第66話 処理される者―5(2)
含み笑いの少年の手には、小さな折りたたみ式ナイフ。それも、自分が所持しているモノと同じ型の、ナイフ。本気であることを察した。いつの間にか他のメンバーも、バットやナイフを持っていたのだ。
咄嗟に、逆の川岸へと逃げるようにクロールで、泳ぎ始める。
「待ぁてぇよおーぅ」
水を搔く音に混じって聞こえる声を無視し、必死に泳ぐ男。
「待てって言ってるだろー」
「いやいや、追いかける方が楽しいじゃん。逃げてもらおうよ」
「ほらほらぁ~ 逃げろ逃げろぉー」
声の大きさが変わらない。岸から離れていってるはずなのに……。クロールから背泳ぎに変え、後方を目視、と同時に驚愕し、逃走本能が目覚め、再びクロールで泳ぎ出した。陸にいるはずの7人は、近くにいた。二隻のエンジン付きボートで、後追いしていたのだ。
「何余裕かましんだよっ 休まず泳げよぉ!」
逃げる彼の先ほどの威勢的な目は、恐れと必死さが窺える。全身を使って反対岸側に辿りつく為に。ところが、彼の両腕と両足の動きが重たいのか、鈍ってきた。それだけでなく、見える反対岸との距離が離れていく。彼の意思とは逆のほうに動いてるのだ。両足にそれぞれロープが結ばれ、二隻のボートで引っ張れていた。かなりの速度で。
男は仰向けに姿勢を変え、水中を滑るように身を任せるしかない状態。ボート上の彼らは愉快に笑っている。
「やっ、やめろぉっ! さっさと、止めろやぁー」
その叫び声は届いていない様子。ただ含み笑い的な○○の眼差しに気付いた。その少年が右腕を真っすぐ頭上に、上げた。そして、ニコッと笑い、その腕を下ろす。足に繋がる二隻のボートは互いに逆の方向へ、舵を切った。
「やめろおーーーっ」
グァバッ
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
上体を起こした男は、全く別の部屋にいる。掛けてある毛布を両手で握りしめ、どこにいるのか確認するように、頭を廻した。薄暗い部屋の中で、自分の立場を理解したようだ。
「ゆ、ゆめ? 」
隣に寝ていた同室者も目覚めてしまったのか、小声で確認してきた。
「どうした? 怖い夢でも見たか」
「…………」
コトバが出ないのだろう、頷くだけだ。
「そっかぁ。その夢、また昼に教えてくれや」
同室者は向きを変え、寝付いた。彼の背中を見ながら、考え込む。
「あのやろう……」
夢の内容を憶えているのだろう、その者に対する怒りが、顔に出ていた。そのまま体を横になり、目を閉じた。しばらくして寝息が聞こえ始める。が、次第にしかめ面になっていく。
「僕もやめてくれってお願いしたのに、渡利さんはやめてくれなかったよね!?」
その声で目を開けると、確認出来たのは、変哲もない高い木。それも数えきれない程。奥まで広がっている。彼は森の中にいる。気付くと、両手はロープで固定され、頭上の枝に括り付けられていた。足は、浮いている。
「蓑虫みたーーぁい」
笑い声が聞こえる下へ視線を落とすと、いつもの6人、そして永久。
「渡利さん、憶えてる!? 僕ね、あなたと一緒に行ったキャンプ場で、全く同じ目に
あわせられてるんだよね。それも夕食抜きで5時間以上も……。どう、気分は?」
「しっ、知るかっ!」
歯を食いしばり、睨むしかない男。
「それじゃぁ、これはどうかなぁ!?」
少年の右手が上がり、勢いよく下ろす。その合図で6人の少年少女らから一斉に、発せられる、水鉄砲からの液体。当然、顔中心に水を掛けられるその液体で全身、びしょ濡れ。
「やっ、やめろー、くそったれがぁー」
その攻撃は収まった。液体が入らぬよう瞑っていた目を開けると、メンバーはいなかった。可能な限りキョロキョロ見渡すも、誰もなく、森のみが見える。つまり独りだった。
薄暗い森の中で、何やら視界に動きがあるのを発見。地上で徐々に近づいてくる、いや、襲ってくると言ったほうがいいようなスピード。瞬く間に黒っぽいものに地面は覆われていった。それらが彼の真下辺りまで届いた時、その正体に気付く。虫の大群……蟻、カナブン、蜂など、であった。男は真上を見た。枝を伝い、ロープから下りてきた群虫たち。男の手、腕を通り、顔に襲いかかってきた時には、彼の顔は恐怖と化した。そのモゾモゾ感は体面だけでなく、鼻、口、耳から内面へ。心の中で叫んでいた。
「やめろーーーっ!」
意識が戻ると同時に瞼を開ける。上体を起こし、自分のいるべき居場所にいることを確認。まだ起床前のため、同室者たちは就寝中。悪夢から冷静になった男は、黙って正面の壁を見ている。怪訝そうな顔つきで。寸刻、自身に掛けてある毛布の中でモゾモゾ感を感じた。勢いよく毛布を捲った。そこにいたのは、虫群。夢で見た蟻、カナブン、蜂たち。
「ぅわあああーーーーっ!」
叫び声と同時に、立ち上がり布団から離れた。ズボンに付いている虫たちは叩き落とす。当然寝ていた同室者らは目覚めた。
「何だよぉ、うるせーぞっ」
「す、すみません」
皆に謝る男が再び布団に目を戻すと、いたはずの虫たちはいない。寝ぼけていたのだろう、と不思議に思いつつ、起床の鐘がなるまで体を横にしていた。寝ることなく……。しかしこの日、幻覚と幻聴は予想しないところで何度も、生じた。食事中も仕事中もトイレ中も、である。それは徐々にエスカレートしていった。その日の夜の悪夢も、翌日の幻覚幻聴も、続く。
疲労困憊していく男の精神的状態は、他者から見て明らかに、異常だった。彼だけに見えて他者には見えない何かに対し、罵倒し、叫び、払ったり殴ったり蹴ったり退いたり、そして謝ったり。刑務官に注意されても、収まる気配のない男の異常言動は、悪化していく。
その次の日の仕事中。工場備品のある物で、自害行為。その光景に誰もが驚愕。過去にそんな方法で自殺した者がいたのかと思う程の、残酷なやり方だった。
早々病院に搬送されるも死亡が確認された。20歳男の結末である。
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