夕闇の中で
「……んで、用件ってのは?」
奏と静香の二人が店の奥へと消えていくのを横目で確認しながら、鋼牙は声を潜めて問う。何となくではあるが、よくない事であるとは察していた。
『お前が先日捕まえてきた、身代わりになった吸血鬼なんだが――』
「ああ、囮に使われたヤツな」
先日の事件で、本命の吸血鬼の囮として使われた男だ。おかげで奏を危険にさらすことになった。
あの男は事件が終わった後、蓮花の元で尋問することになっていたはずだが。
「何か収穫があった、ってかんじじゃねぇな?」
『……情報を引き出している最中に、突然燃え始めた。確認したら、やはりルーン文字だ』
「やっぱりな。連中、ろくでもないやつの下についたもんだ」
口封じのために、自分の部下を始末する。犯罪組織の常套手段ではあるが、殺される側がそれに納得していたことに腹が立つ。奏を攫った吸血鬼も、自らが使い捨ての駒に過ぎないことを自覚していたような節があった。
――それがお前らの言う、誇りってやつかよ。
鋼牙の手の中で、携帯電話がミシリと軋む音がした。
『まぁ、これで首謀者は絞れた。ルーン文字を扱える存在など限られているからな』
霧﨑の声からも、僅かではあるが苛立ちが感じられる。部下を切り捨てるというのは、彼女が最も嫌う方法だからだ。
「……真祖の血、か」
厄介だな、という言葉を鋼牙は飲み込んだ。
真祖。それは人との交わりによってではなく、自然発生した吸血鬼の一種と言われている、いわば純粋な吸血鬼だ。その存在はすべての吸血鬼の始まりと言われており、稀にその血を強く発現した個体が現れることがあるのだ。
そうした者は他の吸血鬼に比べ、強力な身体能力や特殊な能力を持って生まれてくるという。その内の一つがルーン文字というわけだ。
その時、四人分の近づいてくる足音が聞こえた。どうやら奏達の衣装選びとやらが終わったらしい。
「一応、警戒はしておく。また何かあるかもしれねぇし」
『あぁ、頼んだ』
通話を切ると、ちょうど奏達が姿を見せた。しかし、その手に商品を持っている様子はない。
「あ、鋼牙さん。電話終わりました?」
「おう。それより、何も買わなくていいのかよ」
「その、あまり手持ちのお金がないもので……また後日ということに」
残念そうに肩を落とす高校生三人。それを見た静香が、おかしそうに口元に手を当てた。
「ふふ、その時は割引してあげますよ」
「本当ですか? やった!」
心底から嬉しそうに跳ねる奏。鋼牙の視線は、同じように喜んでいる天里と渚の方へと向いていた。
――静香が人じゃないことを知れば、あの二人はどう反応するんだろうな。
奏がおかしいのだ、彼女は人が良すぎる。何でも信じようとするし、危なっかしい。普通は怯え、逃げようとするだろう。
かつての妹のように。
遠巻きにそれを見ていた鋼牙の胸の内に、唐突に突き上げるような痛みが走る。僅かに顰められたその表情に、気が付いたものは誰もいなかった。
■
「……あれ、鋼牙さんのアパートってこっちでしたっけ?」
奏の口からそんな言葉が飛び出したのは、商店街の出口で天里達と別れてからだ。そのころには、外はすっかり薄暗くなってしまっていた。
「あいつらに、お前の家に近いアパートだって言っちまったしな。小町に今日は早く帰れるって言っておいたんだが」
「ふーん……最近小町ちゃん元気ですか?」
その話題になると、鋼牙の口元が僅かに緩んだ。
「あぁ、定期テストとやらで満点をとったんだとよ。本人は当然って顔してたが」
「へー、優秀なんですね」
「あと、告られたとか。男に」
「へー……へぇ!?」
危うくそのまま流しそうになった。もしかしたら闇の生き物と関わったことで常識が歪んできているのかもしれない。
「小町ちゃん男ですよね!? 可愛いけど男ですよね!?」
「いや、当然断ったらしいが。でもその日は特別機嫌悪かったな。食卓に冷凍食品しかなかった」
「あ……そっか」
その時になってようやく、小町達の家庭状況について奏は理解した。考えてみれば家を出た鋼牙が小町を引き取ったのだ。そこには両親などいない。
夜、鋼牙が帰るまで小町は一人だ。学校から帰れば夕飯の準備をし、一人だけの食事をする。空いた時間で宿題をやるのだろう。奏はあのアパートの一室で、一人きりの小町の様子を想像して胸が締め付けられるような苦しさを覚えた。
以前小町が奏をからかったのも、ひょっとして構ってほしかったからではないだろうか。素直になれず、寂しさの裏返しに、そういったことでしか自分を表現できなかったからではないか。
「……鋼牙さん」
「ん?」
「今度、また遊びに行ってもいいですか?」
奏の言葉に、一瞬驚いたように目を開く鋼牙。その後すぐに嬉しそうに笑う。
「そうしてやってくれ。あいつも喜ぶ」
その時の鋼牙は、とてもいい表情をしていたように思う。その時は天里達や渚も連れて行こうか、などと奏が考えていたその時。
少し離れた路地から、一人の少年が出てくるのが見えた。奏と同じ、九十九高校の制服を着ている。
「……海原君?」
それは、同じ実行委員会の海原だった。確か、以前にもこの辺りで彼とは出会ったことがある。
彼は二人に気が付くこともなく、奏達とは反対の方向に向かって歩いていった。
「何してたんだろう」
確か、彼が出てきた路地はほどなくして行き止まりになっていたはずだ。何となく気になって、奏は彼が出てきた道を曲がる。
そして。
「……え?」
奥の方に横たわる、大柄な人物。意識がないのか、うつ伏せのままピクリとも動く気配がない。彼女は、彼の顔を放課後に目にしたばかりだ。
それは、あの演劇部の部長である木下だった。
「おい、大丈夫か!?」
遅れてその光景を目にした鋼牙が、倒れている彼に駆け寄る。奏は、その場から動くことができなかった。
「……息はあるな」
彼の体を仰向けにすると、鋼牙は携帯電話を取り出して救急車を呼ぼうとする。
その時、奏は彼の首筋にある二つの点に気が付いた。赤黒い血が固まったその傷は、彼女にも見覚えがある。
「ウソ、でしょ……」
そのままゆっくりと、大通りの方へと視線を移す。既に見えなくなった背を、奏は呆然と思い出していた。
「海原君が……吸血鬼……?」
どこか遠くで、近づいてくるサイレンの音が聞こえた気がした。