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偶然のつながり

 十月。気温はとうに下降を始め、九十九高校の制服も夏用から冬用へと変えられる時期。

 学祭まで残すところ一カ月となり、奏の実行委員としての仕事もいよいよ本格的に始まってきた。

 そんな中で起こった出来事だ。

「――なぁ、頼むよ。あともう十分くらいでいいんだ」

 奏の前で、同学年の男子生徒がこれでもかと言わんばかりに頭を下げている。そんな彼に奏は困ったような表情しか返せない。

 彼が奏のクラスに来たのは放課後。ちょうどホームルームが終わって、奏はこれから軽音楽部の部室に行こうとしていた時だ。教室を後にする生徒達と入れ違いになるようにして、木下という生徒が入って来た。聞けば、彼は演劇部の部長で、先日発表された、学際当日の体育館の時間割り当てに相談があるとのこと。

 彼の要求は、演劇部が取れる時間を増やしてくれというものだった。

「脚本を削っても、まだ足りないんだよ。俺達の後は軽音部の発表だろ? 何とかこっちに回してもらえないか」

 ほとんど空に近い教室で、彼の声だけが虚しく響き渡る。

「天里には聞いてみたんですか? 今は彼女が軽音部の部長ですし……」

「当然断られたよ。でも実行委員の口添えがあれば、聞いてくれるかもしれない。だろ?」

 その言葉に、思わず眉をひそめてしまう奏。もしかしてこの男は、奏が軽音部の一員であることを知らないのではないか。知っていれば、こうして頼みには来ないだろう。

 時間の割り当ては、原則どの部活も同じだけの時間を与えることを原則につくられている。聞いたところ、演劇部は今年が最後になるメンバーが多く、特に力が入っているとのこと。しかし、それはどの部も同じだ。木下の気持ちは理解できるが、だからと言って融通を利かせることはできない。

さてどうしたものか、と奏が思案し始めた時。

「……諦めろよ、木下」

 後ろから、静かな声が聞こえた。振り返れば、同じ実行委員である海原が立っている。

「かなり時間をかけて実行委員全体で協議したんだ。希望もできるだけ尊重した、他の部だって限られた時間で何とかしようとしてるんだ」

 まさに正論。奏は彼のことを争い事は好まない性格なのだと思っていたので、こうして助けてくれたことが意外だった。

 しかし、海原を目にした木下はその表情を変えた。視線がわずかに鋭くなったのが伝わってくる。

「……うるせぇよ。お前に聞いてない」

「ちょっ……木下君!」

 彼を止めようとした奏だったが、興奮した様子の木下はその先をまくし立てるように口を開く。

「だってそうだろ。こいつ、何の部にも所属してないんだぜ? 先輩達が引退して、それで最初の大舞台で成功させようっていう俺達の気持ちなんて分からねぇよ」

 このままではまずい。そう判断した奏は無理矢理にでも木下の言葉を止めようと大きく息を吸った。だが、それよりも後ろから聞こえた声の方が早かった。

「……だから、どうした」

絞り出されたような声に、奏は冷たいものが背を抜けていくのを感じた。

振り返れば、一見変わらぬように見える海原の顔。しかしその細められた目に、何か危険な感情が宿されているような気がした。

 それに気が付いていないのか、木下は同じ調子で言葉を続ける。

「まだ分かんねぇの? お前は、俺達とは違うんだよ。だから黙って――うわっ⁉」

 飛び出した海原が、木下の胸倉に掴みかかった。そのあまりの唐突さに、奏は止める間もなかった。

驚きによる硬直は、海原が拳を振り上げたところで解ける。

「海原君、ダメッ!」

「……ッ⁉」

 気が付けば、思いっきり叫んでいた。教室どころか、廊下にまで響くようなその声に、海原の動きが止まる。彼は解かれた拳を、まるで自分のものでないかのように呆然と見つめていた。

