ、戻ったわ」

 エリザベスと同じ年齢の彼女は、身の回りの世話と話し相手を兼ねて雇われた侍女だった。

「お嬢様、辛い思いをされたのですね? お可哀想に……」

 彼女は優しく頬に手を当てると、エリザベスの潤む目元を拭った。

 距離を置く使用人達とは違い、自分に親身に接してくれるサラを、エリザベスは姉のように慕っていた。


「お香を焚きましょうか? それともお茶が必要ですか?」

「お茶が欲しいわ。何も飲めなかったの」

「では、すっきりするように薄荷を入れましょうね」

 サラは薄荷の香りを余り好まないらしい。

 それでも、主人が好む茶をいつも準備してくれる。

 甲斐甲斐しく世話をしてくれる彼女の姿に、エリザベスの心が少しずつ晴れていく。


 ふと、飾り棚に目が行った。

 右端の何もない部分を見て、思わず溜め息が漏れた。

「サラ、あそこに置いていた髪留めは……」

 爽やかな香りが漂うポットを持ってきたサラの顔が曇る。

「申し訳ありません。ローズ様が……」

 あの義妹は、自分の私物を勝手に持ち去るらしい。

 エリザベスが不在の時に来られては、サラも逆らえないのだろう。

「……仕方ないわ」

 あれは婚約者が義務で贈ってくれただけの物。

 義妹が持ったほうが喜ぶだろう――エリザベスは諦めていた。

(私には、お母様の形見だけあればいいの)

 大事な物は、人目に付かない所に隠しているのだから。


 暖かい茶で喉を潤していたとき、扉が叩かれた。

 夕食の準備ができたのかと思ったが、入って来た女中は「旦那様がお帰りです」と告げた。


 当主を務める父は多忙で、屋敷にいる時間は少ない。

 たまに戻ってきた時は、家族全員で食事をとることが決められていた。

 幼い時のエリザベスは、自分はあの場所に居たくないと拒否したこともあったが、父に頬をぶたれてからは従うようにしている。


「すぐに行くわ」

 では御召し物を、という女中の言葉に首を振った。

 そんなやり取りに慣れていた女中は、軽く鼻を鳴らす。


 母が亡くなってから、エリザベスは簡素で色味を抑えた服ばかり着るようになった。

 見苦しいと思ったのか、父が衣服を与えてくる事もあったが、一度も袖を通していない。

 婚約者に厭われている自分が着飾っても、滑稽に思えてしまう。


「サラ、行ってくるわね」

 孤児院育ちのサラは、屋敷の中でも立場が低いらしい。

 エリザベスが本館に向かう際は、いつも待機を命じられる。

「……行ってらっしゃいませ」

 サラに声を掛けると、彼女は気遣わし気に此方を見る。

 その視線だけが、エリザベスの救いだった。



 不愛想な女中を従え、本館へ向かう。

 正餐の場となる大食堂へ行くには、屋敷の玄関広間を横切る必要がある。


 広間に入ると、大きな絵画が嫌でも目についた。

 金髪碧眼の女性が胸を短剣で刺し貫かれている絵だ。

 彼女は苦悶の表情を浮かべながらも、自らを手に掛ける黒髪の騎士の腕を掴み抵抗する素振りを見せている。


 遙か昔、この国を発展させた女王にして、悪徳の限りを尽くしたフランチェスカが息子に処断された場面だ。

 彼女は永遠の美貌を得るため、禁忌に触れ人心を乱したという。

 黒髪の騎士は母の乱行を大いに恥じ、子孫達にも母のようにならぬよう強く戒めた。

 以来、この絵は、悪徳を戒めるものとして、王宮や貴族達の屋敷に飾られている。

 この慣習は数百年以上経った今でも変わらず、金髪碧眼の第一王子が、“フランチェスカの再来”と呼ばれ不遇な扱いを受けているとも聞いている。


 エリザベスの母は、この絵の前でいつも娘に言い聞かせてきた。

 いつも正しい心を持つようにと――


 向かい側から、義母と義妹を伴う父の姿が見えた。

 華美な衣装に身を包む義妹と自分を見比べて、彼は小さく首を振る。

 エリザベスはそんな父に気付かないふりをして、再び絵を見上げた。

(“正しさ”は報われる時が来るのかしら……?)

 高潔な母は死んだ。傲慢な義妹ばかりが皆に愛される。

(私もいつか、こうやって排除されてしまいそうね)

 ふと、黒髪の騎士が、冷たい婚約者と重なって見えた。

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