16饗宴 貴方の名は
「ごめんねステラお姉ちゃん、くるのがおくれちゃった。キザイルにひきとめられていたの」
自由になった私の身体だが、もう動ける体力は残っていなかった。
倒れながら、ジャスティナの背中を見上げている。
「キザイルは無事だったのか……。そうか、それは良い……」
チラリと横目で見ると、遠くの木陰から様子見しているキザイルがいた。
こちらに近付くと殺されてしまうと、本能的にわかっているのだろう。
震えながら『ボクは助太刀できない』と言うように首を横にブンブン振っている。
もともと、キザイルは戦力として当てにしていない。
戦闘技術もひよっこだし、持っている武器も魔剣とはいえ初心者用の、誰が打ったかもわからないものだ。絶対に役に立つはずがない。
「──だが、ジャス。お前は逃げるんだ……」
「やだ」
即答されてしまった。
この状況はどうだ。
周りにはまだまだ魔族が無傷で数え切れないほど立っている。
私のハンマーですら傷つかない奴らが、だ。
しかも、それより強い鳥魔将軍──いや、新魔王グゴリオンが火傷を負った顔で睨み付けている。
それを幼いジャスティナ1人で、人間の代表として戦えというのか……?
そんなこと……できるわけがない。
「お、おじょーちゃん?
さすがのワタシでも、そこまで小さい女の子をいたぶる趣味はないよぉ?
さぁ、その聖剣を捨てれば、そこのお姉ちゃんの言う通り逃がしてあげよう……」
顔の火傷を押さえながら、新魔王グゴリオンが告げてきている。
これは……様子がおかしい?
「子供が武器なんて持っちゃ危ないでしょう……? 今なら、ほらぁ、怒らないからぁ……」
「たしかに、子供は武器をもってはダメです。でも──例外があります」
「れ、例外?」
「それは──」
私は、その言葉を言った御方を思い出した。
ああ、しっかりと受け継がれている。
ジャスティナは私が思ったよりずっと成長している。
「それは誰かを守る時です!!」
輝く聖剣。
世界が勇者の気持ちに呼応するかの如く、集まってくる清らかで強い光。
ジャスティナはそれを強く強く握りしめ、周囲に回転切りを放った。
「んん? お嬢ちゃん、ダンスかぁ?」
どの魔物にも、刀身が届いていない攻撃。
周囲はおどけていた。
「うひゃひゃ、いくら俺たちでも子供と戦いたくはねぇからなぁ。そういうお遊戯程度にしておけ、って──アレ?」
ズルッと、魔物が──魔物たち全員が胴から横に真っ二つになった。
「剛なる剣。王陣剣──です!」
「くそっ、役立たずのバカ共が油断しやがって。捨て駒にすらならねぇ」
何が起きたのかわからなかった。
立っているのは、伸ばした鋭爪でガード体勢を取っていたグゴリオンだけになっていた。
「魔物の面汚し!! ゴミッ!! ゴミ共ッ!!」
もしかして……ジャスティナが、エーテルとかいう見えない力を斬撃に乗せて飛ばしたのだろうか?
だとしたら、たった一薙ぎで数え切れない魔物を……。
私は最初から横たわっていたので平気だったのか……。
「フゥフゥ……。ガキだから、うまく武器だけ捨てさせて、そのあとにやれると思ってたんですがねぇ……!」
「あなた──コモノで、ヒキョーモノ、ってやつですね!」
「が、ガキィ! お前まで言いますかぁ!?」
ジャスティナはニヤリと笑みを浮かべていた。
たぶん、私の挑発の真似をしたのだろう。
それにしても6歳児の挑発に乗せられるとは、よっぽど自分に後ろめたいところがあるのだろう、このグゴリオンという魔物は。
だが、これはいけるかもしれない。
私の時とは違い、あのグゴリオンがガードをしたのだ。
直撃を──聖剣での直撃を当てれば!
「柔なる剣。魔界剣──!」
ジャスティナはその小さな身体で飛び跳ねるように、背の高いグゴリオンへと斬撃を浴びせていく。
グゴリオンは慣れていない小さな相手に、うまく対応できていない。
両手のクローで防戦一方に回っている。
「くそっ! ガキがッ!!」
悪態を吐きながらグゴリオンは慌て始めた。
それもそのはず。ジャスティナの魔界剣が一撃来ると、その前の一撃より切れ味が増しているのだ。
一発目より速い二発目──。
二発目より鋭い三発目──。
三発目より的確な四発目──。
柔軟に相手を見極め、常に進化して上を征くための剣技。
実戦により恐ろしい速度で強くなっている。
だが──それに耐えられないモノが最初に出た。
攻撃を受けているグゴリオンではない。
ピキピキと悲鳴を上げて、亀裂を走らせる金属。
「クヒャヒャッ! 調子に乗るのもそこまでのようだな!」
グゴリオンもそれに気が付いたのか、攻勢一転に出てきた。
「まずい、引いてジャス!!」
「え……?」
グゴリオンの爪を危なげなく、聖剣で受け止めた──はずだった。
『ッチクショーメ! 俺ァの身体じゃここが限界か……!? ったく、本当に短い間だったけど楽しかったぜ──』
ジャスティナの手の中にあった聖剣が砕け散った。
「そんな……ここまできて……そんな……」
私は嘆くしかできなかった。
頼りの聖剣が砕かれて、素手ではどうしようもない。
ここまでジャスティナはよくやってくれた……。
……いや、だが──まだジャスティナの闘志は消えていなかった。
その両脚でしっかり立ち、グゴリオンをキッと睨み付けていた。
それなら……それなら私が先に諦めることをしてはいけないはずだ。
それが姉という生き物だ!
