咎(とが)
咎
忌引き休暇が明けた当日。多治見は徹夜で三役会を終わらせて、そのまま新宿南署へ出た。一番に署長へ挨拶に行き次いで課長の萩本へ、長期休暇で迷惑を掛けてしまった事へのお詫びと、葬儀への参列のお礼を言い、自席へ戻った。
「係長、この度は本当に大変でした。私達でできる事がありましたら、どんな事でも言ってください。」
席へ着くと、部下達が回りにやって来て、各々が多治見を励まそうと声を掛けた。
「みんな。ありがとう。今日から、よろしく頼むな」
笑顔で返し勤務に入った。
落ち着いてから、内勤の吉田巡査部長を呼んで、この一週間に起きた事件や事故などの報告を受けた。特に普段と変わらず、歌舞伎町での事例の報告が多い中、南新宿駅付近での、大学生同士の喧嘩の報告書に多治見の目が止まった。
内容は大した事は無い、よくある居酒屋でのいざこざだが、大学生の一人は加賀谷の弟であった。
調書を読むと、十一月二十一日午後二十二時三十三分通報とあった。三日前の夜。美佐江と奈美の告別式の日であった。
本文へ目を向けると、通報の二時間ほど前に、加賀谷を含めた五人の若い男が来店。加賀谷達は常連客で、店員とも顔見知りの為、良く使う座敷へ勝手に入り、ツマミとビール、酎ハイなどを適当に注文して、楽しく飲んでいた。それから一時間半ほどした時に、別の三十半ば位の男が来店。加賀谷の連れの一人へ声を掛けた。同席をしてしばらく一緒に飲んでいたが、男が声を掛けた加賀谷の連れと、加賀谷がいきなり口論を始めた。口論が掴み合いになり、殴り合いとなった為、警察への通報となった。
加賀谷とその相手、及び同席者は一番近い代々木交番へ連行され、事情聴取を受けた。しかし聴取を受けたのは最初の五人の大学生だけで、後から来た三十代の男はいなかった。
喧嘩の原因は、加賀谷の兄へ罵声を浴びせられた為であった。
「何か問題がお有りでしょうか?」
真剣に調書を読んでいる多治見に、吉田が声を掛けた。
「この加賀谷は、先週、代々木公園で見付った加賀谷の弟だよね?」
「はい。その様ですが……」
「三十代の男って?」
「それが、加賀谷の相手――、吉崎卓也と言いますが、彼を炊き付けたら、帰ってしまった様で。」
「炊き付ける?」
「加賀谷を指して『こいつの兄貴はどんな女でも抱く、卑しい男だ』とか『君のお姉さんを狙って、弟が君に近付いた』などと言われて、それを確かめようと、口論になったとの報告を受けております。」
「で、三十代の男の名前は?」
「分かりません。」
「分からない?」多治見は怪訝な顔を吉田へ向けた。
「申し訳ございません。」
恐縮する吉田へ「別に君を責めている訳ではないよ」と繕ったが、多治見の目は険しさを増していた。
「この吉崎卓也に会いたいのだが」
「それが……加賀谷を含み五人とも、昨日、法務省から呼ばれまして。」
「法務省?」
「はい。まだ戻っていないかと思われます。」
「そうですか……。法務省ですか。」
多治見は何か大きな力が動き出したと感じた。
「ありがとう。では普段通り、国民と家族の為に働きましょう」
吉田が書類一抱えを持って、自席へ戻ろうとしたところを「吉田君、この資料は僕が預かる。」と机上へ置いた。吉田は気になり多治見へ訊いた。
「この件ですが、何か有るのですか?」
「あぁ。渋谷中央署にいる同期の刑事が、加賀谷の件を担当していてね。その件と関係が有ると感じた。関係性が有れば伝えて上げたいからね。」
「そうでしたか。気が利かずに申し訳有りません。」
「おいおい。君が気にする事では無いよ。」
「でも係長は法務省へ確認をされに――。」
「いいや。あいつには伝えるけど僕は行かないよ。今日はこの山積みの書類に目を通さなくては。」
