笛の音響くこの空に・十六
ゲームが好きだった。
コンピュータゲームだ。何でもやったが、特に対人アクションゲーム全般と戦略シミュレーション、経営シミュレーションに傾倒した。手を尽くして他者を負かすこと、あるいは細かな要素を積み上げて目標を達成することに喜びを覚えたのだ。
だが、十五の歳も越えると飽きて来た。勝利の達成感も敗北や失敗の喪失感も虚構に揺り動かされているに過ぎない。この世界に何の変化ももたらしてはいない。己はちっぽけな子供に過ぎない。
だから現実へと踏み出した。
ゲームではない勝利と達成を手に入れるため、まずは<魔人>となったのだ。
見えない。
夜の海は空とは異なる。
同じく揺らめき、同じく果てが見えず、しかし冷たく纏わりつく重さが逃さず引きずり込むのだ。
巡洋要塞ウェパルは全長一キロメートルを超える巨体を霧に包み獲物を待ち構える。数多の欲望と生贄と毒を載せ、怪物として顎を開いている。
霧が割れる。近付いてくるものがある。
人の歩む速度だ。緩やかに波打つ海面を踏みながら、硬いアスファルトでもあるかのように揺らぎなくやって来る。
<魔人>は理不尽を行う。ましてや力ある者は。
ロングコートの姿が来る。大きく開いた右の袖から巨大な籠手を覗かせて。
それを出迎えるように、舳先へ湧き出すようにして白色人種の青年の姿が現れた。大きく両腕を広げ、にこやかに告げる。
「ようこそ、この巡洋要塞へ。データ照合したところ、<呑み込むもの>で間違いないかな?」
「日本語を喋ってくれるのは助かる。英語で会話できないとは言わないが得意とは言い難い」
歩みは止まらない。止まらぬまま、張り上げてもいない声が百メートル以上の距離を当たり前のように徹る。
「君には死んでもらう。諦めて沈んでくれるとありがたい」
「取り付く島もなさそうだ。まあ、殺し合うのは仕方ない。敵同士だからね。ただ、その前に船に上がってコーヒーでも飲まないか? うちのエスプレッソは悪くないと自負しているんだがね」
青年の姿は大仰な身振りとともに茶番へと誘う。
対して処刑人は、鬱陶しい勧誘への対応だけを行った。
「君に乗るより海の方がまだ安定している」
沈黙。
ロングコート姿の歩みだけが進み、やがて艦上にあった青年の姿が掻き消えた。
機関の音が響く。巡洋要塞が戦闘稼働を始める。
どこからともなく声が聞こえた。
『判るのか……ああ、判るのか!』
先ほどまでの空々しい音ではない。歓喜の響きを隠そうともしない。
中空に開いた闇より砲身が突き出す。
『名乗っておこう。<金星結社>が頭首たる<明星>、その背にあって彼を羽ばたかせる十二の翼がひとつ、<女衒>が欠片にして――――』
六つの主砲に眩い輝き。
『――――更にもうひとつの翼、<巡洋要塞>こそが私なのだ』
解き放たれた光の奔流が戦闘開始の号砲となった。
海面が陥没する。
処刑人が蹴り捨てた後、砲撃を受け止めて半球状に消失した。
およそ千立方メートルの体積など海原にとっては誤差に過ぎず、流れ込む海水が新たな波を生むに留まった。
処刑人が当たり前のように海面を踏んで縦横に機動することになど<巡洋要塞>は驚かない。仮にも<呑み込むもの>などとあだ名されるくらいなのだ、何の不思議があろうか。
立て続けに叩き込まんとした鉄杭は巨大な籠手を嵌めた右腕一本で逸らされ、破砕され、受け止められ、ことごとくが無効化されてゆく。
そして船腹に一撃が撃ち込まれた。巨体がどうしようもなく揺れる。小山でも叩きつけられたかのような衝撃が浸透、崩壊が連鎖し、装甲が次々と脱落してゆく。
これがただの巨大海上施設であったならば、それだけで浸水を止めきれずに轟沈していたかもしれない。
しかし<巡洋要塞>は巨大艦船にして<魔人>である。物体には成し得ぬ、通常の生命であってすら理不尽な対応力でもって、『死』んだ区画を切り離し、『生』きている船体に外壁を構築して新たな己の境界とする。
