報酬と責任
報酬と責任
多治見と多治見の両親が東京駅まで見送り、江坂夫妻は静岡への帰路に付いた。玄一郎も時恵を引っ張って帰って行った。
帰宅し居間で一休みしていた多治見の目が、テーブルの上の小包に止まった。差出人は聞いた事も無い会社名であった。
封を開けて中身をテーブルの上へ出す。多治見名義の通帳と通帳用の印鑑、それにキャッシュカードが入っている。通帳には二百万円が記帳されていた。
「高額だな。何の金だろう――。まさか。」
多治見は携帯を出して電話を掛けた。呼び出し音が聞こえる。
「もしもし」と重く低い声が返事をした。
「お忙しいところ恐れ入ります。今、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「何事かね?」
「今日、小包が届きました。中に通帳や印鑑――」
「もう届いたか?」
「やはり、あれは葬の物ですね」
「そうだ。君への報酬だよ。」
「報酬って。金を貰って人殺しをするのでは、殺し屋と同じではないですか?」
「同じだ。」多治見の問いに、間髪空けずに即答して、「寸分違わない。私達は殺し屋だ。だから報酬を受け取る。」
「私は善意から葬の事を引き受けたのです。」
「よいか【SABAKI】。『善意の殺人』など、この世の何処にも存在はしない。殺人には、いや犯罪には必ず、犯す側の利益が絡む事は、刑事の君であれば承知のはずだ。」
「――。」痛い所を突かれた。
「組頭は毎月百万円が支払われる。仕置きも一件に付き『死罪』なら百万円。『流罪』では五十万円が仕置き組の報酬だ。ちなみにだが、先手や目明しは一刑場に付き一千万円が各組へ渡される。それを人数分で分配する仕組みになっている。」
「自分は――。私は要りません。」
「報酬の使い方は個人の自由だ。ドブに捨てるも、女に貢ぐも、葬では一切感知はしない。好きにすれば良い。」
「しかし毎月振り込まれて来るのも迷惑です。」
「いいかね。金を受け取って人を殺すのが殺し屋だ。金を取らずに人を殺したり、殺してから金を奪ったりするのは、単なる殺人に過ぎない。殺人鬼と何ら変わりはせん。報酬を貰う以上、そこにはミスは絶対に許されない。滞り無く完全に終わらせる責任がある。善意だから、無料だからミスを犯しても仕方ない。では済まされないのが、殺し屋なのだよ。」
「私は――。」
「君は日本で一番大きく、古い殺し屋組織に属したのだ。それも組頭として、先の幹部として。」
「私は思い違いをしておりました。」
「正義の味方になったつもりでいたか?」
「はい。決してそのような格好の良い者では無い。そう『お奉行』から言われていたのを忘れておりました。」
「理解できた様だな。」
「はい。報酬はどのように使ってもよろしいのですよね。」
「あぁ構わんよ。何処へ寄付しようが構わないが、同じ所へ続けるのは感心できない。」
「分かっております。決して足が付かないように、使わせていただきます。ですが、やはりお奉行も――。」
「毎月は辛いぞ。良い所が有ったらメールくれ給え。」
「ご冗談を。辛いのであれば、内緒にさせていただきます。」
「それは残念だ。」向こう側から笑い声が聞こえた。
「ところで報酬の出所は何処なのですか?」
「詳しくは分からない。恐らく『上様』だと思うのだが――。そうだ、奉行に成り立ての頃に、今の君と同じ質問を上様へした事があった。」
多治見の興味がそそられたのが、電話越しでもわかった。
「本多正信が残した『徳川の埋蔵金』だと言っていたな。」
「徳川の埋蔵金――ですか?」
「可笑しいだろ。」
徳川の埋蔵金とは徳川慶喜が大政奉還する際に、勘定奉行をしていた、小栗忠順が隠したとされる、今でも騒がれ、探されている都市伝説のひとつで、本多正信は徳川家康の軍師であった。初代将軍の家康と、最後の将軍慶喜では時代がまるで異なっている。
