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闇の上位者

「あー……これでいいわ」

 

 列になって並べられたスーツから、鋼牙は手早く買うものを見繕う。多分、値札を眺めて選んだのだろう。見れば、彼が手に取ったものは最も安価な品だ。

 鋼牙は選んだ商品を手に、次はシャツの売り場に行こうと体の向きを変える。

しかし、そこで静香が彼の前に立ちふさがった。涙目の彼女の手には、小さな香水の瓶。

商人の端くれとして、それを鋼牙に勧めるつもりらしいのだが、身長差もあって、どう見ても奏には捕食者と小動物の構図にしか見えなかった。


「こ、これなんてどうれすか!?」


 結果、噛んだ。


「……いや、俺こういうの興味ねぇんだわ。わりぃけど」


「痛った……ま、待ってくださいぃ」


 その横を通り過ぎようとする鋼牙に、彼女が追いすがる。なんというか、もう必死だ。そういえば、客が全然来ないと彼女が言っていたのを思い出す。


「で、でも試しにどうですか? 今これ人気なんですよ、シトラスの香り!」


 おそらく、彼女は自分の首元辺りに吹きかけようとしていたのだろう。ただ、この時点で奏は虫の知らせというか、嫌な予感を抱いていた。

 案の定、彼女は噴出孔があらぬ方向を向いているのに気が付いていなかった。勢いよく発射されたシトラスの香りとやらは、鋼牙の鼻面を直撃。


「んぐおっ!?」


 不意を突かれ、鼻を押さえて悶絶する鋼牙。奏はあずかり知らぬことであったが、彼の嗅覚は狼のそれと同等のものを持っているため、文字通り、彼にとってそれは死ぬ思いだった。

 勢いよく跳ね起きた彼の目に燃えるは、当然烈火の如き怒り。あわあわと慌てる静香の肩をがっちりと掴みこんだ。


「テメェ……絶対わざとだよな!? マジで死ぬかと思ったわ!」


「ご、ごめんなさい! あ、でもそんなに強く――」


 彼女の言葉が途切れるのと、同時。

 どさり、と何かが落ちる音がした。


「……は?」 


 マフラーと共に落ちたそれを、ぎこちない動作で確認する鋼牙と奏。

 真っ白な床に、ゴロンと転がったそれ――静香の首と、目があった。


「――うっぎゃあああああ!」


 二人分の絶叫が、広い店内に幾重にも反響した。そして次の絶叫も、間を空けずして生み出される。


「あれ、頭……私の頭……」


 静香の胴体が、首もないままに動き出したのだ。何かを探すように、せわしなく両手を床に這わせている。


「ちょっ……鋼牙さん! あの人、『眼鏡、眼鏡』みたいなノリで頭探してますよ!」


「おい、まさかこいつ……聞いてねぇぞ!?」


 訳の分からぬことを抜かす鋼牙。役に立ちそうにないと判断した奏の元に、別の声が届く。


「奏、どうしたー? なんか、やばそうな叫び声聞こえたけど……」


「げっ……!?」


 どうやら店の反対側で商品を物色していた天里達が、この騒ぎを聞きつけて戻って来たらしい。このような光景を、二人に見せればどうなるかは容易に想像出来る。

 だが、ここは狼男やら吸血鬼やらを見てきた奏。これまでの経験が、何とか彼女の体を動かした。

 静香の頭部を拾い上げると、まるで見当違いの方向を探す彼女の胸元に急いで突き出す。


「あ、すいません……えと、今天井しか見えないんですけども、どちらの方ですか?」


「お礼なんていいから! 早く戻してくださいよ!」


 その切羽詰まった声に押されるように、静香は急いで頭を首元に乗せる。しかし、断裂した部分が、くっきりと線として確認できる。


「これも、早く!」


 慌てて床に落ちているマフラーも手渡す。

 静香がそれを巻き終えるのと、天里達が顔を覗かせたのはほぼ同時だった。


「……? 何か、あったの?」


「い、いえ。全く何もありませんよー」


 ぎこちない笑みを浮かべつつ手を振る静香を見て、奏と鋼牙の二人はこっそりと溜め込んでいた息を吐き出した。


「あ、そうだ。奏、こっちにカッコいい服が合ったんだけどさ、一緒に見ないか?」


「あ、あー……私はもう少しここにいるよ。先に二人で見てて」


「おう、分かったー」天里達は再び店の奥の方へと戻っていく。



「……あんた、あれか。デュラハンってやつだろ」


 鋼牙が静かに問うたのは、その直後だ。その口調に詰問する感じはなかったが、普段の軽い調子は鳴りを潜めている。

 対して、諦めたように静香は首を縦に振った。下を向いたその顔に差す影が、まるでトリックが見破られた犯罪者みたいだった。


「……本当、ですか?」


 奏は自分の身近に人ではない存在がいたことに、少なからぬ驚きを覚えた。吸血鬼に会う前から、近くでひっそりと生きている者がいたのだ。そんな奏の表情をちらりと見て、静香は苦笑した。


