仕置き組
仕置き組
多治見が美佐江と奈美が安置されている、祐天寺駅近くの病院に着いたのは、昼の十二時を回っていた。待合室は、治療を終えて支払いや薬を待つ人で溢れていた。総合案内所で名前を告げると、事務局長がやってきて、霊安室まで案内をしてくれた。
気を利かしたのか、事務長は扉の前まで来ると、そっと下がり多治見一人になった。扉のノブに手を掛け回す。押して中に入ると二つのベッドが並び、白い布が掛けられていた。
正面に立てられた蝋燭に火が灯り、線香はゆらゆらと煙を伸ばしていた。多治見はベッドの間に進み、右側のベッドに掛けられた布を捲る。
妻の美佐江が静かに――、寝息も立てずに寝ていた。反転して、左側のベッドの布を捲ると、普段は笑みの耐えない奈美が、無表情に寝ていた。多治見は二人の顔を、ゆっくりと交互に見て目を閉じた。昨日の夕方、渋谷中央署の前で二人に会った時の光景が浮かんだ。
「クリームシチューだったよね。二人で作ってくれるって言っていたよね――。僕が驚く洋服を着て、ディズニーランドへ行くって――。有給届け出してあるんだ。――来年は受験だから、絶対、今年行くんだと言っていたじゃないか――。美佐江……。二人で描き始めた――あの絵は、どうしたら良いのかな――。僕は……一人でどう生きて行けば……。良いのかな。」
多治見は泣いた。二人が驚き起きれば良いと、大声を出して泣いた。美佐江に縋った。奈美を抱きしめた。二人の冷たい体は、多治見がいくら抱きしめても、多治見の体温では温まりはしなかった。
多治見は――。
ひとりになった。
暫くすると扉がノックされ開いた。二つのベッドの間に、生気をなくして座り込んでいる多治見が見上げる。
「この度は本当にご愁傷様でした。」
見覚えの無い、長身で小太りの五十代の男が、部屋の外から挨拶をした。
「お見苦しい所をお見せして。申し訳ありません。」
多治見はふら付きながら、立ち上がり見覚えの無い客へ応対した。
「いいえ。とんでも御座いません。私の方こそ、このような時に突然伺いました不躾を、ご容赦ください。」
「ところで、どちら様でしょうか?」
男は部屋に入って扉を閉めた。そして「先程から――。三十分程前から電話を掛けていたのですが、出られないので、入られたこの部屋の事も有りまして、万が一を想定し『お奉行』に直接行くようにと――。」
「お奉行?『葬』の方……、ですか?」
「はい。貴方の部下になります。【NAGARE】と申します。」
「そうでしたか。余計な手間と心配をさせてしまった様です。申し訳ありません。」
「ここの病院に用事がありましたので、手間と言う事はございません。」
「で、用件は?」
「その前に、お線香を上げさせていただいても、宜しいでしょうか?」
「あっ。どうぞ、お願いします。」
多治見が承諾すると【NAGARE】は多治見と家族へ向かい、両手両膝を床に付いた。
「本当に申し訳ございませんでした。」と額を床に付け詫びた。
「いきなり、どうしたんですか」【NAGARE】の所作に戸惑った。
「菅谷の裁きは決まっていたのです。今日、彼は『流罪』になる手筈で段取りを組んでおりました。菅谷は友人の家に泊まる事になっていたので『目明し』を付けずにいたのです。その矢先、菅谷はお二人を殺害してしまった。お二人の死は――。私の甘さが原因です。それだけではありません。時間稼ぎと菅谷の居場所を確定させる為に、奥様とお嬢様を陵辱したような偽証をさせ、貴方とお二人を深く傷つけてしまいました。私は――取り返しの付かない事をしてしまいました。本当に――本当に申し訳御座いませんでした。」
【NAGARE】は涙を流しながら、何度も額を床に付け詫びた。見るに見かねて多治見は、【NAGARE】の手を取り「ありがとう」と礼を言った。それを聞き【NAGARE】は驚いた。