……だが、どうする?
私は動ける状態ではないし、武器を調達するとしても普通のものではダメだ。
あの聖剣より強い物──。
最低でも同じ聖剣か、魔剣に分類される物。
どこだ──どこにある。
考えろ、何かあるはずだ。
諦めたくない、諦めてはいけない。
諦めなければ最後まで諦めなければ……。
「あ」
そのとき、木陰で震えているキザイルが目に入った。
いや、正確には──キザイルが持っている魔剣だ。
思い出す。あの入隊試験のときのことを。
あの御方が、他愛もないその魔剣に見ほれていたのだ。
少し不思議に思い、キザイルとの決闘の際に聞いてみたことがある。
すると、初心者用の魔剣だと言ってきた。
それはもう見事に作られすぎた初心者用の魔剣──……だ!
もうこの可能性に賭けるしかない。
「キザイル! その魔剣をジャスに渡せ!」
声をかけられてビクッとするキザイル。
「む、ムリムリムリ! 怖い! 死んじゃう!」
くそっ! 本能的にグゴリオンの魔力に影響されてしまっている。
情けないとか、情けなくないという次元ではなく、人間の本能が圧倒的すぎる相手にストップをかけてしまっているのだ。
簡単な気力等でどうにかなるものではない。
本能的な衝動で突き動かすくらいのモノでなくては、指一本すら動かせないだろう。
いや、まてよ……本能的な衝動?
たしか、やつは以前……とてつもなく下らない理由で私からの決闘を受けていたな。
こんなことにジャスティナの命運がかかってると思うと癪だが……。
やるしかないか……!
「キザイルッ!!」
「な、なにステラちゃん!?」
「お前の言うことを何でも一つだけ聞いてやる! だから魔剣をジャスに!」
「な、なんでもだって!? 本当に、本当になんでも!?」
や、やったのかもしれないのか……?
キザイルから恐怖の色が取れて、なんか卑猥な表情になっている。
「ああ、勇者に二言はない! お前が望むことをなんでもだ!」
それからのキザイルは速かった。
一瞬、即決、猛ダッシュ。
何かの導火線に火が付いたようだ。
「ボクは、ボクは──おっぱいが揉みたいんだ!!」
あまり良い感じの導火線では無さそうだが……。
とにかく、こちらに走ってくるキザイル。
それに気が付いたジャスティナと、グゴリオン。
2人はキザイル目掛けて手を伸ばしていた。
どちらが先に到達するか。
それによって命運が決まる。
だが──。
「届かなかった、か。ボクらしいや……ゴホッ」
運命は無情だった。
グゴリオンが先に到達し、キザイルの胸をクローで貫いていた。
口から溢れる血の泡、胸から流れ出るおびただしい量の血液。
だが、キザイルはそのまま何も持っていない両手でグゴリオンを抱き締めた。
「約束を守るために……生きてまた会おう……。ステラちゃん……」
「は、離せ! 離せ!! 人間風情が!!」
「ボクも野郎となんて気色悪いから離したい……」
クローは突き刺すしかできないため、うまく身動きが取れなくなっているグゴリオン。
その後ろで──ジャスティナは一本の剣を受け取り、握っていた。
「魔界剣、王陣剣を経て今ここに──」
それはキザイルが命を賭けて、すでに投げていたミスリルの初心者用魔剣──いや、もう違う。
「──最強成りし! 魔王剣!」
勇者のエーテルに呼応して、表面のミスリルが崩れ落ち──真なる刀身が現れた。
聖剣と同じ素材の最希少金属オリハルコン。
炎の名工ヘパイストーズの魔法文字が刻まれた神剣。
賭けに勝った。
限りなく低い確率の当たりを引いたのだ!
炎の名工ヘパイストーズが打つ剣は、弱き者のための剣に擬装されていて、持ち手が成長するときに真の姿を現すという!