「……怖がらないんですね」


「もっと怖い目に遭ってますから……それに、静香さんは悪い人に見えませんし」


 そうですか、と彼女は先ほどとは違った笑みを漏らす。しかしすぐ元の表情に戻ってしまった。その視線は、鋼牙へと向けられている。


「あなたは、あれですよね。市長さんのところの……人狼さん」


「分かってたのか……香水は、それを確かめるためか」


「あ……いえ、あれは」


 彼女の視線が宙を泳ぐ。どうやらあれは素だったらしい。


「そ、それよりも! 私はどうなるんですか? まさか……始末されるなんて、ないですよね……?」


 最初は勢いよく口から出た言葉も、終わりの方は辛うじて聞き取れるかどうかというまでに小さくなってしまう。

 ただ、「始末」という言葉だけがやけにはっきりと聞き取れた。奏の脳裏に、あの何者かによって殺された吸血鬼の最期が甦る。

 その間、鋼牙の口が開かれることはなかった。


「……鋼牙、さん?」


 おそるおそる振り返れば、腕を組んだまま静香を見下ろす鋼牙の姿。それから数秒の間を置いて、彼はようやく口を開く。そこから飛び出したのは、奏が聞きなれない言葉。


「あんた、未登録者だろ」


 静香の肩が、怯えたように小さく跳ねた。

 未登録。その言葉が意味するところを知らぬままに、鋼牙の言葉が耳に流れ込んでくる。


「ってことは、自分の立場はあんた自身がよく分かってるはずだよな。その理由次第で、俺がすべきことは変わってくるんだが……奏、お前向こう行ってろ」

 

 今まで奏のことを忘れていたのか、ついでのように付け加えられた一言。それでも、ここまで関わっておきながら知らぬ顔はしたくない、というのが奏の本心だった。


「そんな……だって――」


 見下ろすような金色の瞳が、彼女の言葉を押し留めた。

 有無を言わせぬ圧力。その言い知れぬ力に出掛かった了承を、奏はぐっと飲み込む。


「……私も、あまり関わらない方がいいと思いますよ。多分、聞いて面白い話ではないですから」


 そのやり取りを見ていた静香が、優しく奏に微笑みかける。自分の方が大変な状況にあるというのに他人を気遣えるその優しさが、一層彼女を悪人というイメージから遠ざけていく。

 苦々しく表情を歪める鋼牙を気にもせず、彼女は諭すように奏に語り掛ける。


「せっかく明るい世界で生きられるんですから、ね?」


「静香さん……」


 彼女の微笑みに、思わず意志がぶれてしまいそうになる。

 確かに、二人の言っていることは正しい。自分を狙う吸血鬼がいなくなった以上、奏がこちらの世界に関与する理由はないのだから。

 それでも、彼女の中で「それでいいのか」という声もあるのも事実。

 吸血鬼が死ぬ前に見せた、あの穏やかな笑顔。あれを見て、奏の中で何かが変わった。

 人の社会に抑圧されながら生きる者達。想像を超えた存在である彼らに、たかが一高校生が手を差し伸べようと考えるのは傲慢かもしれない。しかし、そうであるとしても理解しなくていい理由にはならないのではないか。

 

 だから、奏は知りたいと思った。知らなくてはならないと思ったのだ。

 たとえ、それを知ることで引き返せなくなったとしても。

 そんな思いを胸に、きっ、と鋼牙を睨む。


「……静香さん、どうなるんですか」


「だから……それはこれから決めるっての」


 面倒だな、と頭を掻く鋼牙。

 その時、彼の携帯電話が小さく唸りを上げ始めた。鋼牙は間の悪さに舌打ちをし、その着信欄を見る。


「蓮花だ……ちょうどいい。報告の手間が省ける」


 静香の方を一瞥し、次いでその視線は奏の方へ。


「私、ここにいますからね」


「だー! 分かったよ」

 