「何故に、ありがとう――。なのですか?」
「正直に話して貰って、これから貴方を信じる事ができます。」
「しかし、私が――」
「いいえ。貴方はたまたま『葬』にいたから責任を感じているのです。『葬』とは関係なく、菅谷の存在が美佐江と奈美の命を奪ったのです。」
「その菅谷ですが、先程、十一時四十三分に【ZANN】の手で、仕置きが完了いたしました。その報告をしようとしていたのです。」
「そうですか、彼は死んだのですか――。」
多治見は二人へ目を向けた。
「はい。」
「これで、二人の葬儀ができます。ありがとうございました。」
多治見は【NAGARE】に深々と頭を下げた。
「他の皆さんにも、ご苦労様でしたと、お伝えください。」と続けた。
その時扉がノックされた。
「どなたですか?」と扉の向こうへ声を掛ける。
そっと扉が開き、相良が顔を覗かせた。
「相良か?」
「邪魔じゃないか?」
「あぁ。大丈夫だ。」
相良は一礼をして、多治見に近寄った。
「もしかして、菅谷の弁護士先生じゃないか?」
【NAGARE】を見て訊いた。
「はい。菅谷君の弁護士をしていた白木健一と申します。」
名刺を出しながら、相良へ挨拶をした。
「菅谷が死んだ報告でもしに、いらっしゃったのですかね?」
「はい。今、多治見様とご家族へ、ご報告とお詫びをさせていただきました。」
「用事は済んだのか?」
「はい。では、私はこれで失礼いたします。」と二人の刑事へ告げ、部屋から出て行きかけた。
「白木さん」
声を掛けられ振り向いた白木へ「貴方の所為ではありません。貴方は貴方の仕事をされたのです。」とはっきりと言った。白木は深く頭を下げて退室し扉を閉めた。
「わざわざ来て貰って済まないな。」
「まずは、お線香を上げさせて貰っても良いか?」
「勿論」
相良が二人へお線香を上げ、「犯人は死んでしまいました。逮捕できずに、本当に申し訳ありませんでした。」と深々と頭を下げ報告した。
「本当に申し訳ない。」と今度は多治見へ頭を下げた。
「止せよ。俺が菅谷の話しに乗らなければ、ちゃんと逮捕できていたさ。それよりも忙しい中、わざわざ来て貰って済まない。」
「実は、わざわざ来たわけじゃないんだ。」
「?」白木と同じ事を口にした。
「加賀谷はこの病院に入院していてな。様子を見に来たら、ウチの署の刑事から、美佐江さんと奈美ちゃんがここにいるって聞いてさ。そっとしておこうとも思ったが、話し相手が居た方が良いかと思って、思い切って来てみた。」
「ありがとう。実はさっきまで滅入っていて、もう死んでも良いぐらいに考えていた。」
多治見の視線の先を相良が追った。その先には、白い布を裁断して忘れられたのだろう、小さな机に裁ち鋏が一丁置かれていた。
「多治見にとって二人は命その物。だけどな、死んだらだめだぞ!美佐江さんも、奈美ちゃんもそんな事は絶対に望まない。」
「わかっているよ。もう、そんな気も起きないさ。ところで、捜査の方はどうだ?」
「テンで進まん。多治見から聞いて、害者の名前が分かったくらいでな。拷問の手口も医者へ聞いたら、靭帯や腱だけを切るなんて事は、特殊な刃物を使って、時間を掛けないとできないらしい。悲鳴を上げても外に音が漏れない場所や、特殊な刃物の線もまとまらないしで、八方塞がりだ。」
「菅谷との関連は無いのか?」
「あいつならしそうだがな。感じんな菅谷が死んじまっちゃ」
「つるんでいた仲間がいただろ。」
「やっぱそっちから当ってみるか――。」
「どっちにしても、危険だから、一人では動くなよ。」
「ありがとう。とりあえず、加賀谷の様子見て、一度、署に戻るわ」
「うん。本当に来てくれてありがとう。」
「気落ちするなと言うのは無理だろうが、気をしっかり持ってくれ。一日でも早い復帰を待っている。」
「ありがとう」
相良は美佐江と奈美へ一礼して部屋を出ていった。一人になった霊安室は無音になった。