「僕は、何を……」

「な、何だよチクショウ! ふざけんな!」

 弾かれたように、海原が姿勢を崩した。木下が突き飛ばしたのだ。

「え、ちょっ……」

急に迫って来た背に反応できず、まともに衝突。不幸な犠牲者として、奏は簡単に押し倒された。

「あ……ご、ごめん奏さん! 大丈夫?」

慌てて奏を助け起こす海原。その顔つきは、いつもの彼らしいものになっていた。

奏が起き上がった時には、既に木下の姿はなかった。再び海原に殴り掛かられるのが恐ろしかったのだろう。

「頭とか打ってない? 脚、捻ったとか」

「う、うん。全然平気だよ」

 そのやり取りが以前鋼牙と会った時に似ていて、思わず奏は笑ってしまいそうになる。それを見た海原の顔にも、安堵らしきものが浮かべられた。

「ありがと。助けてくれて」

「いや……じゃあ、そろそろ僕は帰るよ。奏さんも、遅くならないうちに帰った方がいい」

 それだけ言うと、そそくさと自分の鞄を持って教室を出る海原。それを見送り、奏は張った神経を緩めようと大きく息を吐いた。

 部の責任者と実行委員のこうした口論は、毎年のように起こると聞く。今回はただ自分がその貧乏くじを引いただけ――この時の奏は、その程度にしか思っていなかった。



「はぁ? あの海原がキレたぁ?」

 並んで歩く三人のうち、真ん中を歩く天里がこれでもかと言わんばかりに怪訝そうな表情を浮かべる。宇宙人を見たと言われても、ここまで疑われることはないように思える。

 真偽を探るように顔を覗きこまれ、奏はやや上体を逸らせる。

「そ、そうなの。木下君に殴り掛かってね。すごく怖い顔してた」

「……ウチの木下が、ご迷惑お掛けしました」

 天里の後ろで、渚がぺこりと頭を下げたのが見える。

「ウチのって……あぁ、渚は木下と同じクラスだっけ」

「……悪い人じゃ、ないんだけど」

 小さくまなじりを下げた彼女が、ポツリと呟く。

本気で部活をやってるんだろうな、と奏は苦笑を浮かべた。先ほどのやり取りで諦めてくれればいいのだが、おそらくまた来るのだろうなという予感はある。そこにまた海原がいれば、説得どころではない。

それを考えると、心の中に鉛が投じられたような、そんな重苦しさが沈殿する。

「うーん、こっちもできるだけ時間作れるようにやってみる? 準備を早くするとか」

「必要ないって! 大体、演劇部なんて準備時間考慮されて、少しだけうちらより時間多いじゃん……あー! 何かあたしまでイライラしてきた」

「どうどう」

 髪をわしゃわしゃと掻きむしる天里を、暴れ馬と同じ要領でなだめようとする渚。

 不意に、天里の手の動きが止まった。

「あ、そうだ。二人に渡すものがあるんだった」

 そう言うと、彼女は手に提げていた鞄から一枚のファイルを取り出した。半透明なそれから、音符が散りばめられた五線譜が見え隠れしている。

「あ、楽譜!」

 差し出されたのは、手書きの楽譜をコピーしたもの。詩の部分はまだ記されていない。少々気恥ずかしそうに、天里は二人にそれを手渡す。

「作詞はもう少しなんだけどさ……とりあえず曲自体は出来たから。というか、遅くなって悪い」

「……これ、バラード?」

 譜面を眺めていた渚が、小さく首を傾げた。言われてみれば、長調の、ゆったりとした編曲になっている。てっきりロックにすると思っていたので、意外だった。

「うん、私たち結構順番後ろの方だし、あんまりこういうやつやるグループないみたいだから、そうしたんだけど……嫌だった、かな」

 不安そうに奏達の方を見やる天里。

「ううん、全然! ちょっとびっくりしたけどね」

「ん……バラード、やりたい」

 二人の前向きな反応に、「よかったー」と胸を撫で下ろす天里。どうやらそれについて、相当心配していたようだ。

 本番まで、残すところ一か月もない。クラスの出し物や実行委員の仕事もあるため、気合を入れなければ、と意気込む奏。

 そして三人が商店街にさしかかった時だった。


「……あ、鋼牙さん」

 奏は行き交う人々の中に、見知った人物を発見する。ただ、一瞬それが本当に鋼牙かどうか疑ってしまった。いつも見るような黒いスーツではなく、白のセーターの上に茶のコートを羽織っており、下はカーキ色のカーゴパンツといった出で立ち。

「……ん、どうした奏?」

 天里と渚も、その視線を辿って鋼牙を発見したらしい。「うお、かっけぇー」と感嘆した声を漏らす天里。それに同意するかのように、渚もこくこくと頷いている。

「……かっこいい、かなぁ?」

 奏は二人の感想に共感しかね、不思議そうに首を傾ける。確かに背も高く、顔立ちも整っているようには思う。ただ、霧﨑とのやり取りや普段の行動を見ている限りでは、そうは思えなかった。

