第四話:【異殖】
月1更新、第四話です
※今回お食事中の方はご注意を!
ロングスカートで露出の少ない落ち着いた服装をしたおっとり系お姉さんが良い!と思いながらリリス先生を描いています
(読者さんイメージのリリス先生と違ったらごめんなさい)
偽りの少女を仕留めた二人は、不規則ながらまたもや昼間に熟睡し夜を迎えた。週2日の休校日が、不審な出来事への徒労で過ぎ去ってしまった憂鬱が二人の心情を暗くする。
そんな二人がアギトの部屋で目覚めた時、エプロンを着たリリスが部屋へ入るなり寝起きの二人に混乱を招く言葉を告げた。
「あの~リリス先生?……『ママになった』ってどういうことですか?」
「今度は何だって言うんですか……まだ整理出来てない事が山積みだってのにこれ以上混乱させないでくださいよ」
「うふふ、詳しくはリビングで話しますから、二人とも後で下に降りてきてください。お夕食を作ってありますから」
リリスは笑顔のままゆっくりと部屋のドアを閉じて、音を立てず下へ降りていった。
再び部屋に2人きりとなったアギト達、途端にミユの脳裏にふと1つの疑念が浮かんでしまった。寝ている自分に何かされていないのかと。自身の上半身を両手で軽く抑え、アギトを少し睨み距離を置いた。
「何も……してない?」
「し、してねぇよ!」
「また記憶に無いとか言って……」
「ご安心くださいミユリ殿、今回アギト殿は何もしておりません」
「今回?」
「いや今回も前回もねぇから!」
「……まぁいいわ、リリス先生を待たせてるし早く行くわよ」
「あぁ」
(はぁ……何か最近妙な事が起こりすぎている気がするな、それも絶え間無く次々と……うぐっ!?)
これまでの記憶を辿ろうと、アギトは近日の出来事を振り返る。すると再び、ベッドで血まみれになっているミユリの姿がフラッシュバックして脳を揺さぶられる。ミユリを手にかけてしまった時の記憶を思い出そうとする度、激しい頭痛によって拒絶反応が起き、意識が遠のいていく。
アギトは少し前に見た悪夢と似た感覚に襲われ、視界が意識と共に徐々に白く染まっていった。
「――ト、……ギト……!」
そしてまた、あの声によって呼び戻される。その声に意識を集中させ、再び視界が戻った。両肩にはミユリの手が置かれていて、暗い表情を浮かべるミユの顔が視界の中央に映った。
「ミユリ……?」
「良かった……急に階段でぼうっとして倒れてくるからビックリしたじゃない! アギト、まだ体調が悪いんじゃない? 食事は持ってきてあげるから部屋で休んでなよ」
「あぁ……いや、大丈夫だ……。悪いな、ちゃんと話をしておきたいから下に行くよ。多分薬宰先生もいるはずだから」
「そう……分かったわ」
リビングの扉を開けると、アギトの予想通り薬宰はソファに腰掛けていた。いくつかの書物を読み漁りながらノートパソコンのキーボードを叩き、小瓶から粉末等を取り出し調合している。その様子にリリスは少し困っている。
「あの~、出来れば料理を置いてる部屋で薬品はちょっと……」
「一応、防塵結界は張っている。最近研究対象が増えて大変なんだ、悪いが少しの間だけ……ってようやく起きてきたか――!?」
ミユリは凄まじい勢いでアギトのホルスターからアルゼントを取り出し、自身の内ポケットにあるマガジンにリロードして薬宰の額へ瞬時に狙いを定め発砲した。
だがその弾丸は、額から数センチ手前の所で消失した。薬宰が重力属性の術式魔法で一時的に握り潰すよう弾の周囲を圧縮させたのだ。
「あっぶねぇな~、教師に向かってなんつう――」
「私達を上で2人一緒に寝かせたのって、薬宰先生ですよね?」
「いやぁ当分は悪戯相手が不在になるから、ついな」
「撃ちますよ?」
「また魔力だけの威嚇用弾丸でか? 俺に加減をするとは舐められたものだな。魔力しか相殺出来ないとでも思ったのか?」
「はいはい2人ともそこまでにしてくださいねぇ、お夕食が冷めますよ~」
いつも笑顔を絶やさないリリスだが、彼女からどことなく伝わってくるプレッシャーのようなものに2人は逆らえない。
薬宰はソファ側のテーブルを片付けて椅子に座り、ミユリはマガジンを替えてアギトにアルゼントを返し反対側に座った。