「承知いたしました。何か有りましたらご指示ください。私が動きます。」
吉田は脱帽の敬礼をして、書類を抱え自席へ戻って行った。
山積みの書類、約八十件をざっとだが一通り目だけを通し終えた。目頭がズンと重くなった。考えてみれば、昨夜の三役会が終わったのは明け方で、五時を回っていた。それから四人は別々に部屋を出て、六時過ぎには多治見は新宿駅に着いた。それからモーニングのやっている喫茶店へ入り、コーヒーと野菜とハムのサンドウィッチで朝食を摂り、眠気覚ましにコーヒーをお変わりして店を出た。
激動の一週間であった。心底休んだ記憶が無い。
(疲れも溜まるか)
刑事で培った頑強で頑丈な体と精神も、些か草臥れたと自覚した。
時計を見る。もうじき昼になる。
「頃合かな」多治見は携帯を取り出し電話を掛けた。呼び出し音が続く。中々相手は出ない。諦めかけた時「悪いな」と相良の声がやっと返事をした。
「忙しいところすまん」
「いや、ちょっと聞き込みをしていてな」
「今、大丈夫か?」
「あぁ、射水に変わってもらった。ところで何かあったか?」
「もう知っているかもしれんが――」
そう前置きをして、今朝読んだ手元に有る調書の件を伝えた。
「加賀谷の弟?」
「そうだ。」
「何かきな臭いな」
「それよりも、法務省――。亀井野の親が裏で手を回している感が強い。」
「三十代の男は」
「亀井野に違いないと思うが」
「ちょっと待てよ。」そう言い、電話の向こうでガサガサと音が聞こえる。概ね手帳を取り出し、調べているのだろう、と多治見は相良の声が戻るのを待った。
「待たせて悪い。何時だった?」
「三日前の十一月二十一日午後十時半頃に通報があった。」
「その日は、亀井野は珍しく成城の実家へ行っていて、翌朝まで家を出ていないぞ」
「そうなのか?では人違いか――」
「いいや。何か裏がありそうだな。これから行って、成城の実家をこの目で見てくる。」
「相良は行って無いのか?」
「あぁ。その日は優先しなければならない、大事な用事が有ってな、午後から休みを取った。」
「……。ありがとう」
「情報。助かる。」
「くれぐれも無茶はするなよ。」
「分かっているよ。じゃまたな」
電話は切れた。多治見の心の何処かで、不安が過ぎった。
(仕置きを急がなくては。別の意味で犠牲者が出かねない)
昼休みに入ると、月に一、二度は行くラーメン屋の『五六』で昼食を摂る事にした。活気のあるとんこつラーメンの専門店で、多治見はコテコテの背油大目にラー油とニンニクを、これぞとばかりに掛けて食べるのが好きだ。しかし、夕方には決まってお通じが良くなり、トイレへ駆け込む。栄養をガバっと摂ってギュルっと出している感じだが、それが健康に結びついているのかいないのかは別の話し。と徹夜明けの今日の昼にはぴったりとやってきた。
店に入るなり「いらっしゃい。いつもので良いですか?」と若い店長の五六が声を掛けてきた。
「頼むよ」とだけ答え、カウンターの一番奥の席へ座った。
ラーメンが来るまで、葬の携帯の着信を確認する。【ZANN】と【NAGARE】から二通のメールが来ていた。
《貴方に切られた髪の毛を整えに、生まれて初めて美容院へ行った。美容院の費用は請求させてもらう。》
《髪が無くても仕事は出来る。【ABURI】の件は任せてもらえないか。連絡待つ。
ついでに、その髪型に似合う洋服と靴とバッグを買いなさい。勿論、費用は私が全てだします。次回合った時にまとめて返済します。購入した証拠として、その時はその服装で来るように。
【ABURI】の件は僕に任せてください。決して悪いようにしない。》