「確かに、本多正信では時代が違いすぎますね。」
「上手く上様に、はぐらかされたよ。」
「私がお聞きすると、『ノーベルの遺産』とでも言われるのでしょうね。」
「かもしれないな。」
「その時は、上様に直にお目通り願いますよ。」
「それは出来んのだ。上様が何処の誰なのか、知る事も調べる事もできない約束がある。所詮、奉行職も雇われの身。いくら頑張っても、奉行より上には行けんのだ。」
「分かりました。どうもお忙しいところ、お時間を割いていただきまして、ありがとうございました。」
「もう良いのか?」
「はい。全て承知いたしました。後戻りなど出来ません。新しい仲間の為、未来の日本の為に進みます。」
「分かった――。そうだ。ついでで申し訳無いが――。」
「何か?」
「そろそろ連絡が行くかと思うが、今【ABURI】が仕掛けている件が決まりかけている。通常の体制に戻し、君にも仕置きの組頭として、三役会へ出て貰う。日時と場所は【ABURI】から連絡をさせる。」
「承知しました。」電話が切れた。
一人の静かな時間は気が滅入る。いつもなら、居間のこのソファで考え込んでいると、美佐江が適温のホットコーヒーを淹れて持ってきてくれた。それを飲むと、何故か良い回答が引き出せた。だが、今はいくら待っていても、水一杯出てこない。テレビやラジオを点けない限り話し声が聞こえない。時より家の前を車やバイクが通り過ぎる音が、唯一の音に成る。
「仕方ない。時間は有るし、飯でも作るか。」とソファから立ち上がり、二人が微笑む遺影を見る。
「今日は玉子掛けご飯とインスタントの味噌汁だよ。上手く炊けると良いのだが――。」
多治見が台所へ入り、冷蔵庫を開けた。主だった食材は、テーブルの上に有った、中途半端に調理された食材と共に、時恵が勿体無いと言いながら、昨夜の夕飯に使い皆で食べてしまった。玉子も無く、買出しへ行くか、外食にするかを思案している所へ、家の電話が鳴った。
「誰だろう?」電話のモニターには、町内会長の名が表示されていた。
「はい。多治見です。」と電話に出る。
「夜分に澄みません。この度は、ご愁傷様でした。」と町内会長の松井の声が、丁寧にお悔やみを告げた。
「ありがとうございます。昨日は告別式までご出席いただきまして」
「ご近所ですから、当たり前のことです。」
「ところで、私に何か?」用件を切り出した。
「多治見さんの件が有ったから、と言うのではありませんが、前期の会長からの申し送り要項にも有ったのですが、この町内にも防犯カメラを設置しようと言う声が、本日の緊急集会でも上がりまして、こういった相談をするのは、生活安全課の刑事さんの多治見さんへするのが一番だと――。」
「そうですか。電話では難しい話しですので、松井さんの都合の良い時に伺いますよ。」
「引き受けていただけますか?」
「勿論ですよ。ただ、もう私一人ですので、時間の制約は否めませんがね」
「それは承知しております。でも良かった。助かりますよ。」
「では、私が不在の時は、留守番電話に用件を残してください。帰宅しましたら、内容に合わせて対処いたします。」
「畏まりました。宜しくお願いします。」
防犯上の関係で、前々からそういった相談を、新宿南署の生活安全課で何件も受けてきた。そこかしこにカメラを設置する自治会や商店が急増し始めている。
「個人のプライバシーはどうなるのか?」
街への買い物や自宅近所を散歩するだけでも、カメラに撮られる。盗撮と紙一重なのだが、住人全員が賛成するとは限らず、途中で白紙になる事も多々有った。しかし、自分の家が標的となり、近所に不安と恐怖を残したのは事実であった。多治見には町内の相談に乗る義務があると感じていた。