多治見は『葬』の携帯を取り出し開いてみた。『仕置き組』のアイコンを開き、中を見る。
【NAGARE】
【ZANN】
【ABURI】
【TATAKI】
四つのコードネームが有る。「【NAGARE】はさっき来た白木という弁護士か。他の三人も、彼のような人材なら良いのだが――。」
携帯を持つ手が震えた。メールの着信マークが点いた。メールの送信相手は【JITTE】とある。
《仕置き組の【TATAKI】は、私情により加賀谷と言う男を仕置きしたが、仕損じた模様。再度仕置きをしに入院先の病院へ行く可能性大。裏切りは死を以ってけじめをつける掟。これより、『目明し組』で【TATAKI】の詳細な身辺調査に入る。》
(加賀谷って、相良の追っている事件じゃないか!こんなにも早く相良と関るなんて。)続けて【NAGARE】からメールが来た。
《加賀谷の傷を確認。【TATAKI】の仕業と断定する。お奉行の指示を待つ。》
多治見は急ぎ全員へメールを出した。
《現在、加賀谷には渋谷中央署の刑事が付いている。病室前にも護衛の警察官がいる。今、病院へ近付くのは危険。》
送信後すぐに、お奉行から電話が入った。
「まだメンバーも把握出来ていないのに、最初から迷惑を掛けるな。」
「とんでもありません。」
「【TATAKI】の裏切りは確かのようだ。既に【ZANN】が【TATAKI】へけじめを付けに向かってしまった。彼女は簡単には止められない。【NAGARE】と組んで【ZANN】を助けてやって欲しい。」
「わかりました。【NAGARE】とは先程会いましたので、院内を探して、手分けして【ZANN】を止めてみます。」
「すまないが頼む。」
電話が切れると同時に【NAGARE】から電話が入った。
「先程は助かりました。」
「気にする事は無いさ。それより私には【ZANN】も【TATAKI】とも面識が無い。と言うか、『葬』で面識があるのは、お奉行と君だけだ。」
「【TATAKI】は入って日が浅いので、細かい所までは覚えておりません。」そう前置きして「先代の【TATAKI】の最後の仕置きに、私がサポートに選ばれ、その時に、刑場と采配の勉強に来ていました。背の低い筋肉質で三十前後ぐらいの男と記憶しています。」
「了解。他には?」
「埼玉の大きな病院の外科医だと紹介されました。それと、自分が考案した特別なメスだと、サポートの私に、自慢げに、自分の獲物を見せたのを思い出しまして、何か裏がありそうで【JITTE】へ簡単な調査を依頼していたところです。」
「そうですか。金銭目当てで加賀谷を狙ったのでしょか?」
「そのあたりは、はっきりと分かりません」
「どちらにしても、私も病室近くで待機します。【TATAKI】と【ZANN】を見かけたら連絡をください。」
「承知いたしました。【ZANN】は――。」
「女性と聞きましたが」
「ストレートの黒髪が腰まで有る、色白の美人です。」
「美人ですか――。苦手だな。」
「は?」
「いいえ。ではお願いします。」
電話が終わると、多治見は霊安室を出て、加賀谷の病室へ向かった。総合案内所で聞けば済む事だが、多治見が加賀谷を探していたと、外部へ漏れるのは控えたい。相良へ電話して聞くのも可笑しな話しだ。多治見は焦りを押さえながら辺りを見回した。
院内では、午後の診察の準備が始まっていた。待合室の奥を見ると、制服を着た警察官が二人、エレベータに向かうのが見えた。空かさず多治見はエレベータの近くへ異動し、点灯する階数を目で追った。すると六階で停まったまま、階数表示のランプは消えた。