『一応宣告しておこうか』
音声を出力する。若い男のものだが、<巡洋要塞>はかつての己が男であったか女であったかを覚えてはいない。どうでもよいことだ。
『私の中には罪のない――――とは言わないが、ただの人間の少女たちが居住している。私が沈めば彼女たちも苦しんで溺死することとなるが』
要は国を傾ける娼婦、スィトリの武器である。彼女たちは好き好んでその立場を選んだわけではない。強いられた立場だ。
しかし予測通りに処刑人は答えるのだ。
「諸共に死ね」
『だろうね』
それでこそだ。それでこそ無情なる暴虐に、死の運び手に相応しい。
ならば己も。
艦体再構成と同じ要領で新たな『兵器』を製造する。これは実在する代物である必要はない。本物ではなく、<魔人>としての力なのだから。
後部甲板がせり上がり、格納庫――――正確には中身ごと今造ったのだが――――から全長一メートルほどの紡錘形の物体が飛び立つ。その数、百を超える。鈍色が僅かに月光を照り返し、夜空へと舞い上がった。
空気力学も何もない。飛んでいられる理由など何もない。それでも上空に滞留すると、蕾から花開くように鋼鉄の花弁を広げた。その奥から覗くのは細いながらも砲身だ。
『艦外攻撃衛星とでも名付けようか。上空からの飽和攻撃にどこまで耐えられるかな?』
頭上は生き物にとっての絶対にも近い死角である。理不尽にも捉え切ってのけたとしても、対応までは難しい。
百余りの光芒が降り注いだ。
夜の中に昼が生まれた。次いで、蒸発した海水であるのか靄が海面を覆い隠してしまう。
姿の見えぬことは<巡洋要塞>にとって問題とはならない。疑似的に再現した電波探知測距的感覚、音響航法・測距的感覚によっても海上・海中を捉えている。
『潜ったか』
能動的にならば主砲をも弾く存在があの程度の火力で消滅するはずもない。ゆっくりと沈降してゆくのが分かる。
『ああ、きっと。きっと君は海中でも自在に動けるのだろうな』
艦腹の一部が開き、長さ五メートルになんなんとする杭が十本、投下された。それらは海に潜るや否や生物のようにうねると、指定された標的へと殺到する。一本にですら狙われて沈まぬ船はない。海洋生物も同様だ。強力な<魔人>であってさえ、複数を相手取って海中の不利を負えば死を待つ標的にしかなり得なかった。
『深海猟犬、味わい給えよ』
詰まらなくて<魔人>と成ったはずだった。しばらくは命の危機を常に感じる人生であったが、思えばこれを脱出してしまったのが誤りだった。
得たクラウンアームズの一つは大アルカナの名を持つ最高位の二十二のひとつ、<戦車>。その力と強い願いにより<巡洋要塞>と同化し、己がものとした。
気付いた者はほんの数名だ。一人は<明星>、一人は<闇鴉>、一人は恐らくだが<奏者>、そして最後に<呑み込むもの>。
かくして傍目には不死身となった。立体映像になど何をしても無駄だ。いかな脅しをかけようとも無駄だ。その気になればこの艦上で容易く始末出来る。
だが、代償はあった。
ゲームだ。まさに全てがゲームとなった。意識が其処に在り、そこへ視覚データのようなもの、聴覚データのようなものが流れ込んで来る。意図すれば<巡洋要塞>は機械にはあり得ぬ稼働、製造を行う。自分はただ此処に居て、動かす指もないままゲームをプレイしている。
飽きたから<魔人>になったのに、また飽きた。
<明星>は好きにすればいいと笑った。
<闇鴉>は心から死にたいなら殺してやってもいいと笑った。
好きとは何だったろうかと、もう分からなくなっていた。
もはや全て惰性となっていたはずなのに。
海中で処刑人が動いた。地上と何の変わりもなく、対応動作が行われる。深海猟犬が次々と破砕されてゆく。更に追加した二十も同様だ。ほとんど足止めにもならない。
艦体が軋む。海流が異常だ。自然にはあり得ぬ理不尽な流れを構成している。
反転、艦底まで迫った処刑人が巨大な籠手に包まれた右腕を振るった。
