第90話 復讐する者たちと少女ら(7)
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約23分前――
車後部座席に乗り込む、三佐波たち。
「連行せず、このままにしておかれるのですか? 」
付き人が訊ねる。
「逮捕しても奉術師の公判など面倒だ。それに、建毘師一族らももう動いているだろう。あの女は助かっても、反抗的なあいつがいなくなれば、それで十分だ。あいつは姉と会わなければ甦ることはない。まぁ、物好きがいて命を与えるやつがいたら別だがね。とにかく姉ちゃんはこちらの手の中だ。……フッ、助けようとする奴らがいても、最終的には一斉に処理すればいいことだ」
2人を乗せたシルバーの車、警察車両と警視庁航空隊ヘリは、帰還。泣き伏せる女、血まみれで横たわる少年、不動の車一台を、残して。
「ところで、どうだった? 」
眼鏡男の視線は、助手席の者へ。
「ん、わたしですか!? ……それなりに面白かったですよ。映画観てるようで……。でも残念です、結末が……。陽様ってあの程度の人だったのですね。わたし、憧れてたのに……」
「あの程度、かぁ……フッ、君が彼を超えたから、そう思うだけだよ。まぁ、君がいるから、あの程度の彼は必要なくなったんだけど、ね」
「あっ、能力のことじゃなくてぇ、人としてです。まさか、闘いを止めてあの女性に闇儡するなんて……。以前の陽様なら、最後まで闘って皆殺ししてるはずです。あっ、わたし以外ですよぉ。……ほんと、残念です」
助手席に座る者は、そのコトバとは裏腹に、両手で抱くキャラクターのヌイグルミと遊んでいた。金髪のショートヘアで、堀深くパッチリとした目、あどけない唇。
憧れていた、という陽の両肩、両腹、両腿に攻撃したのは彼女、直毘師である。
***
「陽くん? 陽くん!? だめっ」
呼吸をしなくなった血まみれの少年に気づいた、レイ。両上腕を両手で掴み、揺らしながら。
「だめだよ、陽くん、目を開けて! よぉくーん! 」
トーンを高め叫声していたが、反応なし。徐々にトーンを下げ、囁くように同じコトバを、繰り返す。ジッとしていられない少女は、涙と鼻水を垂らしながら、彼の心肺蘇生を開始。何度も何度も、胸骨圧迫を、続けた。
命の尊さを知る少女の必死な姿は、嵩旡の眼と心に、焼付く。ただ、歯を食いしばり、手を出さず見守っていた。
どのくらい経っただろうか。レイの動きがスローになった。首を下げ、両肩を上げ、嗚咽を増す。そして、少年の血まみれの胸に額を押し付け、身体を小刻みに震わせた。哀しみ、怒り……それ以上の想い。助けられない、自分の無力さ、情け無さ。それでも、助けたいと言う強い、願望……
寸刻、奉術師2人の表情に変化。先ほどまでとは違うエネルギーを、感知した。
命毘師から発せられたそれは、フワッとしたもので、有明周辺を覆うように広がった。が、すぐに自然界のエネルギー、そして空気さえも、呼び寄せられるように、彼女の元に集まり始めた。その空気の流れを、肌で感じているほどに。
須佐野が清原対象者から少女に視線を変えた、時だ。
「いやぁぁぁぁああああーーーー! 」
上空に涙顔を向け、最大級の叫喚。
怒りよりも哀しみよりも、ただ傍にいる少年を助けたいという想いを乗せ、天に叫んだ。その強声と共に、彼女の全身から奉術エネルギー(ヴィタールネス)が、放出された。集まっていた自然界のエネルギーはそのヴィタールネスに共鳴、共振となって高速で伝震。圧縮された気体が、一気に、暴発するように。
「なっ、に!? 」
驚きの嵩旡。立ち上げる須佐野。2人は倒れていた者たちのことより、膨大なヴィタールネス放出の若き命毘師に、興味した。横たわり苦しむ耶都希さえもレイの力を感じ、片目を開けた。
3人が過去に一度も感じたことのないほどの、エネルギー波。だが、それは彼らだけに納まらなかった。
20分ほど前にその場にいた者も、車中で感知。
付き人は驚き目を大きく開け、後方を振り向いた。NSの幹部に「どうした?」と訊ねられたが、耳に入らない様子。
ニコッと薄笑いする助手席の者は、ハミングしながらヌイグルミの目を見つめていた。
当然のことながら、NSの上層部には報告されることとなる。
「何、今の? 誰? 」
椅子を払い除ける勢いで、立ち上がった。経営するクリニック内で来院患者を診察中の、三穂凛華も感知した。患者や看護師の声を無視し、歯を食いしばりながら、立ち尽くしていた。
ヴゥーーーッ
前に座っている女子へ、コーヒーを口から噴き出してしまった。職場にいた伊武騎碧も、驚愕した。結果、平手打ちされてしまったが……。
「あら!? まぁ、どうしましょう」
父の指示で上京し調査していた、茉莉那。動作を止め、南の空を見ていた。
半径約100キロメートル圏内の奉術師たち全員が、この強烈なヴィタールネスを感知したのだ。誰のものなのか、は察していないが……。
六台のディスプレイの前で情報収集していた、自宅にいた敬俊も感知した。
「まだ計り知れないな、彼女は……」
目を閉じ、命毘師レイの変化を理解。独り、微笑む。
興味を抱くのは、日本人だけではない。
クライアントとのミーティングのためにつくば市にいたヴィタリストのアメリカ人、外資系経営コンサルタント会社のCEOポーター・V・ウィルソンと秘書兼コンサルタントのローラ・ハインツ。
ビル通路を歩くローラは驚くあまり、手に持っていた書類を落とす。
「(和訳)あっ、ごめんなさい」
ポーターも立ち止まり、窓から景色を見渡している。
「(和訳)……日本人……奥が深いな。……フッ……ローラ、やはり日本は面白い! 」
不気味な笑みを、こぼした。
ただ、阿部阪一族も奉術師もNSもこの時は、知らない。レイの強力なヴィタールネスを感知したのは、活動している奉術師のみではなかった、ことを。言うなれば一般人の中にも少なからず、いた。力の存在を知らず、祖先のことも知らず、普通に暮らしている、血筋を引く者たち、まで……
恋人同士カフェで会話していた20歳前半の男、
椅子に座っている老人と会話する40歳後半の女看護師、
皆で愉しく歌っていた幼稚園の男の子、
宅配便をお客様に手渡している30歳前半の女、
汗だくになりながら広い畑の草を取る50歳後半のおじさん、
ファミレスで客対応に追われる十19歳の女店員、
不登校で暗室ゲームをしている高校男子、
郊外室内イベントで唄を披露しているまだ売れていない女アーティスト、
上司に失敗を叱られ恐縮している20歳代後半の営業マン、
建設現場を竹箒で掃除している日雇いのシニア、
授業中ウトウトしていた中学生の少女……
一斉に各々の動作を止め、視線をキョロつかせた。表現は皆違うが、聴こえた、ように思えた。
少女の泣き叫ぶ声、助けを求める声が。
そのようなヴィタールネスを発生させたことなど彼女自身は、知らない。
息をしていない少年を甦らせることが出来るのは、自分だけ。しかし、命上者(命を与える者)が近くにいない。命上者がいない限り力は発揮することも、出来ない。
何も出来ない自らの無力さを思い知り、悔しくて、悲しくて、天を仰ぎながらひたすら、泣き続けていた。