第72話 唸る者
チャーター機内で考えている嵩旡。いつ、誰に闇嘔を受けたのか……。
思い当たるとすれば、城彩苑で彼女が手助けした、というオバサンの存在。
涼夏にその時の様子を再び、問う。班員の香奈と50歳代くらいのオバサンが店舗出入口でぶつかり、尻もちをつく。店内にいたレイがすぐにオバサンを背中から起こして上げた、と言う。連れが近くにいなかったか訊ねると、独りだった気がする、と曖昧な記憶。
だが、そのオバサンと接触した際、闇嘔を受けた可能性があると踏んだ。
現在の四家系奉術師を記憶している建毘師の嵩旡は、記憶を整理し始めた。祓毘師は現在確認出来ているだけで日本に13人。50歳代の女性は、2人だ。
「もしレイさんを襲うとしたら、ダークネスの仲間……2人とも違うはず……いや、1人は以前に活動を止めている、はずだ。……もし影で活動していたら……ネスの指示で今回動いているとしたら……」
父に再連絡。可能性として50歳代女性の祓毘師2人のどちらかが怪しい、と伝える息子。祓毘師の住むエリアの建毘師に調査、してもらうことになった。
上空の機内で、額には大量の汗玉、そして魘されるレイ。
「まずいな」
真友を心配し彼女を見ている涼夏に、覚悟させる必要があった。
レイのどんな姿を見ても、異常なことが起きても、落ち着いて対処して欲しい、と。彼女の姿は他人の闇によって変貌するだけだ、と念を押す。変貌する彼女を見たくなければ、前方のスペースで待ってて欲しい、ともアドバイスした。
生唾を飲む涼夏は「レイの傍にいたい」と告げる。だが、彼女の想定していたものとは大きくかけ離れていたことを、後で知ることに。
悪夢で魘されていたのだろう、彼女の声とは思えないほどの嗄れ声で叫喚、目覚めた。大きく開けた目は血走り、呼吸も乱れている。肩での呼吸を故意に止めた後、右腕で何かを払うような素振りから、両腕で激しく振り払いだした。彼女にしか見えない何かに対して。
その手の動きを止めたと思えば、突然の悲鳴。さらには、あの優しく明るいレイとはほど遠い汚い言葉が、薄紫がかった唇の間から発せられる。まさしく、悪霊が取り憑いているが如くに。
大人しくなったと思えば、両耳を塞ぎ震え出した。
「ごめんなさい、もう悪いことしないから、ごめんなさい」
親から酷く怒られた子どものように、ひたすら謝り、泣き叫ぶ。涙を流し、鼻水を垂れ、口からヨダレと泡が吹き飛ばされる。
泣いていた者が逆切れするように、再び叫喚と罵倒を吐き捨てる。その繰り返しだ。
体力的消耗で気が失せだした頃、嵩旡と同乗していたドクターで変貌中の彼女を抑え込み、看護師に鎮静剤を注射してもらった。
次第に目が空ろになり、意識を失う。
その一部始終を見ることが出来なかった、涼夏がいる。シートの陰に座り込み、耳を塞ぎ、目を伏せている。彼女もまた、涙を流していた。幼い頃から一緒だったレイのそれは、衝撃過ぎた。しばらくの間、動けなかった。
仕方がないと思ったのか、声も掛けず、そっとしておく嵩旡がいる。
静かになって10分ほど過ぎた頃、少し落ち着いた彼女は涙を拭きながら、眠る真友の傍に恐る恐る近寄る。普段の可愛さなどどこにもないレイの顔を見つめながら、顔中の寝汗をハンカチで拭いた。手を取り、再び泣き出す彼女の心中は如何なものだろうか。
優しきレイをこんな目に遭わせた組織や人物が、許せないのだろう。
先ほどの変貌したレイを怖いと思った自分が、許せないのかもしれない。
大好きな真友を守れない無力な自分自身が、情けないのかもしれない。
色々な想いを交差させているに、違いない。
涼夏の姿を見ながら、建毘師の嵩旡が再び忠告。
「さっきのレイさんの変貌は始まりでしかない。時間が経てば経つほど、闇がさらに大きくなる。周り者を傷付け、自らをも傷付け出す。時に自害に追い込む。我慢できなければ見ない方がいい。君のために、レイさんの変わり果てる姿を見ないことを、僕は勧めたい」
「…………」
二呼吸ほど遅らせて、首を横に振る涼夏。
「レイちゃんは、今闘ってる。私も一緒に闘う。レイちゃんは、いつも、逃げなかった。だから、私も、逃げない」
「そっかぁ」
その後何も言わなかった。彼女の意思を尊重した。
そろそろ羽田に着く頃。
「もし、助けてくれる人がいなかったら、レイちゃんはいつまでこの状態が続くの?」
嵩旡に問いかける涼夏。
「闇嘔された闇の大きさや、その人の持つエネルギーでも違うけど……彼女を見てる限り、2、3日。もって1週間が限界、かも……」
「これが……これが組織の、やり方なの? 」
「これが闇嘔による結果。ダークネスが悪用していること」
「……レイちゃんの力は人を助けるものだよね!? レイちゃんの力は世の中に必要なんだよね!? 」
涼夏の言わんとすることが、理解出来た。
「僕は、今までもそう思っている。これからもそう願っている」
端上レイに命毘師をやめて欲しくない、と考える2人である。




