第73話 豹変する、少女
晴天の熊本から飛んできた、チャーター機。雨に濡れた羽田空港の滑走路に、着陸した。
乗降スペースで待機する敬俊と茉莉那、そして水恵、亮介もいる。眠るレイを背負い、タラップ(階段)を降りてくるのは、嵩旡。続いて涼夏とドクターたち。
準備された大型特装車両の後部から、乗り込む。中央に固定されたベッドに、レイを寝かせたるために。途中で鎮静剤が切れ暴れ出すことを想定し、両手両足と腰に、ベルトタイプの拘束具で固定。
水恵宅に帰宅させる予定だったが、敬俊は新潟行きに変更していた。水恵は、事前承諾済み。高校生2人は、亮介の運転で水恵と一緒に帰るよう、大人だけで相談していた。
「レイちゃんと一緒に行く、レイちゃんと一緒に闘う」
彼女に協調するように「一緒に行かせて欲しい」と嵩旡までも懇願する始末。
水恵と亮介は顔を合わせながら暗黙で承諾、敬俊にお願いした。レイを想う同級生2人がいるほうが、あの気難しい男に対して効果があるかもしれない、と考え了解する。
新潟県五泉市まで約5、6時間。
大型免許を所持する敬俊と茉莉那が、交替で運転。雨振る深夜の高速道路を、ひた走る。
車両前方の壁側にあるベンチシートに座る、ドクターと看護師。その反対側のシートに沈黙の、同級生2人。
度々立っては大好きな彼女の様子を伺う、落ち着きのない涼夏がいた。
出発後1時間ほどでレイの鎮静剤が切れたのか、再び発作を起こす。固定されている身体を大きく揺さぶり、拘束具を外そうと足掻く。その発狂する姿は機内での時より酷く、発するコトバは醜い。
状態を見ながら、嵩旡とドクターで抑え込み、再び鎮静剤で脱力させる。
順調に進んだ大型車両は、朝が来るまで五泉パーキングエリアで待機。
仮眠を取るメンバーであるが、寝ずの涼夏。苦しんでいる彼女が心配で、可哀想で、眠れる状況ではない。
徐々に窶れていくのが分かる、幼馴染みの酷い顔。目の周りのクマは濃さを増し、唇は荒れ、時に食いしばるため切れて血が滲む。口も半開きで見える舌は白く汚れ、赤みはない。肌も乾燥したようにヒビが見えてきた。さらに喉をやられたのか、先ほどの発作で声も枯れ、擦れている状態に。あの明るい真友の姿は、全く感じられない。
涼夏のすすり泣く声に目を覚ます少年。もとのレイに戻ることを祈る、2人がいた。
外は雨。日の出は過ぎているが、まだ明るいとは言い難い。
6時を過ぎ、茉莉那が買ってきたパンなどで朝食を済ませる、メンバー。
そろそろ鎮静剤が切れ、取り憑かれた少女が目を覚ましてもいい、時間でもある。誰もがそう思っていた矢先、コトは起こった。
突然の閃光と雷鳴。遠いところから徐々に近づいて来たのではなく、一発目の雷鳴である。
その轟音に耳を抑え、顔を伏せ、身を縮めた女性たちとドクター。驚いた嵩旡らは、フロントガラスからの外を見ていた。
緊張した身体を少しずつ緩め、目を開け、耳を抑えていた手を下ろす涼夏。ハッと思い出したかのように、彼女を見た。ベッドで上体を起こしている。雷鳴音が煩かったのか、両手で両耳を抑えていた。それ以外の動きは、ない。
「レイ、ちゃん? 」
不思議そうに声を掛け、立ち上がった。同時に他の者たちも少女に、注目。
ベッドの者は両耳から離した両腕を、見つめている。右腕、左腕を交互に。次に胸、腹、腰、左腿、右腿……一パーツ一パーツを撫でて確認するように、目でも追っていた。そこまでは、穏やかに、だ。足元を黙って見ていた少女。
「許さん」
低音で、囁く。
「レイ……」
名を呼ぼうとする涼夏を、手で静止する嵩旡。
「両手の拘束具、切れてる」
そこで初めて気づいた。繋がれていたはずの豹変少女の両手が、自由になっていたのだ。
様子がこれまでと違うことを感じる、少年建毘師。運転座席側から中を覗く建毘師たちも、異様な空気を読み取っているようだ。
皆に注目されている少女の、独り言。
「私の……大切な、人……ゆる……さん」
大きく息を吸い、数秒止めた。穏やかだった、いや無表情が、次第に獣化した顔に、豹変。目を限界まで開け、顎が外れるほどに口を開け……
「ぅぅぅうゔゔゔぉをぁあ゛あ゛あ゛ーーーーーー」
低音から高音、の叫喚。全エネルギーを放出するが如く、寸刻前の雷鳴に負けないほどのボリュームで――その轟は大型車両さえも、揺らす。
両拳で、自分の腿を、腹を、胸を、腕を、顔を、頭を、手加減もせず殴り出す、というより壊し出す勢い。鉄製の鎧あるいはコンクリートで覆われている身体を、破壊するように。
顔を殴ったことで口から、鼻から血が流れ始める。
自傷したことで、その者が危険な状態であることを察した嵩旡は、側方から両腕を抑えようと掴む。が、彼の手を払い除けた。それだけでなく、パンチを繰り出してきたのだ。一歩の後退りで避けられた。
しかし、その破壊行為は勢いを増す。両足の拘束具を左、そして右と、いとも簡単に壊した。人間には“火事場のクソ力”的な使いこなせない未知の力があるというが、闇に冒された少女が、今その状態なのであろう。
ベッドを跨ぎ背後から両脇に腕を入れ、豹変少女の動きを抑える、少年。焦ったドクターも急いで、拘束具が外れた両足を抑えようとした。が、右足で肩を強蹴されたことで、車両の壁まで吹っ飛び、頭をぶつけ気絶した。
「許さーーん、ぉめえら、ぜー員ぶっ殺してやーーーる」
まさしく男勝りに憤激する別人のような真友の姿を、涼夏は震えながら見ているしかなかった。
両脇を固めている少年と力比べを始めた、少女。彼が手加減しているわけではないが、徐々に両腕が下がってきた。
「な、に!? 」
焦り出す嵩旡は、両腕が外れないよう怪力を活かす。ただ、骨折あるいは脱臼の恐れがあった。微妙な力加減に戸惑いを隠せない。
すると、背後の男に対抗するかのように、両膝を曲げ、両足で踏ん張り始めた。
ヴェチッ
腰の拘束具までも、引き千切られた。
「とっ、父さん! 」
叫ぶ息子。
「茉莉那! 出せ! 」
娘に伝え、車両後部に移動する父。息子一人では手に負えない状態。運転席に移動した娘は、すぐに操縦。目的地へと大型車を発進させた。