(いきなり取られたと思ったら、まさかミユリがあんなに銃の扱いが上手いとは……しかもわざわざ自分用のマガジンを装備してるとか……奪う前提じゃねえか! こえぇよ! これからは少し注意を払う必要があるようだな)
リリスは薬宰の右隣、アギトはミユリの右隣に座り、リリスの声に合わせて食事の挨拶をする。しかし、リリス以外3人の匙は動かない。
テーブルの真ん中に土鍋が1つ鍋敷きの上に置かれていて、中には真紅の液体に一口サイズの穀物と野菜、そして橈骨(前腕の骨)を二つに折ったような見た目の真っ白な肉と思われし物が入っている。要は色々と想像してしまうグロテスクな見栄えということだ。
盛り付けや切り方も至って綺麗で、決してぐちゃぐちゃに入れられている訳では無い。色と質感による視覚情報からグロテスクなものだと思わされるため、匙を入れるのに抵抗感が否めない。
「あら、皆さんお食事なさらないのですか?」
「まぁ……そういう反応になるわな」
「大丈夫ですよ、身体に良い素材を家から沢山送っていただきましたから心配いりません。普通のお鍋より格段に栄養価の高いのですよ?」
「そうは言うが……コイツらは俺らと違って寝起きなんだぜ? ちいと色んな意味でヘビー過ぎやしないか?」
「もう、薬宰先生までバカにして……」
教師2人が話している間、アギトの内心では目前の難題に葛藤し疑問が重くのしかかる。
まず、起きた直後にリリスから聞いた“ママになりました”という言葉。仮に本当だとしたら少なくとも毎晩この類いを摂取しなければならない。現在も含め、この料理をリリースするという選択は今後誰からも挙がらないであろう。
それに今、料理1つにいつまでも戸惑っている場合では無い。近日起きた数々の異常事態について明確な情報を共有する為、アギトは覚悟を決めて鍋にオタマを入れ、全種を掬いあげて自分の取り皿へとよそった。
「リリス先生、いただきます!!」
「はい、どうぞ~」
「クックック……」
「アギト、ちょっと待っ――」
真紅の液体が染み込んだ真っ赤な野菜と、白骨のような真っ白な肉らしきものが口内へと運ばれる。ゆっくりと数回噛み締めた直後、アギトは硬直して下を向いた。
その様子にミユリの顔が真っ青になり、必死でアギトに呼びかけて揺さぶった。しかし、薬宰はその行為を止めるよう告げる。
「おいミユリ、やめろ」
「何言ってるんですか! アギトが今動かなくなって――」
「そいつの顔をよく見ろ」
「……え……?」
下を向いているアギトの顔は、軽く火照っていた。
「そろそろ喋れるだろ、感想を言ってみな」
「すごく……美味いすっ……!」
「うふふ、でしょ?」
「アギトのこんな顔、初めて見たわ……」
「ほら、冷める前にお前も食えよ」
「は、はい……」
ミユリもアギトと同じくらいの量を受け皿に盛って食した。そしてアギトと同じ表情になり、薬宰は含み笑いを手で抑えている。アギトは何度もよそって夢中に食べ続けている。
「薬宰先生以外にお作りしたの初めてでしたから、少し緊張しましたわ」
「俺以外に食ってる奴の話聞かないと思ったら、作ってなかったのな」
「先生、知ってたんですか!?」
「たまに食わしてもらってるからな、答え言ったら面白くないだろ? 一種の度胸試しだ」
「ちょっと薬宰先生、私の料理を度胸試しに使わないでください!」
「悪い悪い、まぁ良いだろ? 本題へ移る前にちょいと気分を上げといた方が、幾分か話しやすいだろうからな」
勢いよく掻き込むアギトの手が止まった。
(そ、そうだ……さっきまで気ぃ張ってたのに、つい鍋に夢中になってしまった。本題はこれからなのに、何やってんだよボクは……)
「まぁこれから話す内容としちゃあ、食い終わってからの方が良いだろうな」
「お二人とも、ゆっくり食べてくださいね」
その後、リリスは街外れにある変わった花壇に囲まれた教会や、海の向こうにある異文化について興味深い内容を話す。
しばらくして鍋の中が空になり、皆が一斉に両手を合わせて挨拶を済ませる。食器をシンクへと運び、4人は2つのソファーがテーブルを挟んでいるもう一つの方に腰を落とした。