「……どっちかっていうと、残念な人かなぁ」

「残念って……」

 そんな調子で三人が話していると、その視線に気が付いたのか、それとも向けられた悪口が聞こえたのか。鋼牙の視線が奏達の方へと向けられた。

そして――何故か、その目が見開かれた。奏の目がおかしくなければ、その口は「げっ」と呻きを洩らしたように見えた。

「……なんか、すごく嫌そうな顔してないか――あ、逃げた」

 天里の言葉通り、鋼牙は全力でどこかに走っていった。商店街を行きかう人々に紛れ、すぐにその背が消えなくなる。

「……奏、知り合い? なんかやったの?」

「いや、そんな逃げられるようなことは何も……」

 意味が分からず、奏はただただ混乱していた。まさか、知らぬうちに何か失礼なことでもしてしまっていたのだろうか。

 かなりのショックを受け、うなだれる奏。そんな彼女が、先ほど鋼牙のいた場所にさしかかった時だ。

「ここ、お洋服屋さんなんてあったんだね」

 独り言のように呟かれた、渚の一言。その声に顔を上げれば、個人商店にしては少し大きめの洋服店が目に留まった。

「『安達洋服店』……?」

 不思議そうに看板の名を読み上げる天里の様子から、どうやら彼女もこの店の存在に気が付かなかったらしい。

一度目にすればなかなか忘れなさそうな外装の派手さはないが、今まで幾度となくこの店の前を通ってきたはずなのに、なぜ今まで気が付かなかったのか不思議だった。まるで、保護色で隠れていた生物を見つけた時のような、そんな感じだ。

「へぇ、ちょっと入ってみるか? 学祭の衣装とかまだ決めてないし」

「あ、それいいね」

 天里の提案に賛成した二人。何の気なく、一見重そうな両開きの扉は、力を入れれば簡単にその道を空けた。客の来店を告げるベルがカラカラと音をたてる。

店の中は外観よりも狭く感じられた。それだけ多くの商品がスペースを占領しているのだ。どうやら様々な衣類を取り揃えているらしく、多様な色彩や角ばったロゴが散りばめられた若者向けのものや、穏やかな色合いの機能性重視のものもあった。

しかし、どこにも店員らしき姿はない。見渡す限り並べられた様々な衣服で見えないのかもしれないと思ったが、気配すらも感じられなかった。

「……誰もいないのか?」

「いや、店は開いてるし、多分奥の方にでもいるんだよ。待ってれば出てくるんじゃないかな」

ならば、こちらに来るまでゆっくり商品でも見ていればいい。そう考え、奏が手近にあったセーターを手に取ろうとした時。

 陳列された服の隙間から、何かが覗いているのに気が付いた。

 枝垂れたような黒い髪に、そこから覗く小さな目。それは、女性の顔だった。

「ひえっ⁉」 

「うぐっ」

 思わずとびずさった奏の背に、同じように商品を手に取ろうとしていた天里の顔がぶつかる。

「ちょっ、急に下がるなよな!」

「いや、向こうに女の人が……」

「女ぁ?」訝るようにして、天里が鼻を押さえながら指さされた場所を見る。彼女は目を細めたりしながらじっくりと観察した後、半目で奏の方を睨んだ。

「……誰もいないけど」

「え」奏も先ほど女の顔があった場所を見る。しかし顔も手もなくなり、ただ反対側に並べられたズボンが窺えるだけだ。

「……あれぇ? でも確かに女の人が」

 首を傾げる彼女に、天里が呆れ果てたように首を振る。

「またそんな……あたし向こう見てるからね。店員さんいるかもだし」

「あ、私も」

豊富に取り揃えられた商品に若者心が刺激されたのか、天里と渚は店の奥の方へと吸い込まれるようにして進んで行ってしまう。

「……見間違いかなぁ」

 不思議に思って首を傾げた、その時。

「――何か、お探しですか?」

「うぎゃああああ!」

 突然背後から聞こえた声に、奏が悲鳴を上げた。

「あぁ、すいません! 別に驚かす気はなかったんです、ただ気配を消して背後に忍び寄ってみただけなんです!」

「確信犯じゃないですかそれ!」

 見れば、いつからそこにいたのか、入り口近くに細身の女性が立っていた。先ほど奏が目にした顔だ。

 気になったのは、その女性の身に着けている服。その存在を色濃く強調する真っ黒なドレスに、アクセントとしてか、ぐるぐると巻かれた純白のマフラー。こういった店で働くものにしては、少し華やかさに欠けている気がする。