《先日の【TATAKI】への処分は流石でした。改めて【SABAKI】の凄さを見せ付けられた感じがしました。
【ABURI】の件、今でしたら時間が取れますのでご指示ください。》
《この一週間。君には大変お世話になりました。まだまだ新参者故、無知な私のフォローをお願いします。
【ABURI】の件は僕に任せてください。【ABURI】が納得する形で締めるつもりです。》
「へい。お待ち。」
二本の返信を送り終わった時に、五六がラーメンを持ってきた。
「彼女ですか?」少し不機嫌気味に言う。
「馬鹿言うなよ。俺は四十過ぎてんだぞ。」
「スミマセン。では、コレですか?」
笑顔で小指を立て、店長がしつこく訊いてくる。
「逮捕するぞ」と笑顔で返す。
「良かったっす。普段の旦那で――」薄っすらと涙目になっていた。
「ありがとう。大丈夫だよ。でもどうして女って?」
「携帯。いつもと違うので。スミマセン」
「観察が鋭いね。」
「仕事柄、顔や持ち物、仕草から。ラーメンの好みやトッピングなんかを見ているもので。特に常連さんには目がいってしまいます。」
「研究――いいや、仕事熱心なんだな。それで、家内と娘を亡くしてすぐに女を作ったと?」
「疑ったりして、本当にスミマセン。これに懲りずに、これからもお起こしください。」
「あぁ。これからもここの常連だよ。」
「これ、今日だけのサービスっす」
ラーメンの横に特製餃子が一皿出てきた。
「良いのかい?じゃ、今日だけ特別にご馳走になるよ」
五六は頷き、次の客へ元気な声を掛けた。
署へ戻ると森田が近付いて来て、「次回の安全課会議ですが」と問うてきた。
「そうか、一週間空いてしまったからな。先週は何処の署だった?」
「原宿署ですが」
「わかった。僕から原宿署へ電話しておくよ。都合が悪ければ、予定通り中目黒西署だな。そっちも僕が電話するから、森田君は外回りを頼む。」
「承知いたしました。」と敬礼をして、外出の準備を始めた。
「いいかい。決して一人で行動はしない事。これは鉄則。」
外回りへ出る五人へ声を掛けた
「はい!」と一斉に元気な返事をする。
「今日は二・三で行く。石田と武本は御苑方面。中田と鳥羽は私と歌舞伎町を回る」
五人が揃い、課長の席の前に並び敬礼をして「森田以下四名、管轄内警らを行います。」と報告して出掛けて行った。
「多治見係長。もう森田君に任せても大丈夫なのでは?」
「課長。私も今見ていてそう思いました。私は吉田君と内勤に徹しますか?」
「それでは、私の居場所が無くなるかもしれん」
「いいえ。課長はここに居て下さらないと、新宿南署生活安全課が絞まりませんよ。」
「そうかな。そうだよね。」少し持ち上げただけで、機嫌を良くして自席へ戻った。
定刻を迎えた。外回り組も無事に戻り、課長へ報告の後、日報を書き始めていた。
「済まないが、ちょっと疲れたので、先に失礼するけど良いかな」
自席で立ち上がり周りへ声を掛けた。
「勿論です。復帰初日ですので、今週は慣らし運転でお願いします」
「すまない。皆の言葉に甘えさせて貰うよ。では、お先に」
多治見は鞄を手に、課長席の前に立った。
「何か有りましたら携帯へ連絡ください。いつでも対処できるようにしておきます。」
「わかりました。でも今週は、部下達の言葉の通り、スロースタートで構いませんよ。」
「ありがとうございます。では、お先に失礼をいたします。」
多治見は署を後にして自宅へ戻った。睡魔に辛うじて勝ち、帰宅途中で買った惣菜で夕飯を摂り、ゆっくり湯船に浸かり、ベッドへ入った。
「まだ九時半だなんて、去年の冬に風邪で寝込んだとき以来かな」
