1話
オーケストラの演奏がホールを華々しく彩る。そこに集う人々は皆が楽しそうに談笑したり踊っている。その中の一人、アビー・モンゴメリは内心そわそわしながらその時を待っていた。モンゴメリ家は由緒正しい名家で公爵の爵位を賜っていて、アビーは第二王子と幼い頃から婚約をしていて、今日の舞踏会は正式に結婚を発表するものなのだ。
アビーは第二王子の妻として相応しくなるように日々厳しい教育を受け続けていた。何度かお会いした第二王子と恋に燃えるまでとはいかないが、愛しあい、尊敬しあえる夫婦になりたいと思っていた。今までの努力が実を結び、ようやく王族の一員として公務に励み、王国のために頑張りたいと純粋な気持ちでいる。
勿論、モンゴメリ家の一員として社交界に出ていると嫌味を言われたり、今のうちにパイプを作っておこうとすり寄ってくるもの(どちらかというとこちらの方が圧倒的に多かった)が居たので綺麗ごとだけの世界ではないということは知っている。
しかし、アビーが幼い時分、王族の方々に謁見した際に現在の王妃様が堂々と立ち振舞い、王様を支えているのを目にして、将来は王妃様のようになりたいと憧れの気持ちを抱き、王妃様にお会いする度にその憧れの気持ちが厳しい教育や社交界の荒波を耐えさせた。
「アビー?どうしてここにいるんだ……ヘンリー殿下は?」
アビーの兄、エリオットが話しかけてきた。結婚を発表する大切な日だというのに第二王子のヘンリー殿下が側にいないことを訝しんでいるのか小声で訪ねてきた。
「お兄様……ヘンリー殿下がこちらで待っているようにと仰いましたので」
そう、第二王子はここで待っているようにと指示してきたのだ。綿密に打ち合わせた段取りとは少し違い、不安は残るものの突拍子なことは起こらないだろうとアビーは踏んでいた。そうかと兄は言って第二王子が戻ってくるまで側にいるようだ。
突如オーケストラの演奏が全て止まり、全員がホールの上を見上げた。オーケストラの演奏が止まったということはすなわち主催者の王族から何か発表することがあるということなのだから。
ホールの上には第二王子が立っていて、その隣にはあまり見かけたことがない女性がいた。あれは確か……とアビーが思考を巡らせていると第二王子が口を開いた。
「皆の者!よく聞け、ヘンリー・ラドクリフはアビー・モンゴメリとの婚約を破棄し、クラーラ・センプルと新たに婚約することをここに宣言する!」
その言葉を脳内で咀嚼するのに一時間かかったような気がしたし、一瞬だったような気もした。教育の成果の現れか、動揺は顔に出ず、ただ第二王子を見つめる。アビーはどうして、なぜ、今まで頑張ってきたことは何だったんだ?これは嘘?と混乱するばかりである。隣の兄も動揺していたものの、厳しい顔をしていたがアビーは知る由がない。
「クラーラ・センプルは男爵令嬢とはいえ、王族に名を連ねるにあたり素晴らしい心を持っている。優しく、弱者に対して分け隔てなく支援する姿に心打たれたのだ。アビー・モンゴメリ、クラーラから聞いたがクラーラを虐めていたらしいな……そんな者は未来の王族に相応しくない」
このホールにいる全員の目線がアビー・モンゴメリに突き刺さる。一挙手一投足を見逃すまいと瞬きすらしていないように感じた。表情筋を一切動かさず第二王子を見上げる様は周囲の人間に悟られまいとする毅然とした態度を示している。
アビーは勿論クラーラを虐めたりしていない。むしろ公爵令嬢の彼女は男爵令嬢のクラーラとの接触さえ少なく、会話をしたのは二、三度で挨拶を交わした程度なのだ。虐めることなどできる訳がない。今までの努力が崩壊して、今立っているホールの足場が無くなって深い落とし穴に落ちていく感覚がした。
後でアビーの無罪が証明されたとしても今日は本来ならば結婚の発表をする予定だったのラドクリフ王国の貴族全員が集まっている。今後後ろ指を指され笑われものになることは確実で、どういった言動をすればいいのか分からなかった。
「じゃあ、彼女は僕が貰いましょうか」
この瞬きさえ出来ないような空気の中で一人だけ悠々と言葉を発した人間がいた。蜂蜜が溶け込んだような黄金の髪に新緑の葉のような鮮やかなグリーンの瞳の色白な男性で、彼が一言発しただけで周囲がビリッとした緊張に包まれた。
ここで舞台であるラドクリフ王国について説明しようと思う。アビー達が住むラドクリフ王国は周辺の他国と比べて小さい国ではあるものの、周辺国とは今まで戦争が起きても大きな被害を受けることは少なく、着実と発展をしている国だ。それにはラドクリフ王国の立地や色々なことが関係しているのだが、一つに『吸血鬼』という存在が貢献していることは確実である。
吸血鬼は人の血を吸うことが食事に値し、どちらかと言えば夜行性であり、肌が白いといったことがラドクリフ王国の中では共通認識だ。そんな吸血鬼がなぜラドクリフ王国の発展を支えているのか、それは吸血鬼である彼らの能力の高さが故である。
人の血を吸う彼らは身体能力や戦闘指揮、領地経営に優れていた。有り体に言ってしまえば何でも人間より上手くこなすことが出来るのだ。しかしそれの代償か吸血鬼の数は吸血鬼が多く住むと言われるラドクリフ王国全体で見ても非常に少ない。貴族の中でも吸血鬼は一握りの存在である。
そしてアビーに声をかけたのは、貴族の中の吸血鬼でも、ラドクリフ王国の王様でさえその動向に注目せざるを得ないドライデン家の当主、ロニー・ドライデン辺境伯である。ロニーは若くして当主を引き継ぎ、老獪な人間が集まる貴族社会でも異才を放ち、見た目の麗しさから社交界でも人気が高い。
ロニーはアビーの方を見てニッコリと笑った。邪気が無いように見えるその笑顔が自分だけの味方なような気がするし、一番の敵なような気がして更に混沌としてきた。
その後のことはあまりにもあっという間だった。王様や王妃様がいらっしゃってとりなしてくださったのだが、アビーとモンゴメリ家の面々、王族の方々とクラーラを交えて一旦の話し合いが行われたのだが……それがもう大変であった。
無事アビーのクラーラを虐めた嫌疑は晴れたものの(クラーラも虐められたとは主張していなかったので第二王子の独断だったらしい)、モンゴメリ家の当主である父は激怒していたのでこのまま婚約破棄を無かったことにはさせなかった。
かくして、第二王子とアビーの婚約は正式に破棄されることになった。
そして、半年後━━━
「汝、ロニー・ドライデンはアビー・モンゴメリを妻として愛することを誓いますか?」
「はい」
「汝、アビー・モンゴメリはロニー・ドライデンを夫として愛することを誓いますか?」
「……はい」
なんでこんなことに……?あまりにも、トントン拍子過ぎないか……?などと考えつつ、アビーはその美しい桃色の瞳でおずおずとロニーを見上げたのだった。
サブタイトルを1話に変えました。