1饗宴 ブラオカさんの初日
ちょっと時間は、さかのぼります。
我が名は深淵の暗黒王。
……ではなく、田舎出身のオウマ・ブラオカとして今日から生きて行く。
「我はオウマ・ブラオカなるぞ! 人間ども!」
「なに言ってんだ、このおっさん……」
王都レギンレイヴ──人間の街としては最大の規模を誇る。
広大な土地をぐるりと城壁で囲んでいて、その周辺だけで大体の経済が完結している。
街であり国であると言ってもいいだろう。
我は魔王らしく、そこに入洛ろうと門を叩いて礼儀正しく名乗りをあげたはずなのだが。
なぜか門番の男に警戒されてしまっている。
「おっさん、頭だいじょうぶか?」
「おお、心配してくれているのか。頭部は攻撃魔法による損傷を受けていないぞ」
「……やべぇ、やべぇ奴だ」
むむ、何やら意識の齟齬があるようだ。
そこでふと思い出す。
今の我は、魔王では無く──黒眼黒髪、中肉中背の人間男性に化けているということを。
ということは、人間として振る舞わねばいけないということだ。
多少うかつであった……。
ここで普通の魔物なら慌ててボロが出るのだろうが──我は違う!
以前、一回だけ人間の街に忍び込んで見学した事がある。
そのときは数時間で追い出されてしまったが。
ちなみに人間の繁殖を阻止するために、男女の営みを妨害したら兵士に追い回されて……いや……今は、そのことは忘れよう。忘れたい。
とにかく、その数時間の経験を元にすれば、この窮地など恐るるに足らんということだ。
さすが魔王である。
「んん、うぉっほん」
「お? なんだなんだ、また漫才でも始めるのか?」
「我は、オウマ・ブラオカ……だよっ! 魔族本拠地から出てきた、しがない人間中年……ですっ!」
「ブワッハッハッハ!!」
むぅ、なぜか笑われてしまった。
どこがおかしいのだ?
「も、もしかして俺達を笑い殺そうとしている魔物なんじゃねーのか!?
うーっひっひ! 一般人にしてはセンスが天才すぎる!!」
「なんだと!?」
くそ!! もう化けているとバレてしまったか!!
どうする……どうする……。
こうなったら消すか──?
「まぁ、なんでもいいや。おっさん。王都レギンレイヴに入れてやってもいいが、必要なものがあるだろう?」
「いいのか……意外と寛容なのだな。して、必要なものとは?」
「賄賂だよ、金」
門番は人差し指と親指で円を作るジェスチャーをしているが、何かの暗号なのだろうか?
表情はやたらニタニタとしている。
魔物でも出せない良い表情だ。
我も機嫌が良いときは、あのような邪悪な笑みが浮かぶ。
「……すまない、コレとはなんだ?」
「あぁーん? しらばっくれるとぶっ殺すぞ!?」
「それは魔王への宣戦布告か……!?」
魔王に戦いを挑むということは、死を意味する。
決して逃げ出せず、通常攻撃では傷一つ付けられないで、無残にはらわたを食われる。
つまり、あのジェスチャーは魂のやり取りをするという壮絶な意味を秘めていたのだ。
いや、待つのだ──。
いくら何でも、勝算も無く魔王に戦いを挑むというのは考えられん……。
も、もしや!?
人差し指と親指で円を作っていたのは円環なる聖魂を表現、残った三本指は天使の羽根を表しているのだろうか!
片方で三枚羽根、両方で六枚羽根を表す天使はかなり上級だ。
つまり此奴は上級天使か!?
もしくはそれに連なる聖なる者!?
この魔王に、そのような忌々しいご挨拶を殺害予告と共に突き付けるとは……!!
「あぁん? おっさん、急に黙ってどうしたんだよ? 神様にでも祈ってるのか? 聖女様じゃあるまいしよ~?」
「くくく……。ああ、不退転の宿敵よ……祈ろうではないか」
死にゆく貴様への祈りをなぁ──!!
「待て、貴様ら。何を揉めているのだ!?」
上級天使らしき門番を消し炭にすべく魔力を放とうとしていたとき、何者かが止めに入った。
目を向けると、蒼霊銀の甲冑を装備した人間のメスが立っていた。
第二次性徴期、それも繁殖可能な起伏ある身体に見えるので……人間年齢で16歳くらいだろうか?
よく焼き討ちにしていた小麦のような、美しい金色の長髪をしている。
「す、ステラ様!?」
門番は大慌てである。
いや、まてよ? ステラだと?
確か勇者の1人だ。
まずいな、この状況は……。
いくらなんでも、上級天使と勇者を同時に相手にしては、どうしても周辺を灰燼に帰す派手な戦いで騒ぎが大きくなってしまう。
「も、門番として、この田舎者が怪しくて、ちょっとお話をしていたのですよ! 門番として!」
む? この上級天使は勇者に助けを求めないのか?
くくく……神々のプライドというやつか。
これを利用すれば、この場を切り抜けられるかもしれんな。
上級天使よ、ここは一時休戦だ。
「えーっと、我は王都レギンレイヴに入りたくてですね……。それで何か寄越せと言われたのです。何を渡せばいいのかわからないのです」
魂を寄越せとジェスチャーされたとは言わないでおけば平気だろう。
「なんだと……? 門番、お前……まさか……」
「い、いえいえいえいえ! ステラ様!? そんな、何かを勘違いしてたんですよ、この田舎者は! まったく、本当に世間知らずのおっさんは嫌になりますよね!」
「……門番。見ず知らずの方に賄賂の要求と、そのような無礼な口の利き方。追って沙汰を伝える」
「ひ、ひぃぃぃいい。本当に出来心だったんですぅ!」
なるほど。この上級天使も、何かの理由あって身分を隠しているのか?
完璧に人間に擬装している。
この迫真の演技、我も見習わなければ。
「大体、王もそこまで取り締まりを強化して疑わなくてもいいだろうに……。
この王都レギンレイヴには対魔物用の警報結界が張り巡らされている。
もし魔物と知られず入れるとしたら、魔王クラス──」
ビクッと我は身体を震わせる。
まさかバレ……。
「──だろうが、うかつにも1人で乗り込んでくる魔王がいるものか」
勇者ステラは、こちらを見ずに街の中に歩いて行ってしまった。
こちらはバレたのではないかと気が気では無かった。
この魔王──深淵の暗黒王に冷や汗をかかせるとは、さすが勇者である……。