今日のところは外食をして、多少の食材を買って帰る事にした。小さなバックに、財布や携帯を入れ軽装で外へ出た。
駅前のラーメン屋で、味噌ラーメンと餃子を食べ、スーパーで野菜や肉、食パンと牛乳等を適当に買った。帰り道、電柱の上を何気なく見ると、赤いドーム型の防犯カメラが見えた。
「こんなところでも監視されているのか。」
運営管理者次第で、存在の意義が大きく変わってくる。まだ、自治体や商店街であれば防犯に重きを置いているだろうが、個人宅の前に有る物は、自宅前を歩く人を観察できる。『引きこもりストーカー』というのも、その内現れるかも知れない。
自動車事故で、我が身の保全の為に付ける車載カメラや、自由気侭に撮影できる携帯に備え付けのカメラ。パソコンでの地図が、自宅も含め写真で見られる物。確かに世の中は利便性の向上に進んでいる。だがその分、プライバシーが希薄になってきている様にも思う。
携帯の振動を感じた。葬の携帯に電話が掛かっていた。
「もしもし」相手を確認せずに急いで出た。
「今、よろしいでしょうか?」
聞き覚えの無い声だった。携帯を耳から離し相手の表示を見る。
「済みません。買い物途中だったもので」
「掛け直しいたしましょうか?」
「もう大丈夫です。何でしょうか【ABURI】」
「今、仕掛けている件で――。」
「奉行から大まかに聞いています。三役会に同席しろとの命を受けました。」
「それは助かります。」
「僕は上司でもニューフェイスですよ。」
「はい。承知しております。でも自分は【SABAKI】を信頼をしております。」
「わかりました。それに応えられる様に努力しますよ。――で何時ですか?」
「唐突で恐縮ですが、明日の夜二十二時に、登戸駅前のレジデンスMUROIというマンションの三○五号室です。」
「了解しました。」
「『むろい』は英文字でMUROIと書きます。」
「ありがとう。【JITTE】と【TEGATA】も来ますね?」
「はい。しかし二人には時間を二十三時と伝えました。」
「どうしてですか?」
「この件で、少し【SABAKI】へご相談……。報告するべき事があります。なので、二人と時間を空けました。」
「分かりました。では明日、二十二時に行きます。」
「宜しくお願いいたします。」
「それと、家内と娘の葬儀に来てくれた様で、ありがとうございました。」
「私は【SABAKI】にお会いしたくて、伺った次第です。」
「感想は?」
「先程お話しした通りです。」
「ありがとう。では。」
電話が切れると、多治見は眉根に皺を寄せた。少し考えて、メールを送信し、自宅へ向け歩き出す。間も無く携帯に振動を感じた。
「忙しい所悪いね。」電話に出ると、始めに謝った。
「いいえ。どの様なことでしょうか?」
電話の相手の【NAGARE】が用件を問う。
「明日【ABURI】に会うのだけど、どんな容姿か聞くのを忘れてね。」
「そうですか――、【ABURI】は、少し太り気味で坊主頭の大男です。」
「凄く分かり安いね」
「ありがとうございます。性格は根暗ですがとても慎重な人間です。」
「ほう。根暗で慎重――。か。」
「何か?」
「いいや、ありがとう。助かりました。」
「では、これで失礼いたします。」
帰宅して食材を冷蔵庫にしまい、風呂を沸かし入った。風呂上がりに缶ビールを持って居間のソファに座り、テレビを点けた。缶ビールをゴクゴクと音を立てて飲んだ。乾いた喉に潤いを取り戻すと、テレビのニュースに目を向けた。
事故や事件の殺伐としたニュースの後に、動物の赤ちゃんが映った。可愛いその仕草にじっと見入った。
「やっぱり一人は寂しいな。犬か猫でも飼うか?」
ひとり言だった。声を出さないと、自分さえいなくなってしまいそうな気がしているのか。
