第82話 騙されていた者は?
「そんな作り話を……」
呆れたように言い放つ、少年がいる。
「では、君の父さんが誰に殺されたのか、知っているのか? 」
目をゆっくり開け、応える。
「父さん!? ……父さんは殉職ですよ。捜査中犯人に銃で殺された。犯人はその後自害している。それだけです」
この時ハッとする表情の、少女がいる。
(殉職? 警察? この人……!? )
祓毘師の女といる高校生らしき男が誰であるかを、悟ったようだ。彼の顔を注視するレイの手は、守護者のジャケットを強く握りしめている。少女の力みを察する敬俊は、目前の危険な少年に持ち得る情報を、伝えた。
「君の父さんは殉職に見せかけ、警察に殺された。その指令はNSだ」
「な、に? 」
繭をつり上げ、父が警察に殺されたと告げる男を、睨みつける少年。彼の後方に立つ女も驚き、彼の後ろ姿を見つめていた。
「君はなぜその力を備えている。お父さんから転移で授かったからだ。危険を感じていた。だから君に転移した」
「それは、あなた方が父を殺そうと企んだからだ」
「建毘師は奪命する権限がない。奪力するだけだ。確かにお父さんの奪力を計った。しかしその時は既に君に転移していた。どちらにしても力のないお父さんは、組織には不要だった。逆に内部事情を知っている存在として、邪魔だった。だから処分した。殉職というカタチで」
「…………」
返すコトバを失ったのだろうか、それとも彼の真偽を確かめたかったのだろうか。無言のまま長身の建毘師の目を、凝視し続ける。
そんな息をのむ沈黙の場はクラクションで、失った。パーキングに入ってきた他客の車からのものだ。
それを無視するが如くに、口を開く。
「あなた方の言葉は信じない。僕の邪魔をするなら次は遠慮なく、殺す」
「分かった。ではコチラも伝えておこう。君は危険人物リストの上位だ。一族は君の行動次第で遠慮なく奪力にかかる。そのことを肝に命じておくことだな」
警告された者は、冷酷な眼で睨み返す。再び鳴り響くクラクション音で、背を向け歩き去る少年直毘師。
「またねぇ」と言いたいのか、男の背後にいる少女命毘師に対して右手の指を踊らせ、彼の後を追うアメカジの女祓毘師。
去っていく二人を背後から見つめ、緊張解放から安堵していく少女命毘師。
彼女らの車が見えなくなるまで、姿勢を崩さなかった建毘師の指揮官。シールドを外し、若き命毘師を助手席に案内した。その彼の表情は、固い。レイに対する危険値アップを、理解したからだ。彼女が今後も巻き込まれることは、必然である。
組織の異様な動き、龍門が言った他国組織の存在、そして彼女に接近するNS側奉術師の行動。これらを踏まえ命毘師端上レイの周囲を、厳戒態勢するしかない。ただ彼女のみに限ったこと、ではない。魔の手が伸びる可能性のある奉術師全員の即応態勢が、必要になった。早々に対策を講ずることとなった、阿部阪敬俊。
帰路でのF50のハンドルは、重たかったに違いない。
後部座席の少年をバックミラーで伺う、湊耶都希。
彼女の眼には、複雑な思いが混在している。不信や疑心、不安や懸念などが、一度に襲いかかっているかのように。何かに、怯えているようにも、見えた。
そんな心理的不安状態の中、翌々日の一本の電話が、彼女の言動と思考を変化させていくことになる。相手は、伊武騎咲ユリ。伊武騎グループ会長であり、碧の祖母であり、何より祖父と共に活動してきた奉術師だ。幾年振りかの突然の電話で伝えられたこと……彼女にとって“反省”を余儀なくさせた、過去の出来事を知った。
後部座席で目を閉じ、暗黙の伊豆海陽。
彼の心中には、すでに蠢くものがあったのだろう。建毘師トップのコトバが、気になっていた、からだと言える。その日以降、真相を調べ始めたのだ。
結果的に彼の変心のキッカケ、となってしまった。
***
◇――――
2001年1月、東京――
極寒の深夜0時過ぎ。団地特有のドアの開閉音。
照明の点いているダイニングの椅子に上着を置き、コップで水道の水を飲む伊豆海。強行犯・暴力犯を担当する35歳の刑事、である。
「おかえりなさい」
襖を開け立っている寝起きの妻は、31歳の主婦。伊豆海が担当した十年前の事件被害者の娘で、精神的病いを彼なりにサポートしてきた、経緯がある。
「何か食べる? 」
「あぁ〜」
「うどんでいいかしら?」
「あぁ〜」
妻は台所に立ち、水を入れた鍋をコンロに。作り始める妻を残し、開いている襖から部屋を覗く、夫。
並べられた布団には、二児の寝顔。
シャツのまま側臥位で腕を立て、顔を眺めながら我が子の髪を触る。まだ1歳の男の子、陽。奥に5歳の女の子、光。
二児を見つめながら苦悩する父親の目に、決意が現れる。布団の中で息子の小さな手を握り、目を瞑る。動く無声の唇。
2人の重なった手に光が灯されたが、誰も気づかない。
「できたわよ」
妻の囁きでダイニングへ戻る夫は、湯気たつ丼で麺を食らう。その姿を無言で見つめる妻。 彼女は彼の帰りが遅くても、危険な職業であっても何も言わず、それなりに幸せを感じている、そんな恋心ある視線を送る。今日も無事だった、という安堵感も含めて。
スープを飲み干し、箸を置いた丼を取ろうとする妻の手を、夫が握った。
「どうしたの? 」
「……俺は刑事だ。いつ何があるか分からん……」
「そうね」
「何かあったら、あの子たちのこと、頼む」
「……覚悟がなければ、刑事の妻はやってられないわ」
「そうだな」
「でもね……無理しないで。私たちはあなたが必要なの。それだけは忘れないで」
「あぁ〜」
強きの妻だが、毎日不安との闘いであることは、想像がつく。夫の帰りを信じ、刑事の妻として支えているのだ。だが……彼女の願いも空しく、終わりの日が、近づいていた。
***