ただ、容姿は非常に整っていた。言うなれば、大和撫子といったところか。どこか霧﨑に通ずるところがあるような気もしたが、その雰囲気は彼女のそれとは真逆だった。

「あ、あのごめんなさい。大丈夫ですか?」

 おどおどとした目が、床に尻もちをついている奏の方に向けられる。

「あ……まぁ。その、ちょっとびっくりしましたけど」

やや狼狽え気味の女の様子は、脅かされたこちらが逆に申し訳なく思えるほど。奏はすぐに立ち上がり、大丈夫だということを示した。

「それで、ここのお店の方……ということでいいんですよね?」

 奏の無事に胸を撫で下ろした女は、その問いに小さく頷いた。彼女の胸にある名札には「静香」とある。

「私なんかのお店に来ていただいて、その、感激です。お客さんなんて来るはずがないから、てっきり強盗か何かの類だと……ちょっと怖くて」

 どれだけネガティブなんだ。危うくそんな言葉を口にしかけた時。

 再び、来客を告げるベルが店内に響いた。

 音につられるようにしてそちらを見た奏は、「あ」と間の抜けた声を洩らす。ちょうど扉を潜った男も、同じような表情をしていた。

「……お前、何でこんなところに居んだよ」

「そっちこそ、さっきは何で逃げちゃうんですか」

「そりゃお前……アァ、クソ」

 男――鋼牙はつかつかと奏と距離を詰め、その腕を掴んだ。

「え、ちょっ……」

「いいから来い」

 有無を言わさぬ勢いで、彼は天里達が進んだ方向とは逆の方へ進んで行く。途中、静香の横を通り過ぎたが、彼女も状況が呑み込めずにおろおろしていた。

 彼が奏を解放したのは店の最も奥まったところ。急に振り返ったかと思えば、奏の両肩を痛いくらいの強さで掴んだ。

「……お前、俺が危険な仕事してるって知ってるよな?」

「で、でもあの吸血鬼はもう――」

「あいつだけなわけないだろうが。俺と一緒にいるだけで、またお前が狙われるかもしれない」

その突き放すような言い方に、言葉に、思わず奏は肩を震わせる。

鋼牙の目に、いつもの気だるげなものは窺えない。

その時になって、ようやく自分の軽率さを理解した奏。先ほど鋼牙がどこかへ行ったのも、奏のことを考えてのことだったのだ。

真剣な口調で、表情で。本気で彼が自分のことを心配してくれていたのだと伝えてくるそれに、胸の奥で、ひやりとした何かが生まれた。

 しかし、奏が謝罪を口にする前。鋼牙の口から、諦めたような溜め息が洩れた。

「……まぁ、会っちまったもんはしょうがねぇ」

 そう言って苦笑を浮かべる鋼牙に、強張っていた奏の表情も次第に緩み始める。以前もそうだったが、鋼牙は怒ることが苦手らしい。

 そう考えた時、ふとした疑問が浮かんだ。

「……あれ? 鋼牙さんって人狼なんだから、匂いで私のことなんていくらでも避けられるはずじゃ……」

「まぁ……その、だな」

 素朴な問いに、鋼牙は目を泳がせる。

「こういうところって、いろいろな匂いが混ざっていてな? ほら、肉の焼ける旨そうなニオイとか、揚げ物とかの腹の減る匂いとかとか……」

「……食べ物の匂いに気を取られて気が付かなかった、と」

「面目ねぇ……」

 半目で睨む奏に、しゅんと肩を落とす鋼牙。いつの間にか、先ほどとは完全に立場が逆転していた。

「え、と……もういいでしょうか?」

 おずおずとした声がした方を見れば、そこには静香と天里達の姿。どうやら邪魔をしては悪いと、こちらの様子を窺っていたらしい。

 何を勘違いしてか、天里はにやにやと薄笑いを浮かべている。

「へぇー、やっぱり奏、その人と知り合いなんじゃん」

 その「知り合い」という言葉はどういう意味を成しているのか。非常に気になるところではあったが、それによってむしろ悪化しそうなのでやめておく。

「えっと、この人はねー……」

 そこで、奏はどう説明すればいいのかを全く考えていなかったことに気が付いた。まさか、「人狼の鋼牙さんです」などと言えるはずがない。

 そんな奏を見て、鋼牙は察してくれたらしい。このような状況には慣れているのか、自然な調子で口を開いた。

「奏の友達、でいいんだよな? 俺は黒鉄 鋼牙。こいつの家の近くに住んでて、そんで知り合い。よろしくな」