「六階か」多治見はエレベータの上のボタンを押して、一階で待機していた隣のエレベータに乗り込むと、五階と六階を押した。扉が閉まり上階へ移動する。五階で扉が開くと、正面にナースステーションあり、その横にこの階の部屋の配置図が貼られてあった。それを見て、大雑把に部屋の配置を頭に入れた。そして、そのまま六階へ行き、エレベータ横に設置された、入院患者との面会用のスペースに入り、通路が見える席ところに座った。
ここ六階にも五階と同様に、案内図がエレベータを降りた正面の、ナースステーション脇に貼ってあり、多治見が座った所からも良く見えた。
この病院の病室は、エレベータホールを中心に左右に廊下が伸びており、廊下を挟み両側に部屋がある。ナースステーションの左側は大部屋らしく、部屋割りが大きく書かれ、反対の右側は、奥に行くにつれ部屋が小さくなり、突き当たりはVIP用の個室と思われた。多治見は加賀谷の部屋を、右側の奥から二つ目と当りを付けた。
五分程すると、相良が昨日一緒にいた同僚と話しをしながら、右側からやって来て、多治見の目の前を通過した。相良は多治見に気付かず、そのまま下のボタンを押すと、多治見が乗ってきたエレベータが六階で待機していたので、待たずに扉が開き二人はそのまま乗り込んだ。
多治見は用心深くエレベータホールへ出ると、相良が乗ったエレベータの階数を確認した。どこの階にも停まらずに、まっすぐ一階まで行ったのを見届けると、同時にナースステーション横の階段の扉が開き、白衣を着た痩身な女医が姿を見せた。後ろで束ねた髪は長く腰近くまで伸びている。色白で美人な女医だった。女医は迷う事無く、両手を白衣のポケットに入れたまま、颯爽と右側の廊下を歩いて行く。
「【ZANN】だ。」感じた瞬間、多治見は女医の後ろに付いた。
「先生、済みません」と声を掛けた。いきなり声を掛けられた女医と、病室の前で立哨している警察官が多治見を見た。
「先生、先日はありがとうございました。お陰様で家内の容態はよくなりました。」そう言いながら、多治見は女医を一度追い抜いて、二人の警察官に背中を向けた。そして小声で「【ZANN】ですね?」と訊ねた。
女医は「それは良かったわ。奥様の部屋は階下だったわね。時間があるから、ちょっと診に行こうかしら」と自然に応え、エレベータホールへ引き返し始めた。多治見も女医へ「ありがとうございます」と言いながら後に続いた。
「あなた誰?」
エレベータを待ちながら小声で問う。
「『お奉行』と【NAGARE】に、君を止める様に頼まれた。」
メールの文章を打ちながら答えた。エレベータが着きドアが開くと、二人は乗り込み多治見が三階と一階、そして地下一階のボタンを押した。
「どうして私が判ったの?」
ドアが閉まると疑問を口にした。
「【NAGARE】から、君の特徴は聞いた。」
多治見の答えに、【ZANN】は目を閉じ天井に顔を向け一呼吸した。
「さすが『お奉行』が引き抜いた敏腕刑事ね。でもこれ以上、私の邪魔はしないで。私は裏切り者を始末しなくてはならないのよ。」
今度は目を床に落とし多治見を非難した。
「それは僕の仕事だ。君はこのまま帰りなさい。」
多治見にしては珍しく、険しい目を【ZANN】に向け、静かだが、躊躇無く言い切った。
「新人の貴方には関係無いわ。」
エレベータは三階に停まり扉が開く。外を見て誰も待っていないのを確認すると閉のボタンを押す。
「ニューフェイスもオールドも関係ない。」
「では私が何故、【TATAKI】を始末するのか、貴方には理解できるの?」
「独善――。それとも自己満足かい。」
一階に停まり扉が開く。乗り込もうとする白髪の老人へ、「地下へ行きますよ」と多治見がにこやか言うと、乗り掛けた足を引いた。扉が閉まるのを待っていたように「どう言う意味!」と語気を荒げた。
地下一階で多治見は降りて、【ZANN】へ「付いて着なさい。」とだけ告げた。【ZANN】は仕方無しに多治見に続いた。
美佐江と奈美が眠る霊安室へ入ると同時に【ZANN】が口を開いた。
