第40話 信じる者は救われる者
「レイさん! 和彦が! 」
息を荒立てながら叫んでいる見覚えのある顔が、車中を覗き込んでいる。
意気消沈し、泣き疲れ、意識がどこかへ浮遊しているレイと呼ばれた女子には、男が何を叫んでいるのか、理解していない。いわゆる放心状態。
「レイさん! 早く! 」
二度目の叫ぶ声に意識が戻り、焦点が合う。我に返ったように。
「! 」
タクシーの運転手のことなどお構いなしに、抜け出す。
彼の後を懸命に追った。永眠したばかりの一条和彦のいる、部屋に。先ほどの静けさはなく、医師と看護師が肉体に処置している。
まさか!? まさか!
顔をぐしゃぐしゃにし涙ぐむ一条母は、息子のために懸命になってくれた彼女を、抱擁した。そして、
「レイさん、ありがとう。ありがとう。……本当にありがとう」
先ほどの涙とは違う涙を流すことが出来た、レイがいた。
夜勤看護師たちによって個室に移動する、一条たち。まだ眠ってはいるものの、シッカリと呼吸している……穏やかに。
一条母と病院側の承諾を得て、今晩は泊まることに。再度、保護者に電話を入れ報告した。その経過を聞いて彼も喜んだ。そして讃えてくれた。
待たせてあったタクシーの運転手には、そのまま帰還してもらう。病院夜警のおじさんと同期らしく、寛容ある運転手だった。
和彦の寝顔を見ながら3人とも、安堵している。
「レイさん、私たちは一生貴方へのご恩を忘れないわ。主人も和彦も助けてもらった。感謝しても感謝しても、しつくせないほどです」
照れながら首を横に振る彼女に、母は続ける。
「和彦の残りの人生を有意義に過ごすために機会を与えてくれた。あのままだったら、私たちは寂しく悲しい日々を送っていたのかもしれない。主人の時もそう。主人があの時いなくなっていたら、私たち夫婦は喧嘩別れで終わっていたのよ」
そのことは、一条兄も同感した。父との三ヶ月間が、今までにないほど充実していたからだ。
その後何事もなく病室で朝を迎える。先に目覚めたのは……
「……どこ? 」
ウトウトしていた3人とも、彼の一声で起きた。
意識の戻った弟を見て、看護師を呼ぶ兄。数分後、看護師と昨夜処置してくれた医師が入室、簡単な診察を受ける。今のところ落ち着いているという判断である。
後輩がいることに気づいた、和彦。なぜ彼女がいるのか分からないだろうが、優しく微笑んだ。彼女も笑顔を見せ、そして唇をゆったりと無音で動かす。
「ありがとうございます」
学校へ行くため、一旦帰宅することに。
母と再び抱擁し、兄と握手し、「また来ますね」と先輩に挨拶し、病室を後にする。呼んであったタクシーに乗り、水恵の待つ神社へと帰っていく。
病院を去る、その女子高生の乗ったタクシーを見ている1人の男――レイの能力に興味を抱く者が、そこにいた。
***
授業に集中出来なかったその日の夜、食い入るように伝書を読み漁るレイ。
昨夜の寝不足をものともせず、高揚している心理状態。一条和彦が息を吹き返したことは、これまでにない喜びである。自らが命毘師であること、母からもらった“力”に感謝している。
ただ、今回の件がなぜ起こり得たのか、疑問が残っていた。一度命上者(命を与えた者)になった和彦が、なぜ命を受けることが出来たのか……。根拠なき淡い期待を持ったのは彼女だったが、実際目の当たりにして謎が生じたのだ。
生を受けた時点で人間の寿命は定め、である。その寿命で亡くなる者に対しての転命は不可が掟、である。つまり、彼の寿命を縮めたのは若き命毘師だが、寿命で亡くなったのか事故死なのか、不明だった。もし目覚めなかったら、命毘師が引導を渡すことになったのだ。あってはならない、失敗である。
しかし、彼の復活は紛れもない、事実。彼の寿命が残り僅かの時に事故死、つまり“他者死”と判断しても、不都合はない。
そこで命毘師レイは、考えた。「一条和彦が実父に命を与えたのは、三ヶ月分のみ」という前提で、“九ヶ月分”の命の受け入れが可能だったのではないか、ということだ。伝書の中に、『転命可能な期限は元の“寿命まで”』などの説明は、見当たらない。今回の転命で和彦が命を延ばした期間は“九ヶ月間”、と予想することが出来る。当然、元々の寿命までかもしれない。その結果を観察するように待ってはいられない、が……。
もう一つの成功因子、と考えられること。
<連拡転命>――2人以上の転命を同時に行なうこと
彼女は今回、命上者を母と兄の2人にお願いした。伝書の中で、複数人の手が握り締められている絵をふと思い出し、この方法を選んだ。
人数が増えることで、1人当たりの減る命が少なくて済むこと、また命毘師によっては複数人の命が重なることでエネルギーを倍増させることが可能であること、などと記述されている。
原理的には、1人でも2人でも同じ。
転命とは端的に言えば、エネルギーの移動。とすれば、1人よりも2人、2人よりも3人と増えることで、1人あたりのエネルギーは少なくて済む。もしくは人数倍に膨れ上がることも出来る。
注意点も書かれていた。
命毘師が未熟の場合、命上者個々人の命に大きな差があり過ぎると、命の高い者の負担が増えバランスを崩してしまうこと。過剰な命の移動によって、三者とも危険に冒されること、などが記されていた。つまり、命毘師の使い方によっては、吉にも凶にもなるというものだ。
これが、一条和彦の蘇生と関わりがあるのかどうか、など彼女に解るはずもない。
これ以外、女子高生の想像の域を超えることはなかった。ただあの時、信じた結果が彼の蘇生をもたらした。
確実に言えること……端上レイが、命毘師としての力を高めていることは、誰も否定できない。