(少し、変わったかな)今度は静かに、心の中で発した。
七日間の忌引きが出されていて、今日は夕方までゆっくりと、自分なりに片付けや整理をする積りでいたが、朝から、美佐江の友人の、電話の応対に追われた。通夜や告別式に出られなかった,遠方へ嫁いだらしく、多治見家へ来たいとの申し入れであった。多治見は断るのも申し訳ないと、承諾したのだが、美佐江の地元の静岡を始め、京都や広島、岩手からも来られ、弔問客は総勢十人を超えた。
彼女達は、多治見家に居た二時間ほど、美佐江の思い出を次々と多治見へ話してくれた。知らなかった美佐江の女学生時代を始めて知った。初恋、失恋、両親と店への確執、そして上京。
歩んできた人生を、一瞬に消した菅谷の顔が浮かんだ。また、大人の階段を踏み出る事無く、奈美の人生を消した菅谷を、今でも多治見は許せなかった。
この悲しみや辛さを無くすべく、葬は必要だと改めて思った。
多治見は昼食を用意すると申し出たが、皆は気を利かせ辞退して、昼を少し過ぎた頃に帰って行った。
静けさを取り戻した家で、多治見は一人お茶漬けを啜った。昼の情報番組を見ていると、『菅谷は誰に殺されたのか』の文字が目に入った。
元警視庁の警部がテレビに出て、言いたい放題話していた。ただ菅谷の仲間が雇った『殺し屋』の仕業だと、満更遠い話しでも無く、良い線を衝いてはいる。と思った。
茶碗を口にしながら、そんな番組を観ている時に、自分の携帯が鳴った。発信元は相良であった。
「もしもし。先日は奥さんまで来て貰って、ありがとう」
声を確認する前にそう言って電話に出た。
「今、テレビを観られるか?」相良は唐突にそう言った。
「あぁ。菅谷の事をやっている番組かい?」
「違うな。Nテレビにしてみろ」
相良の言う通りにチャンネルを変えると、加賀谷の事をやっていた。加賀谷の病院での殺人について、菅谷を殺した犯人と同一犯だと話している。若いが何処と無く陰の有る男が映っていた。
「その男、見覚えは無いか?」
「確か父親が法務大臣の――」
「そうだよ。強姦だの薬の密売だのと、噂に事欠かない。自称、若き犯罪評論家の亀井野潤一だ。」
「こいつがどうかしたのか?」
「加賀谷が寝た女だが、どうやらこいつのお気に入りの女だったらしい。」
「えっ!それじゃ加賀谷への報復をした犯人か?」
「かも知れない。まぁ、亀井野も馬鹿じゃない。決して自分の手は汚さない。」
「すると誰かを雇った。と?」
「それが、先日の偽医者の男だと俺は睨んでいる。」
多治見は焦った。電話だったのが幸いした。直に会って話しをしていたのなら、多治見の表情を読まれ詰問されていたと確信した。
「法相の息子とは、相手が大きいな。気を付けろよ」
「わかっている。だがな。絶対に、加賀谷と偽医者――本当は他病院では名の通った外科医だそうだが――。それと亀井野の三人の繋がりを暴いてやる。」
「おいおい。無茶は禁物だ。本当に気を付けろよ。」
相良の身の安全を優先に考え発した言葉だが、心のどこか深くで、『葬』に近付かないで欲しいという、念が入っていた。
「電話したのは、俺に万が一――」
「相良!今俺が言った言葉。意味判っているのか?」
「あぁ。だから多治見に伝えておくんだよ。俺は亀井野を追いかける。俺に何か有ったら、亀井野を叩いてくれ!」
「いいや。お前にそんな事はさせない。」
「すでに、法務省からウチの課長へ圧力が掛かった。いい気になってテレビに出て、言いたい事を言っているが、奴は真犯人だ。」
「相良、少し落ち着け。お前にも奥さんや子供がいるのだろう!」
電話は切れた。多治見は焦った。今は亀井野を追いかけているが、本気に取り組んでいる相良なら、近い内に、葬に行き着くかもしれない。一番の親友が一番の宿敵になった気がした。