「さっきの独善とか自己満足ってどういう事か、説明して欲しいわね。」
「その前に、ここに眠っているのは僕の妻と娘だ。君が二人の敵を取ってくれたと【NAGARE】から聞いた。御礼を言うよ。ありがとう。」
多治見は【ZANN】へ頭を下げ礼を言う。【ZANN】はここが何処なのかを始めた理解した。
「ごめんなさい。霊安室だと気付かなくて――。」
そう言うと二人へ手を合わせた。
「それだけ今の君は、【TATAKI】への復讐心で一杯になり、周りがまったく見えていない。そんな状態で、【TATAKI】へ仕置きなどできるのかい?」
【ZANN】は反論ができず唇を噛んだ。
「君のミスは『葬』そのものを危険に晒す。無鉄砲な【TATAKI】への制裁で、大勢の仲間を表舞台に上げることにもなり兼ねない。」
「そんな事――。今更あなたに言われなくても分かっている。」
「それほど【TATAKI】が憎いのか?」
「憎いわよ!あいつは――、自分が受けた仕置きを無断で休んだ。その所為で――」
【ZANN】はその時の事を語り始めた。
「下手人は少女を強姦して殺す。とても残忍な奴だった。少年院を出てきてもその癖は治らずに、出所して僅かひと月にも満たない再犯者だった。幸い、『目明し』が付いていたから未然に防げたけど、その後も、夜道を歩く小学生から高校生まで、立て続けに襲いかけては『目明し』に止められた。『お奉行』も再犯癖が治らないと認め【SABAKI】へ仕置きを――。死罪を指示した。そして【TATAKI】が自ら仕置きを望んだ。」
多治見は黙って話しを聞いた。本音は、家族の前で話して欲しくは無かったが、反面、自分が選んだ今後の道を、二人へ知らせるのに、良い機会を持てたとも思った。
「【TATAKI】は仕置きがある度に志願した。始めはニューフェイスで躍起になっていると、皆がそう思っていた。だけど、様子がおかしいと【NAGARE】が言い出し、【JITTE】へ調査を依頼した。」
「様子がおかしい。とは?」
「【NAGARE】は殺人をしたがっているようだ。と言っていた。」
「なるほど――。」
「そしてあの日。【TATAKI】を試してみる事になって、その仕置きを【TATAKI】に任せる事になった。わたしがサポートに入り【SABAKI】は監視役として、刑場近くで待機していた。」
【ZANN】は辛そうに眉根に皺を作った。
「仕置きの時間はきた。下手人は予定通りに刑場へやってきた。皆がそれぞれの持ち場に着き【TATAKI】を待った。五分が十分と時間が過ぎても【TATAKI】の姿は見えなかった。仕方なく【SABAKI】は私に、代わりに仕置きするようサインを出した。私は急ぎ足で獲物を手にして下手人へ近付いた。その時――。『運が悪すぎた』としか言えない。脇道から十歳位の少女が一人で出てきた。下手人は暗い夜道で、人気も無い絶好な条件下の基、本能的に動いた。いきなり少女を抱えると茂みに連れ込んだ。私は焦った。ここで仕置きをすれば、殺すところを少女に見られてしまう。私の顔を覚えられたらどうしようか。などと躊躇していた。そうしている間にも、下手人は少女の服を引き千切り、剥がし始めた。しかし私は一歩もそこを動けなかった――。」
両手で苦悩する顔を覆い隠した。
「茫然自失……か」
「その時、【SABAKI】は私を押し退けて茂みに飛び込み、下手人を弾き飛ばし、少女から下手人を引き剥がした。下手人は目の前で獲物を取られ、狂ったようにナイフを持って暴れた。少女へ気が向いていた【SABAKI】は、そのナイフに刺された。二度三度と刺されながらも、少女に自分の上着を着せて道路へ押し出した。「うっ」と言う短い苦しむ【SABAKI】の声が、下手人の喚く暴言の中で聞こえた。それが、私が聞いた【SABAKI】の最後の声だった。」