 そう言って、彼は快活な笑みを浮かべながらぐしゃぐしゃと奏の頭を撫で回す。二人もどうやらすっかりその言葉を信じたらしく、納得したような顔をしている。

「あぁ、それで……あ、あたしは鹿沼 天里って言います。奏とバンド組んでて、ギターヴォーカルやってます!」

「……新宮 渚、です。天里と同じく、ドラムスやってます。どうぞ、お見知りおきを」

 びしぃ、横ピースを決める天里に、小さく会釈する渚。何が面白いのか、鋼牙は愉快そうに奏の方を見た。

「ははん、バンドねぇ……んで、お前は何だ、裏方か?」

「失礼な、私だってちゃんとメンバーの一員ですよ。ベースです、ベースッ! 学祭を前に、必死に練習してるんですからね」

 今日から、と小さく付け加えた奏を見て、鋼牙が噴き出した。

「はは、悪かった。そう怒るなって」

 ひとしきり笑ってから、「あ、そういえば」と鋼牙が誰に言うでもなく呟く。

「そういや、蓮花のやつも結構音楽とか聴いてたっけな」

 本人は何気なく口にした言葉だったのだろうが、耳ざとくも天里はそれを聞き逃さなかった。

「蓮花って……あの美人市長ですか⁉」

「美人市長……そう呼ばれてんのか」

 その苦笑を肯定と受け取ったのか、俄然、天里と渚が目を輝かせる。その反応が予想外だったらしく、鋼牙が若干たじろいだようにも見えた。その疑心的な目が、奏の方を向く。

「ず、随分と人気者だな。あいつそんなに美人か?」

「……すごく綺麗ですよ。あと優しかったですし」

「どっちも肯定しかねるが、二つ目は特に同意できねぇ」

 何かを思い出したのか、鋼牙が身震いする。特に興味がなかったので、奏は敢えて尋ねなかったが。

「ちょい待ち……奏、もしかして会ったことあるの⁉」

 しまった、と思った時にはもう遅かった。二人の視線が奏を捉えている。

「え、えぇと……まぁその、何て言うか。ついこの間、連れて行かれたというか、謁見したというか。あれだよ、鋼牙さんが知り合いで、それでなんやかんや……ね?」

 誤魔化そうとしたためにかなり雑な説明になってしまったが、天里達は別段気にしている様子はない。「いいなー」とそればかりを繰り返している。

「……今度あいつに聴いてもらうか? その、学祭だか何だかでやるやつ」

「ええっ、そんなことできるんですか?」

「まぁ、今は就任がどうとかで忙しそうだけどよ……しばらくすりゃあ少しくらい時間とれんだろ、多分。分かんねぇけど」

 やった、と飛び跳ねる天里を横目に、そんな安請け合いしていいのだろうかと奏は不安になる。第一、時間が取れたとしてもたかだか高校生のバンドのために、市長が来てくれるとも思えなかった。

「……いいんですか? 適当なこと言って」

「まぁ、何とかなんだろ」

やはり鋼牙の言葉は、何の根拠も無いように感じられた。

「はぁ……そう言えば、鋼牙さんは何でこんなところに?」

 その奏の言葉で、彼自身もようやく本来の目的を思い出したらしい。私服であることから、おそらくは仕事ではないのだろうことは察せられた。

「あぁそうだ。ワイシャツだよ、あとジャケット。この前一つ駄目にしたからな」

 確かに、初めて会った時や吸血鬼と対決した時、上着は引き裂けていた気がする。それはもう、勢いよくびりびりと。

「あれ、やるたびに服駄目になるんですか」

「いや、普通は脱ぐんだけどな。忘れてた」

 もしあの場で脱がれたら、それはそれで問題があったような気もするが。

「あ、スーツでしたらこちらに。流石にそんなにたくさんは置いてませんが……すいません」

 申し訳なさそうに顔を俯ける静香に、鋼牙は居心地悪そうに口の端を歪めた。

「その、いちいち謝るのやめろよ。なんか悪いことしてる気になるだろが」

「で、ですよね……その、ごめんなさい」

 ややあってから自分の言葉に気付いたのか、「しまった」と口を押える静香。

苦虫を噛み潰したような表情になる鋼牙を見て、奏は二人の相性がよさそうにないことを何となく感じた。

「あ、私達ここにしばらくいるから。面白そうなの見つけたら教えるよ」

「うん、分かったよー」

 そうして、奏達三人は再び入り口側の方へと戻っていった。


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