「や、やめろ、やめろやめろ、やめろやめろ!!」
その刀身の輝きに恐れをなしたグゴリオン。
混乱し、錯乱し、狂乱し、必死の形相で我を忘れている。
敗北する自分を悟って──。
「ああああああ!? 人魔将軍イフィゲニア! もう手柄はいいから助けろおおお!」
「え?」
私は思わず声が出てしまった。
だって、この場には居ないはずだ。
居てはいけない。
もう1人の魔将軍なんて──。
だって、居てしまったら勝ち目なんて。
やめてくれ。
やめて──。
「もう、わかったよ。グゴリオン」
返事をしたグゴリオンの影がスッと伸びて、一瞬にしてジャスティナに絡みついた。
黒い人影のようなものが出てきて、幼い首元に手刀をトスッと。
「あ……っ」
あっけなく意識を失って倒れるジャスティナ。
……キザイルも死んでしまい、その身体は消滅。
つまり──。
「ふぅ、新魔王ともあろうものが、けっこう手間取ってしまいましたね」
──私達は全滅した。
ジャスティナから黒い影が離れ、黒い人影として直立した姿に変化した。
それは以前、戦ったことがある。
人魔将軍イフィゲニアであった。
「うーん、勇者ステラとは剣を交えた仲だからなぁ……。しかも、その幼い妹を殺すとか気が引けちゃうな……」
少女のような声。軽い口調だが、その言葉は常識的であった。
それを気にくわないのか、グゴリオンは激怒した。
「あぁん!? まだワタシに忠誠を誓わないのですかぁッ!?
前魔王派として部下たちを処分されたくなければ、その子を殺すのです。
忠誠を示すのですよ……?」
人魔将軍イフィゲニアは、既に声すら出せなくなっている私の方を申し訳なさそうに見てきた。
「うぅ……ごめんね……」
そして──ジャスティナに手を伸ばした。
無力な私は神に祈った。
妹を助けてくださいと。
無力な私は神に祈った。
悪魔でも天使でも誰でもいいから妹を助けてくださいと。
この祈りは二度目。
一度目は、そう、ずっと昔のことだった──。
* * * * * * * *
小さな孤児院が潰れた。
そこは私の家だった。
潰れた理由は経営難からだったと思う。
孤児院の仲間たちとは離ればなれになったが、運良く1人のシスターが私を拾ってくれた。
それが……私の今の母親だ。
血が繋がっていなくても、本当の家族になれると教えてくれた人。
母と幼い私で貧しいながらも、楽しい生活を送っていた。
家族と一緒なら、寒空の下でパンの一切れさえあれば十分。
そんなある日──。
「ママね、お腹に赤ちゃんがいるみたいなの。たぶん女の子よ」
「赤ちゃん!? 私に妹ができるの!?」
それはもう嬉しかった。
父親は誰かわからないけど、そんなことは関係ない。
新しくできる妹とは血が繋がっていないけど、そんなことも関係ない。
やっとできる、孤児の私の新しい繋がり。
私だけの妹なのだ。
まだ母のお腹もそんなに膨らんでいないけど、私がお姉ちゃんとして守ってあげなければならない。
たとえ、魔族が空を覆い尽くさんばかりに攻めてきても、妹だけは守ろうと誓った。
幼い思い込みだろうか? だけど、その想いは本物だった。
その気持ちと共に、平穏な日々は続くと思っていた。
しかし、みすぼらしい母娘というのは弱い。
経済的にも、体力的にも、全てにおいて弱々しすぎる存在だったのだ。
ある日──暴漢に襲われた。
私の両手を縛り、母を殴りつけ、金目の物を漁る男達。
金貨はもちろん、銀貨すら持っていないとわかると、奴らは怒り狂った。
何をされるかわからない。
怒鳴り声に怯え、殴られる母に涙していた。
そのうち男のひとりが足を大きく上げ、母のお腹に蹴りを入れようとしていた。
このままでは、まだ生まれてきていない妹が死んでしまう。
無力な私は神に祈った。
妹を助けてくださいと。
無力な私は神に祈った。
悪魔でも天使でも誰でもいいから妹を助けてくださいと。
その祈りは──届いた。
いつの間にか立っていた、1人の男性。
底の見えない混沌で塗り潰したかのような、黒い髪と黒い眼。
険しい顔つきは、王のような風格を携えている。
そして、とても力強い腕で暴漢たちを殴り倒していく。
そのオトナの人は格好良かった。
きっと、いつかこうなりたい。
私の英雄。
そのオトナの人が去ってしまう前、私は名前を尋ねた。
「貴方の名は──?」
すると、こう返された──。
* * * * * * * *
「き、貴様! 何者だ!?」
「我の名は──オウマ・ブラオカ」
その私の英雄は、いつの間にかジャスティナの前に立っていた。
そして──あの時のように拳を握り、踏み込み、正拳突きを放った。
「──グアアァァァッ!?」
それを受けた人魔将軍イフィゲニアは、信じられないスピードで北の山まで吹っ飛び、遙か遠くに見える地形一帯ごと爆散した。
「──ただの勇者剣術指南役だ」