今度は両耳を押さえながら、何かを拒絶するかのように、激しく頭を振った。間が空き【ZANN】は落ち着きを取り戻し、話しを続けた。
「少女は震えてその場に座り込んだ。【TEGATA】の仲間が、急いで少女を連れて離れた。【SABAKI】は力尽き茂みの中で倒れた。下手人は道路で立ち竦む私を見て、呆れた事に私を襲おうとした。我に返って、私は下手人の喉元に獲物を突き立てて、そのまま脳みそまで一気に差し込んだ。仕置きは簡単だった。ほんの一突き。刹那の業。下手人が歩道に両膝から崩れ落ちるまでは数秒で、何時もと同じだった。でもあの時は、下手人の横に【SABAKI】が横たわっていた。その後、私と死んだ下手人は【TEGATA】の手配の車に乗り、その場から離れた。少女と私を守った【SABAKI】を置き去りにして――。今、思えば、仕置きモードで臨んだから、仕置き以外の考えが働かなかった。私が【SABAKI】の様に、少女を助けてから、仕置きすれば良かったのだと。悔やんでも悔やみ切れない。」
全てを話し終え、重荷を少し下ろせたのか、【ZANN】の顔から憤怒の色が消え、今、何を考えているのかさえ読めない程に、自分の表情と想いが消えていた。。
(お奉行が話していた、桂木勇が先代の【SABAKI】だったのか)
多治見は岩本から聞いた話しを思い出した。
「それで目明しの調べで、【TATAKI】が裏切ったと分かったから殺しに来たのかい?」
「そうよ。」
「怒りに任せて、下知も無く殺したのでは。それはただの殺人だ。先代の【SABAKI】はそれを望むのか。部下が殺人鬼へとなる事を黙って許すのか。」
「――。」
俯き黙る【ZANN】へ多治見が近寄ると、いきなり束ねた髪を掴み、裁ち鋏で結わいている上辺りから、ばっさりと切り落とした。咄嗟の事で【ZANN】には何が起きたのか理解できなかった。
キンと金属音がして、【ZANN】の獲物が床に落ちた。多治見は堕ちた獲物を蹴って壁際へ飛ばした。
「きさま!何て事をした!」
当然の如く【ZANN】は怒り、多治見に向かって蹴りを出した。が、空を切って一回転した。多治見と対峙して、ファイティングポーズを取っている【ZANN】へ言った。
「これで君は、当面獲物が持てない。持てるようになるまで、ゆっくり休みなさい。後は――、部下の不始末は僕が始末を付ける。」
「何を言っているの!私がやらなければ意味が――」
「さっきも聞いたが、先代の【SABAKI】は、君が殺人鬼になっても平気な人間だったのかい?」
黙り込む彼女へ「白衣を脱いでここから――、この病院から出て行きなさい。先代【SABAKI】と葬の仲間の為に。今、君がしなければならない事をしなさい。」
ざんばら髪を両手で押さえ、多治見の手元に有る、自分の髪を見つめている。多治見はその視線の基に躊躇と動揺、断念や戸惑いと言った。不安定な感情が入り乱れているに気付いた。
「白衣を」と静かに、再び催促をした。
【ZANN】は感情が落ち着かぬまま、白衣を脱ぎ多治見へ渡した。多治見はその白衣に切り取った髪を包み、美佐江のベッドの下へ隠した。
「幸い、この階には防犯カメラが無い。出て左へ行くと突き当たりに扉がある。そこから出て帰りなさい。」
無言で多治見を睨む。その目には怒りや憎しみ、迷いは見えないが、絶望がはっきりと見えた。
「とにかく少し休みなさい。この件のけじめは、ちゃんと君へ連絡をする。それまで美容室へ行き髪を整え、自分の生活を送りなさい。」
多治見が扉を開けて、【ZANN】を室外へ出すと、【NAGARE】が立っていた。
「抜群のタイミングだ。今の彼女には絶望が見える。悪いが彼女を送ってくれないか?」
「承知いたしました。」多治見へ応えると、放心した【ZANN】の肩に手を当て「さぁ行こう。」と【NAGARE】のエスコートで歩き出した。
多治見は二人が突き当たりの扉を出てゆくのを見送った。