「じゃあ始めるぞ、まず最初にお前ら2人が居住区域の公園で遭遇したイレギュラー。そして翌日に同じ居住区域の路上に、結界を無視して現れた下級魔物ブランチポッド。こいつらの出現原因に関しては確定情報が無い今は話す事がない。俺が調べてる間は、これらに関してアギトとミユリは今の所気に止める必要は無い」
薬宰はノートパソコンを手前に置いて、解析レポートの画面を開いて3人に見せた。
「さて、話はここからだ。さっき言った2件とも、倒した後に黒い濃霧となって本来なら上空へ登って消えるところをアギトに吸収された。原因は分からんが、こいつがアギトに何か影響を与えていると思う訳だが……アギト自身は何か変化を感じたりしていないか? 力が強くなったとか」
「えっと……正直ボクもよく分からないんです……」
「そうか、その霧はあのイレギュラーを討伐した時に初めて吸収したって事で合っているか?」
「はい」
「ふむ……では次だ。悪いが、医務室で俺らが来る前の戦闘を、今思い出してもらえないか?」
「……やってみます」
「それでしたらワタクシがお教えしま――」
「ダメだ、これはボク自身の力で思い出さなきゃいけない記憶なんだ」
「無理しないでよ、アギト」
「あぁ……」
(本当にボクは、こうして気に掛けてくれる幼馴染を一度死に追いやったのか? きっと洗脳か何かだ、絶対に自分の意思でなんかやっていない!!)
両手で頭を押さえ、必死に記憶を辿る。しかし、元からそれが無かったかのように一切浮かび上がってこない。唸るアギトにリリスは囁くように小さく声をかけ、しっかりと目を合わせた。
「大丈夫ですよ、焦らないで。私達がついています」
「……は、はい」
すると、脳裏に一筋の閃光が通過し、その直後に濁流のような荒々しい何かが流れ込んできた。先程まで思い出そうとしていた記憶だ。
自分の手で、何度も何度も幼馴染みに向けて引き金を引いて血に染め上げた記憶。
「ぅんっ!!?」
思わず内蔵から衝撃が湧き上がり、先ほど摂取した物が込み上げてきた。両手で口を覆うが、溢れ出す真っ赤な液体が隙間から漏れ出た。
「アギト!?」
ミユリは驚愕を一時押し込んで、洗面所へ連れて行こうと二の腕を掴んで立たせようとする。しかし、アギトはその手を払って慌てた様子で一人リビングを飛び出して行った。
「私が行きます」
リリスが後を追ってリビングを出る。残った二人は座ったまま沈黙し、薬宰は右手で顎先に触れて考え込み、ミユリは両手に力を入れながら俯いている。
(あの様子、意図的にやった訳では無さそうだが、なぜあんなことを……? 洗脳術式か……? いや、あれは禁忌の術式録にて封印されているはず……う~む。だが今は先の事も踏まえてミユリの心境を何とかすっか)
「一応言うが、さっきのあいつに多分悪気は無いと思――」
「分かっています!! どの道私よりも、治癒術式が得意なリリス先生が行った方が良いです」
「……まぁ何だ、ミユリがどうとかじゃなくリリス先生が治癒に長けてるだけだ。気にするな」
「……分かっています」
会話が途切れたと同時に、アギト達が戻ってきた。アギトは依然として暗い表情のままだが、リリスは落ち着いた様子だ。
「大丈夫かアギト、無理させてすまなかったな」
「い、いえ……」
「アギト、大丈夫?」
「あ、あぁ……さっきはゴメン」
「それは別に良いんだけど、その……戻しちゃったりしてない?」
「大丈夫だ、一切戻してない」
「あぁ、リリスあれをやったのか」
「えぇ、薬宰先生に施しているアレです」
「……?」
「まぁとりあえず座ってくれ」
「私お茶を淹れますね」
アギトは先程と同じ位置に座り、リリスはキッチンからお茶を用意してから薬宰の隣に座った。
「さて、さっきの件だが……故意でやってないことはひとまず認めよう。原因は分かったか?」
「いえ……何も」
「そうか、なら次だ。あの河原の件についてだが、あそこには術式結界が施されていて上級衛士以外に立ち入れないようになっている。何故入れた?」
「分かりません。結界の類は何も感じなくて、気づかないまま入ってしまいました」
「そうか、じゃあ次――」