中央左底部から右甲板まで、破壊が奔った。直径十メートルの大穴が貫いたのだ。その間に少女たちの居室もあった。一瞬で死ねただろう。それは偶然であったか、処刑人の慈悲であったか。後者であれば少女たちの在処を見通していたということになるが。
『まだだ』
生身の<魔人>の復元ほどではないものの、瞬時に穴を鋼鉄で充たす。
『私はまだ負けない。まだ死なない』
なくなったはずの感覚が快を叫ぶ。切り離されてぽつんと孤独であった己に死の恐怖が歓喜を呼ぶ。
『さあ、勝負だ』
攻撃衛星が海中に突っ込んだ。減衰しようと己自身を貫こうと全くお構いなし、自爆覚悟の斉射を放った。その一方で海上からはさらなる深海猟犬を降らせる。
斉射は乱射となった。海流に乱された。処刑人は残る砲撃に耐えつつ杭を破砕する。両のまなざしは冷え、海中から跳び上がった。
半球状に配置して待ち受けていたのは六門の荷電粒子砲だ。それらは目も眩むほどに輝きを放つ濁流を発し、それは過たず処刑人を直撃した。
ああ、だが、それほどに眩いというのに、温度のない双眸に揺らぎないことに気付いてしまった。
ロングコートの姿が空中より、着地とともに甲板に右拳の一撃を打ち込んだ。
陥没、破壊、崩壊。そして<巡洋要塞>の中央四分の一が塵となった。
『まだだ、まだ、まだ!』
言葉通りにまだ死なない、機能停止しない。彼方へ離れた片割れに鋼鉄が伸びる、管が伸びる、中空に再び艦が形成されようとする。
しかし既に処刑人の姿は海中へと没していた。
替わりに生じたのは渦だ。それも数十にも及ぶ。その一つ一つが不整合にもほどがある独立した動きと力でもって艦体を力尽くでへし折ってゆく。
それは海ではない。空間そのものが歪んでいるとしか思えぬ力に海水が従い、結果として渦の群れと見えているだけだ。
再生よりも崩壊が遥かに早い。
それでも<巡洋要塞>は足掻いた。
海中に没する艦体から、夜を切り裂き巨人が跳躍する。
曲面と鋭角を組み合わせたそれは、細い二本の腕と太い二本の脚を有していた。頭部はごく小さく、五つの光が灯っている。左腕には小型の荷電粒子砲、右腕には高速振動剣、左胸部には機関銃が六門並んでいる。
夜目にも白い、全高十六メートルの姿は高潔な戦士にも見える。渦の範囲から逃れた後、ホバー機能で海面を滑り人型兵器が砲口を向ける。
『出てこい、もっと遊ぼう』
逃げるつもりはない。逃してくれるはずのないことは理解しているし、言葉通りに遊びたかった。高鳴る胸などもうなくても、痺れる肉体が鋼鉄になっていても、心だけは蘇っていた。
渦が引く。ゆらりゆら揺れる海面に、煌々たる月の遊び居る。
その月が割れた。ロングコートに濡れた様子がない。水を踏み、処刑人が構えた。右半身となり、肘を突き出すように。
「申し訳ないが、遊ぶ気はない」
拍子などなく、滑るように動いた。
その背後が揺らめいていた。足元に海を置きながら、色のない波濤を背に負っていた。計測機能が踊り狂う。あるはずのない膨大な質量を検知してしまった。
もはやそれは空間そのものへの蹂躙となる津波である。砲口より放った破壊の奔流は処刑人の籠手に弾かれ、残滓は波濤が飲み込んだ。
幾度の連射も同様、不可視の波濤は左右からも回り込み、退避すべき場所を与えてはくれない。
だからこそ、突撃した。牽制の砲撃を続けながら、頼みは右腕の高速振動剣。
成功を祈ったはいつぶりだろう。
振り下ろした剣の腹を籠手による裏拳が叩き、破壊する。次いで左の掌底が右脚部を圧し折り、機体バランスが崩れたところを今度こそ右拳が打ち据え、波濤が全てを圧し潰し、砕いた。
『…………ゲームオーバー、か。あーあ』
名も性別も忘れてしまった<魔人>は最期の時に子供じみた響きで嘆息した。
そして何もかもは消え去った。
この夜、沿岸に唐突な高波が押し寄せる幻を見た者が複数あったが、計器に記録されてはいなかった。