多治見はそのまま寝入った。何かを確認し忘れていると、頭の中で引っ掛かっていた。それを思い出そうと頑張ったが、睡魔に負けて久し振りの眠りについた。
翌朝、目覚ましで目が覚めた。ベッドから出るとカーテンと雨戸を開ける。天気は曇天。外気はとうにが寒さ強くなっているが、まだ気持ちのいい朝であった。
顔を簡単に洗い、新聞を取りに外のポストへ出る。食パンをトースターにかけて、インスタントコーヒーを入れ、トーストとコーヒーをダイニングテーブルへ置く。マーガリンやジャムを冷蔵庫から出して席に着いてやっと朝食になった。
「美佐江が居た時は、起きたらすぐに朝食だったな。」
二人の遺影に向かい。「いただきます」をして食べ始めた。
朝刊を一面から順に斜め読みしていると、あっと言う間に時間が経ってしまった。
慌ててトイレへ行き、髭を剃って歯を磨き、しっかり顔を洗って髪を整える。
「しまった。ワイシャツにアイロンをかけ忘れた。」
アイロンは諦めてそのまま袖を通す。糊も利いてなく縒れたワイシャツが少し気持ち悪かった。身支度が終わり、急ぎ駅へ向かう。
(明日からは三十分は早く起きなくては、毎朝これじゃ身が持たない)
電車に飛び乗り、美佐江が生きていた時間と同じでは、間に合わない事に、始めて気が付いた。
今日も普段通りの勤務が待っていると思っていた。渋谷駅からJRに乗り換え車窓から宮下公園が見えた。原宿寄りの所に、パトカーが数台と鑑識の車輌が止まっているのがちらっと見えた。
多治見は胸騒ぎを覚えた。瞬間、相良の顔が過ぎる。気が気ではなく、多治見は原宿で一度下車して、新宿南署へ電話した。
「はい新宿南署」と刑事課と思われる声が出た。
「生活安全課の多治見です。」
「あっ。おはようございます。刑事課の田村です。」
「悪いけど、渋谷中央署管内で昨夜から今朝に掛けて、宮下公園付近で、事件か事故の連絡など有りませんでしたか?」
「それなら、連絡は受けておりますよ。」
「どういった内容で?」
「刑事課の相良警部補が、暴漢に襲われ殉職されたと、同行の射水刑事も重症で今、病院の集中治療室に入っているようです。」
「……」
「もしもし?多治見警部補?」
「あ、ありがとう。悪いが、これから渋谷中央署へ行くと、安全課へ連絡を頼めますか」
「了解しました。伝えておきます。」
多治見は愕然とした。体中の力が抜けた。「あれほど、気を付けろと言っていたにも関らず、命を落とすとは、殉職になどなるなんて。」
そう思った時に、昨夜の事が蘇った。
(そうだ。三役会で【JITTE】へ、相良の見張りを急がせる様に、話すのを忘れていた。)
多治見は後悔の念の中で、葬の携帯を取り出し、【JITTE】へ亀井野潤一の現状確認をメールして、内回りへ乗り換えした。
渋谷駅に着く前に、早々と返信がきた。
《自宅で寝ている模様。昨夜九時に成城の自宅へ帰宅。そのまま泊まっています。私の部下が張っていますので、間違いは無いかと。》
《申し訳ない。もっと細かく確認できないだろうか?
私の同期で亀井野を追っていた刑事が殺された。その部下も瀕死の重傷を負った様子。》
多治見は渋谷駅で降りて、宮下公園へ向かって走った。
《友人を装って確認させました。亀井野潤一は昨夜遅く外出してまだ戻っていないと判明。また【SABAKI】から言われておりました、相良刑事への見張りの件ですが、成城砧署へ入ってから見失った模様。
菅谷に続き、目明しのミスです。申し訳ありません。今直ぐ、亀井野潤一の居場所を探します。》
「何て事だ。友人として、葬の者として相良の身を案じていたにも関らず、こんなに簡単に失ってしまうなんて」
多治見の苛立ちと怒りは、最高潮に達していた。