「ちょっと先生、さっきから単調すぎません? もっとちゃんとアギトの事聞いてください」
「誰も分からないんだから、これ以上ダラダラ聞いても仕方ないだろ? ちゃっちゃと3つ目いくぞ、リリス先生の件だ」
薬宰はお茶をグイッと飲み干し、ひと息ついて話を続けた。アギトは口を閉ざし、内心に浸るよう茶の入ったカップへと視線を落とした。
「まず、お前らは学院長から何か聞いてないのか?」
「いいえ、出張する以外は特に何も……」
「はぁ……何で肝心なこいつら差し置いて教員にだけ知らせてんだあのおっさん」
「こら、学院長をそんな風に言ってはいけませんよ」
「あぁ、悪い……簡潔に言うとだな、学院長は出張でしばらく戻ってこない。少なくともこの家に1年はな」
「えぇ!? そんな長くですか!?」
「まぁ聞け、んでリリス先生が代わりに二人の保護者となる訳だ」
「保護者って、あの……私さっき聞いたのは……」
「あぁ? リリス、何か変なこと言ったか?」
「うふふ」
リリスは自身の笑みを片手で軽く押さえつつ、アギト達に述べたことを話す。
「はぁ……妙な冗談を言いやがって」
「保護者と言うより親しみやすいでしょ?」
(良かった……私てっきりリリス先生がおじさん派なのかと思ったわ。でも、もしリリス先生が学院長の知端さんに籍を入れたら……血縁の無い四人家族。ややこし過ぎる!!)
「とまぁざっくり話した訳だが、リリス先生が保護者としてしばらくここに滞在するってだけ把握しておけばいい。後は俺が調べる、それと……」
薬宰はソファの横にある自身のカバンから茶色の小瓶を2つを取り出し、アギト達の前に置いた。
「睡眠のタイミングをコントロールする錠剤だ、ここへ来る前に作っておいた。昼前から夜中まで寝ていたからな、1粒2時間だから調整して飲め。そしたら朝までしっかり寝れる」
「ありがとうございます」
「気にするな、ちょっとした詫びだ」
「詫び……?」
「良いからそれ飲んでとっとと寝ろ、俺はもう帰る」
「あら、お帰りになるのですか?」
「研究やら溜まってるからな……んじゃごちそうさん、お前ら明日遅れんなよ?」
「はい、ありがとうございました。ほらアギト、いつまで固まってんの! 薬宰先生が帰るわよ?」
「え? あ、あぁ……すみません先生……ありがとうございました」
「……お前は今日これを飲み干してから寝ろ。リリス先生、後はよろしく頼む」
「はい、また明日」
薬宰はカバンを提げてあくびをしながら静かに立ち去った。
手渡されたのは、一見缶コーヒーに見える黒い缶。ラベルには白字でやんわりとしたフォントで〝やさしいコーヒー〟と上部に書かれている。真ん中にはデフォルメで真っ白な、下半身の無い悪魔が翼を広げて笑顔で昇天する様が描かれている。背景は黒一色だ。
「コーヒーって、眠気を覚ますのに飲むやつじゃ……」
「ふふ、部屋で寝る前にちゃんと飲んでださいね」
若干高揚した様子でアギトに微笑みかける、まるでラベルに描かれた悪魔のように。
悪魔が笑顔で天へと昇る違和感から嫌な予感しかしない。しかしアギトは、これを手渡された時に1つだけ分かったことがある。
飲み干さないと減点されるという、理不尽な任務を仕向けられたということだ。
不安なあまりにリリスに問いかける。
「リリス先生、これ本当に大丈夫な代物なのでしょうか?」
「大丈夫ですよ、薬宰先生がいつも飲んでいますから」
「余計心配なんですが……」
「明日、ちゃんと空き缶をリビングに持って来てくださいね。感想聞ききますから」
「は、はい……」
「おやすみなさい、先生」
「はい、おやすみなさい。お母さんやママって呼んでくれても良いのですよ?」
「呼びません!!」
こうして、アギトとミユはそれぞれ自室に戻り、リリスだけリビングに残った。
「うふふ、これから更に楽しくなりそうですわ」
自室にて、ミユは薬を飲んでベッドへ倒れ込む。薬による眠気は来るものの、落ち着かず抱き枕を抱いて左右へゴロゴロと寝返りをうつ。
一方アギトは、ベッドに座って手元の缶コーヒーをじっと見つめる。
(あの感覚、まさかな……ははは! そんな筈は無いだろう、無いに決まっている!!)