 彼は通話ボタンを押す。スピーカーも入れたらしく、その小さな機械から無機質な声が奏達の耳にも入ってくる。もちろん、ぎりぎり三人が聞こえる程度に音は調整してあったが。


『ようやく出たな。まぁ三コール以上待たせたことは許してやろう』


「そいつはありがたい。そんで、用件の前にちょっといいか」


 僅かな間。


『……チッ、どうせ面倒だろう』


「わりぃな。実は、未登録のやつを発見した。デュラハンだ」


 再び発せられた「未登録」という言葉に、静香の視線が下がる。その単語は、それだけよくない意味を持っているのだろうか。


『……? 話を聞いて、お前が判断すればいい。いつもと同じだろう』


「いや、それが……近くに奏がいるんだよ」


『……ほう』


 ここで、霧﨑の声に変化があった。奏には分かる、おそらく今の彼女は、電話の向こうであの面白がるような笑みを浮かべているだろうことが。


「それで――」


『好きにさせればいい』


「……は?」


 予想と反する言葉に、鋼牙の目が見開かれる。


『ハッ、どうせお前のことだ。用事とやらの先で彼女とうっかり遭遇、次いでそのデュラハンを発見。奏に離れろと言っても聞かないから、私から説得してもらおうとしている……そんなところだろう』


 完璧な推理。思わず、奏は監視カメラでも仕掛けてあるのではないかと周囲を見渡してしまう。当然、そんなものはない。


「いや、でもよ……」


『そうなってしまってはどうしようもあるまい? 自分でどうにかできないようなら諦めろ。それよりも、仕事を私に押し付けて帰ったお前が女子高生とイチャイチャしているという事実に憤りを感じる』


「何かその言い方、犯罪臭が半端ねぇんだけど」


『うるさい、捕まってしまえ。それで明日の新聞の一面でも飾って、五分の四を職務に追われている私の一日にささやかな笑いをもたらしてくれ』


「どんだけ黒々とした笑いを求めてんだよテメェは!」


 叫んでから、落胆したように肩を落とす鋼牙。彼と目が合ったので、奏はわざとらしく笑みを浮かべた。


「残念でしたね」


「うるせぇ……おい蓮花、そのデュラハンに代わるぞ」


 溜め息を吐くと、彼は手にしていた携帯電話を静香へと放った。危うく受け止め損ねそうになりながらも、彼女は何とかそれを右手に収める。


「あ、えと……安達 静香です」


『ああ。それで、何故登録していないんだ? まぁ、大方察しはつくが』


「……はい、おそらくお察しの通りだと思いますが」


 そこで、静香は目を閉じ、大きく息を吐いた。そうでもしなければ、言い出すことが出来ないほどのことなのだろう。一瞬の間を置いて開かれた彼女の目には、ある種の覚悟が宿っているようにも見えた。


「――以前、人を殺めてしまったんです。この、おぞましい力で」



「……登録って、何なんですか?」


 静香が発した言葉の驚きが冷めやらぬうちではあるが、まずは子のことを聞こうと、奏は隣に立つ鋼牙に問うてみる。

 彼は横目で彼女の方を窺うと、観念したように説明を始める。流石に、霧﨑にああ言われてしまっては彼も従うほかないらしい。


「吸血鬼とか人狼とか、俺達の世界にも上位者ってやつらがいるんだよ。あれだ、王様みてぇなもんだ」


「王様?」


 まさかそんな言葉が出てくるとは思わず、奏はオウム返しに聞き返す。


「あぁ、それぞれ縄張りがあって、その縄張りにいるやつは、そいつの眷属として契約を結ぶ。その契約を、今は登録ってんだ。人間みてぇだろ?」


「……じゃあ、この辺りでは霧﨑さんが、その上位者なんですね」


「おう。俺とか他の黒服、あとこの町に住んでいる結構な数のやつらがあいつの眷属だな」


 確かに、彼女の風格はまさに奏が思い浮かべる「上位者」にぴったりだった。高潔で、自身に満ち溢れていて、優しくて。


「でも、何で静香さんみたいな人が……」


 奏は、未だ霧﨑と電話越しに話を続ける彼女の姿を眺める。そこで、先ほどの彼女が発した言葉が思い出される。

 つられるようにして、鋼牙も静香の方を見やる。


「さっき言ってたろ。大抵、未登録なんてのは過去に後ろめたいことがあるやつさ。迂闊に俺達に近づいてそれがばれれば、そいつは俺達に始末されるかもしれない……ま、もう一つの理由で登録したがらないやつもいるみたいだけどな」


