円卓の謎解き
あくる日の午後、鴨川浮音と佐原有作に呼び出されて三条のイノダコーヒ本店へと向かった薫と深雪は、ボーイに案内されて二人の待ち構えている一階のテーブル席へ通された。
「――で、どこであのグループが犯人だってわかったんですか」
三宅が本業の新聞記者顔負けに問うと、鴨川浮音はミルクのたっぷり入った、イノダ名物「アラビアの真珠」を一口なめてから、
「――事件のあとに金をバラまくようなバカが犯人でなかったら、たぶんわからへんかったかもしれんなあ」
「詳しく、頼めるかしら」
「――D大の自動車クラブは、シーズン以外はほとんど飲んでばかりの、いわゆる『飲みサー』やったんやけど、その資金は部の名義で管理している乗用車を使った白タク行為で賄われとったんや。最初の犯行は、今の部長が入った五年前にまでさかのぼれるそうや」
「ところが、まじめな性格の木澤くんはその行為が許せずに、集めた証拠を警察へ突き出そうとした。それを恐れた部の連中は、彼をしこたま酔わせた後に嵐電に乗せて、揺れが来たらあの分岐点で転げ落ちて刺さるように、胸元へナイフを仕掛けた」
「ところがどっこい、それが立証できても、今度は肝心の白タクの証拠があらへん。そこで、僕は酒飲みの東野くんに協力してもらって、一計を案じたんや。それが――」
「それが、繁華街で終電や終バスが過ぎるまで飲んで、バス停や駅の周りをうろついて、白タクの呼び子が話しかけるのを待つって作戦だったんだって。で、この前の晩にようやく遭遇できたんだよね?」
「そういうことや。いやあ、ながい道のりやった……。んで、そこで料金を払うときに、僕と東野くんはちょっとした仕掛けをほどこしたんや。それがこいつなんやけどね」
帯に挟んだ長財布から千円札を抜き取ると、浮音はそれをテーブルの上に置いた。そこに置かれていたのは、いつかの晩に佐原が見せられた、あの五芒星入りの千円札だった。
「この落書き入りの千円がどこへ動くか――。県外に出られてたらおしまいやったけど、あいつらはあろうことか、それを次の日に、行きつけの北野白梅町の居酒屋で使うたんや。やつらが出てった後にレジに行って、それが確かにさっきの客から受け取ったものだという言質と写真を写したときには、天にも昇る心地やったなあ」
「そうか、タクシー会社にそれがあるならともかく、普通の学生たちの財布からそれが出てきたらおかしいわよね。しかも、次の日に……」
薫の指摘に、さすが三宅ちゃんやな、と浮音は軽くウインクをする。
「――鴨川さん、すいませんでした。私、佐原さんからお話を伺って、本当に解決するか疑ってました」
謝る深雪を、浮音はまあまあ、となだめる。
「なあに、しゃあないしゃあない。なんせ、白タクがらみはウラに怖いおっちゃんらが絡んどる場合があるから、もしものときにと思うて、佐原くんは呼べへんかったんや。――佐原くん、きみの名誉にために言うとくと、東野くんもこりゃ危ないと思うたときには呼ばんかったんやで?」
通りがかったボーイに、空になったお冷のグラスを替えてもらうと、そこまで話し終えていた佐原は、軽く会釈をしてから、空いた椅子の上に置いてあった各社の朝刊を真っ新なテーブルクロスの上に広げた。どの新聞も、一面の中段辺りに「集団白タク摘発 黒幕はD大自動車クラブ員 嵐電殺人事件にも関与か」というような趣旨の見出しをつけて、事件を大々的に報じている。
「――一度に二つ、懸念事項が消えたもんだから、タクシーの組合と嵐電から表彰状もろてな。飾る場所を決めかねてんのよ」
「あらあら、贅沢なこと言うのね。――にしても、どうして現場に電車なんか選んだのかしら。ひっそりした山奥で殺して、そのまま遺体を埋めたほうが早かったでしょうに」
三宅の素朴な疑問に、鴨川浮音はそれなんやけどな、とやや身を乗り出して答える。
「電車の中で死ねば、確実にイメージダウンが起こって客足が遠のく。そうすれば、タクシーの需要も増えるから、ますます稼げると思ったんやと。まったく、殺しを遊び程度にしか思っとらん下世話な奴らやったわあ」
苦々しく眉を曲げ、「アラビアの真珠」を飲み干すと、浮音はボーイを呼び止めてメニューを手にし、何を頼もうか、と思案をめぐらせた。
「――鴨川さん、本当にありがとうございました」
深雪は父の心労を取り払った恩人である浮音に丁重に礼を述べる。
「なあに、ちょうど退屈してたところへ起こった事件やったから、面白かったで。またなんかあったら、言ってえな。――お、もう一人がご到着の用や。倉田さん、こっちですわあ……」
一座が振り返ると、普段の制服姿とは打って変わり、洒落た緑の夏ものの背広を着こんだ倉田運転士が、しっかりと折り目のついたズボンのすそを揺らし、のっそりと近づいてきた。
「鴨川さん、あなたのおかげで疑いも晴れました。本当に、ありがとう……」
一角へ腰を下ろし、おしぼりで手を拭いながら浮音の労をねぎらていた倉田運転士は、感極まって両の目に喜びの涙を浮かべている。
「おかげで嵐電も救われました。――これは、みんなからの感謝の気持ちです。受け取ってください」
倉田が差し出した緑色の小箱を受け取ると、浮音は深雪からヘアピンを借りて、そっと包みをはがした。中から出てきたのは、鉄道員が用いる、蓋つきの懐中時計だった。見れば、蓋の裏には「事件解決記念に 嵐電運転士一同より」と刻んである。
「こりゃあありがたい。これくらいの大きさの懐中時計がほしいと思うとったとこなんですわ。大切に使わせてもらいます……」
「ほかの連中も喜ぶでしょう。末永く、使ってやってください。私のもずいぶん長いこと使っていますが、故障らしい故障は一度もありません」
そういうと、倉田運転士はワイシャツの胸ポケットに入れた懐中時計をテーブルの上に出して、蓋を開けて見せる。眩しいばかりに艶のあるガラス越しに、秒針が刻々と時を数え、ゆっくりと分針が動き出そうとしている。
「――倉田さん、よかったらひとつ、今までの運転士生活の中での思い出を話してもらえませんか。学校新聞で、ちょうどいい記事を探しているんです」
記者魂に響くものがあったのか、三宅は手帳を開き、いつでも話を聞けるよう、細身のシャープペンシルの芯をそっと繰り出している。
「ええ、いいですとも。――あれはたしか、私が運転士になったばかりのことだったかなあ……」
倉田の話す、長い運転士生活の中の様々な出来事に、謎解きを終えた浮音と佐原、そして深雪と薫は、熱心に耳を傾けるのだった。
梅雨の合間のよく晴れた、土曜日の午後のことである。
初出……令和二年一月刊行 推理同人・睦月社「WEST-EYE 西日本短編推理傑作集 No.2『密室推理特集号』」