缶コーヒーを握る手に力が入り、ベッドに置かれたアルゼントが声をかける。
「アギト殿……」
「そういやアルゼント、お前はボクがあぁする前からしっかり記憶してるんだよな?」
「えぇ、しかしアギト殿自身に何か術式がかけられた反応は無く、急に事を起こされたので……」
「そうか、まぁ知ってたらさっき言ってたもんな。はぁ……一体どうしちまったんだボクは」
缶の蓋を開け、勢いに任せて口に流し込んだ。そしてコーヒー詐欺とも言える激的な甘さに思わず吹き出す。
「大丈夫ですか、アギト殿!?」
「……あっっっんま!!?」
「え?」
「甘過ぎて気持ち悪いぞこれ……、薬宰先生いつもこんなもん飲んでんのか!?」
「コーヒーではないのですか?」
「いや、コーヒー以前に飲み物かどうか怪しいぞこれ」
中を覗くと、真っ白な液体が滑らかに揺らいでいる。カフェオレのブラウンですらなく、コーヒーの面影が無い。
「ですがアギト殿、それを飲み干さないと……」
「いやいやいや、こんなもん飲めるか!! 血糖値が跳ね上がって糖尿病んなるわ!!」
そう言って、一口飲みかけの缶コーヒーを片手に部屋のドアへと近づく。
「どこへ行かれるのです?」
「リビングの流しに捨ててくる、リリス先生には会ったらちゃんと話す」
(つうか、こんな一口含んだだけで明確に察する程の、身体に悪いと思わせるものを教師が強要するなよ……何か患ったらどうしてくれるんだ……)
やれやれと肩を落とすと同時にドアノブへ手を伸ばすと、そこへ手を付ける前にドアノブがひとりでに回転した。ドアが勢いよく開き、開けるために至近距離にいたアギトは開いたドアの向こうからの人影に驚いて小さく悲鳴を上げた。
「うわぁ!?」
「ひゃあっ!?」
同時にドア越しに至近距離でいる人影も可愛らしい声の小さな悲鳴を上げ、お茶が入ったピッチャーとコップ2つを乗せたお盆が傾き、アギトの方へと倒れ込んだ。
「いっつつ……って先生!?」
「いたた……ごめんなさい、あんな近くにいると思わなくて」
「ってちょ……先生、その顔――」
2人が転倒した大きな音に反応して、隣部屋のミユリが慌てて駆けつけた。
「大丈夫!? アギ――」
アギトの部屋に入り、リリスがミユリの方を向いた途端にミユリは言葉を失った。
ミユの眼に写ったのは、臀部から床に倒れたアギトの大事な箇所に、ずぶ濡れになって少しドロッとした白濁液にまみれたリリスの顔が丁度重なる位置にいた、傍から見れば特殊な行為とも見える面妖な光景である。
「あ、あああ……あ……」
「ち、違うんだ! これは誤解だ!」
「あら、ごめんなさいミユリちゃん。起こしちゃいました?」
ミユリの顔が憤怒と羞恥で真っ赤に染まり、力いっぱいに拳を振り上げる。それにわなわなと両手足を震わせ、アギトは片手を前に突き出し静止を悲願する。
「ま、ままま待ってくれ! 頼むから話を聞いてくれ、これは……コーヒーなんだ!!」
「何馬鹿なこと言ってんのよ、この変態!!!」
その願いは沸騰した怒りの前には届かず、一閃の如く繰り出された鉄塊のような剛拳が、肋の中心へと容赦なく叩き込まれた。そして重力の抵抗も虚しく、アギトは全力で壁に打ち付けられた。
「がはぁっ……!?」
あまりに強烈な一撃で、一瞬呼吸法を忘れかけてしまった。しかし、この不味い状況を覆すべく逸早く誤解を解くためには、のんびり寝そべってなどいられない。すぐに態勢を立て直そうと、よろめきながらも壁を背にして呼吸を荒らげながら床に座る態勢を取った。
一方ミユリは、リリスを抱き抱えるように起こして半ば泣きそうな声で呟いた。
「先生に夜な夜なこんなプレイをさせるなんて……いくら可愛くて美貌と癒しに溢れてるからって同居初日にこんな……」
「ま、待ってくれ! 頼むから話を聞いてくれ……!」
「ミユリちゃん、日常で暴力奮っちゃダメですよ。アギト君は何も悪いことなんてしていませんよ?」
「え?」
「ほら、よく見ろ……」