「もう一つの理由……ですか?」


 首を傾げる奏に、鋼牙は苦々しい表情になる。


「そいつがいる場所が分かるんだとよ、上位者様には。プライバシーがどうのって、嫌がるやつが多くてな」


「……そっちに社会も、結構現代的な問題を抱えてるんですね」


「まぁな」鋼牙はそれだけ呟く。


 その時、視線は静香の方に向けたまま、急にその表情が真剣なものへと変わった。しかし一瞬だけ奏の方を向いた視線は、再び逸らされてしまう。何かを言おうか迷っている、そんな様子だった。

 それでも、遂に彼はその口を開いた。


「なぁ奏、お前……俺達みたいなやつが、いなくなってほしいと思うか?」


「……え?」


 一瞬、奏はその言葉の意味が分からずに戸惑った。ようやくその意味するところが頭で理解できた時も、彼が何を思ってその問いを発したのかまでは分からなかった。


「どうしたんですか……?」


「俺と蓮花はな……全ての闇の生き物がいなくなればいいと――そう、思ってんだ」


 その言葉の重みに引かれるように、彼の顔がわずかに俯けられる。


「それ……まさか」


「いや、殺すとか、そう言う物騒なことじゃねぇんだ」


 その時奏の頭に浮かんだのは、あの吸血鬼が言っていた伝説。月に自らの高潔さを証明することで、呪われた血を浄化しようとするものだ。

 しかし、彼が口にしたのはそれとは違っていた。


「時間が経てば、勝手に消えると思ってる。人と交わることで、闇の生き物としての血を薄めて……まぁ、結局は現状維持ってことなんだが。それまで、人間に存在がばれないように他のやつ皆を登録させて監視する。そうすりゃ、いずれは人だけの社会に戻るだろ?」


「……それでも」


 奏は、思わず鋼牙を凝視してしまう。それは、そのやり方の完全ではない部分を知ってしまっているから。その証拠が、彼女の前に立っている。


「……あぁ、俺みたいな先祖返りとかはまた出てくるかもしれねぇ。そいつは一人になっちまうかもしれねぇけど……仕方ねぇだろ」


 そう言って、彼は小さく笑った。どう見てもそれは無理をしているようにしか思えず、無意識のうちに奏は視線を下げてしまっていた。

 

「あの……人狼さん!」


「ん」声がした方向に顔を向ける鋼牙。

 

 その顔面に、高速回転する携帯電話が突き刺さった。


「痛ぇ!? 何で全力投球だお前コラァ!」


「ひぅ、だって蓮花さんがそうしろって……」


「蓮花ァ!」


『大声を出さなくとも聞こえている。それで、彼女の処遇が決まったぞ』


 鋼牙の怒りも例によって無視し、彼女は淡々とその先を続けていく。


『人殺しという物騒な単語もあったが……彼女は問題ない。後日私の眷属として登録するならば、大目に見ることにする』


「……随分と甘いじゃねぇか」


『殺しと言っても昔の話。聞けば、まぁ事情が事情であったというしな。これからどうこうというのでないならばいいだろう。奏もいることだしな』


「わーかったよ、了解した」


 奏の名が出た瞬間に、鋼牙は降参したようだ。スピーカーを切ると、服でも見ていろということか、店の方を顎でしゃくった。

 彼はまだ蓮花と話すことがあるらしく、店の入り口の方へと向かっていく。そういえば、電話をかけてきたのは蓮花だった。これからその話をするのだろう。


「……奏さん、ありがとうございます」


「ひゃわっ!」


 いつの間にか、奏のすぐ後ろに静香の姿があった。本人に悪気はないらしいが、驚くのでやめてほしい。


「い、いや。私は何にも……」


「そんなことないですよ。奏さんがいたから、市長さんも厳しい処罰をしなかったんだと思います」


 まなじりを下げ、控えめに微笑む静香。安心したからか、その表情は思わず見とれてしまうほどに美しく見えた。


「お礼に、私にも手伝わせてください。衣装選び」


「え……いいんですか?」


 もちろん、と頷く静香。


「これでもデザイナー志望だったんですよ、私」


 そう言って、彼女は柔らかく微笑んだ。

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