アギトは下半身にある大事な部分、次に床に転がっている白濁液が入っていた空き缶を順に指し示した。
「この通り、ズボンはちゃんとチャックも閉じて一切露出していない。そして先生の顔に付いた白い液体は、そこにある缶の中身なんだ」
「缶って、さっきあんたがコーヒーって言ってたやつ……?」
「あぁ、少し前に薬宰先生から半ば強制的に戴いた物だ。その缶には何て書いてある?」
リリスはそっとミユリの腕から離れて横に座り、ミユリはすぐ近くに転がっているアギトが指し示した空き缶を手に取った。そして疑念を込めながら、印字された文字を読み上げた。
「優しい……コーヒー?」
「そうだ、味と見た目はとてもコーヒーとは言い難いがな。これで誤解は解けたか?」
ミユは再び顔を赤らめて、両手で顔を覆って早合点した羞恥にしばし唸る。
「……あぁあぁ~……」
「ま、まぁいきなりあの光景を目にしたら、多分誰にだってそう見えた筈だ。気にするな、鉄拳はかなり利いたけどな」
「本当にごめんなさい……今度何かお詫びするから」
「いいって別に」
「……へ、へくちっ!」
「おっと!?」
「可愛い……じゃなくてすみません先生! すぐお風呂と着替えを用意します、一緒に下へ行きましょう!」
「ごめんなさい……」
「後でタオル持ってくるから、アギトはここで待ってて」
「あぁ、ありがとう」
ミユリはリリスを連れて下のバスルームへ連れてゆき、タオルを持ってすぐ部屋に戻ってきた。
「タオル持ってきた、じゃあ掃除するから待ってて」
「いやいや、ボクがやるって。ミユリは部屋に戻って早く休むといいよ」
「じゃあ一緒にやる」
「そうか、悪いな」
「その……さっきはごめん」
「いやだから気にするなって、ボクはこの通りもう平気だ。ボクの方こそ、嫌な思いをさせてしまったな。それも立て続けに……」
床の掃除が終わり、床に転がったピッチャーとコップと空き缶をお盆に乗せて一旦机に置いた後、2人はベッドに座りこんだ。
「立て続けにって――」
「イレギュラーと戦闘した日の夜の奇襲、その翌朝の記憶喪失、河原での偽物討伐、その日の夜中の嘔吐、そして――」
「もういいわ、分かったからそれ以上言わないで」
「……すまない。アルゼント、今から翌朝までスリープモードに入ってくれないか? 二人きりで大事な話がしたいんだ」
「承知致しました。ではスリープモードへ移行致しますので、ワタクシのことは気にせずごゆっくりお話ください。失礼致します」
そう言ってアルゼントは、ベッドの奥にあるデスクの上にて、電源が切れたように急降下する音と共に静止した。
「あの、大事な話って」
「その……今日、河原で戦ったミユの偽物についてなんだ」
ミユは息を飲み、言葉を発さず静聴する姿勢をとる。それを把握して、アギトはゆっくりと話し始めた。
「あの河原にある石ってさ、床に倒された時に触れて分かったんだが……多分あそこに敷かれてる石ころは全部……魔石だ」
「魔石……」
魔石とは、術式の発動に必要な空気中に含まれる魔素を多く宿し、固体エネルギー源と化した石のことである。どういった原理でただの石が自然に魔素を取り込んで変質化したかは未だ解明されていないが、長期間、高濃度な魔素の空間内にある事が原因だと推測されている。
「魔素感知が特別鈍いってのもあるが、色々と気を取られて気づかないでいたあの空間には異常なまでの魔素が充満していた。そのせいで河原にある石がみな魔石と化していたんだ」
「それは私も感知出来るからすぐ気がついたんだけど、それがどうかしたの?」
「憶測だが、あの河原中の魔石がボクが訪れたのを感知して、偽物のミユを作り出したんだと思う」
「そんな……」
つづく
今回もまだまだアギトは平常心を持ち直せている!
だがしかし! そんな彼の心も、取り戻した記憶によって……
次回はようやく彼らも月曜日を迎えて、学院での修行再開です!
客観的には良いですが、嫌ですね……月曜日。