第39話 諦められない少女
ICU室を慌ただしく出入りする、看護師や医師たち。その状況を立ち上がって見ている、和彦の母と兄。
近くへ駆け寄った。レイの視線の先では、白衣の男が患者の上で、心肺蘇生をしている光景が……。
歯を食いしばる少女。何も出来ない自分自身に、腹が立って仕方がないのだろう。見守ることしか、出来ないのだから……。
それから15分程。騒ついていたICUが静まり返る。通路で待っていた家族に、出てきた白衣の者が低い声で、伝える。
「残念ですが……20時09分、和彦さんの死亡を確認しました。御愁傷様です」
一礼し、呆気なくその場を去る医師。泣き崩れ座り込む一条母、その隣に座り先ほどまで気丈だった兄も、両手で顔を隠し無音で泣いた。
レイは哀しみより、悔しさで涙した。それは、まだ諦めてはいない気持ちがどこかにあったから、であろうか。
看護師らによって、息を引き取った男の肉体は他の部屋へ、移される。その部屋へ案内された。
「私も、いいですか? 」
兄は快く頷いてくれる。
一ヶ所だけ額に目立つ傷のある一条和彦の顔を眺めながら、あらゆることを模索していた。いや、彼女には考える責任があった。
まだ伝書全てを把握しているわけではない。命を与えた者が命を受けることは出来ないことは知っているはず、である。しかし、彼女自身が体験したことではない。
何かを決意した顔つきに変わり、一条母と兄に体ごと向けた。
「おばさん、お兄さん。私、まだ諦めきれません。おじさまもあの時、息を吹き返したんです。一条先輩も同じようにならないかって……」
間を置いて、自分の持つ力について2人に語り始める。転命について、そのルール、そして息を吹き返したとしても寿命はそれほど長くないことも、伝えた。
「そう……世の中にそういう人も、いるのね」
一条兄は驚きの表情を見せるが、母は率直に受け入れている。
「しかし、病院の医師たちがダメだと判断した。父の時とは違うんじゃないか」
やはり、兄は否定的だ。
「確かに状況が違います。……でも……」
息を詰まらせながら、ゆっくり続ける。
「‥‥私……諦めたくない……」
コトバが強くなる。
「先輩とはこれで最期にしたくない! もう一度、先輩の笑顔が見たいんです」
顔を見合わていた2人だったが、先に頷いた母。彼女の気持ちを受け入れる兄。
「わかった。レイさんの気が済むようにすればいい」
一条母は、微笑みながらゆっくりと首を縦に振ってくれた。
既に息を引き取った和彦を、傷付けるわけでもない。もし本当に蘇生が可能なら、自分たちの命を懸けることなど厭わない、とも言ってくれた。
「ありがとうございます! おばさん、お兄さん」
早々、2人には和彦の右手を握ってもらう。
若き命毘師は3人の手をそれほど大きくない両手で、包み込んだ。そして目を閉じる。心を落ち着かせ、両手に意識を集中し始めた。
毎度のことだが、レイは両手の平側のみ、生暖かさを覚える。
その時、脳にバロメーター映像が浮かび上がる。命上者である一条母と兄の、2人の寿命である。充分であることを悟った。
同時に、「息子を助けたい」「弟を助けたい」という2人の情念を、ピックアップ。命上者の身体中の細胞に刻み込まれた和彦との思い出や関係性が走馬灯のように、レイの脳内で蠢く。「命を懸ける」ことが純粋ならば、命下者《和彦》から伝わってくる命に反応する。シナプスのように光の玉が引き寄せられていく。その量や輝きで、判別するのだ。
そして穏やかに、祈る。
「一条先輩、元気になって。生きて! 」
彼女の強い想いを、乗せて。
命上者《母と兄》の命は、命毘師レイの命が触媒となって変化。命下者《和彦》の命に纏わりつくように囲い込み始め、そのまま和彦の手に吸収されていった。
ただレイは「今までにない感覚を得た」と、後日水恵に語っている。
祈る瞬間、体全体がシャボン玉の中にいるように浮いている感覚。さらに、命が流れ終わった後すぐに、多くの光線が自分の方へ襲いかかり、そして首辺りから上腕部を通った生暖かさが両手に集まった、と。
目を開けることに一瞬躊躇い感を見せたが、恐る恐る先輩の顔を見る。すぐに反応があるわけでないが、気になって仕方がないのだろう。気持ちを抑えながら、一条和彦の目覚めを期待しつつ、傍で見守ることにした。
母と兄はその後一言も発せず、一緒になって彼と彼女を眺めていた。
15分ほど経った。が、何も起きる気配すらない。いつもなら反応が起きている時間である。なのに、そこに眠る者の皮膚は、さらに青白さを増していた。
悲しみ? 怒り? 恐怖? 情けなさ?
身体全体が震え始める。胸と目と鼻が熱くなり、意思に関係なく大粒の涙が止めどなく、溢れ出す。背中を丸め身体を小さくし、嗚咽し出した少女。悔しくて、悔しくて、仕方がないのだ。
そんな16歳の女子を見つめる、2人。母は彼女に近づき、肩に手をかけながら抱き寄せた。
「レイさん、和彦のために、本当にありがとう。あなたの気持ちに心から感謝しています」
その母の優しさに、さらに胸が張り裂けそうになる。声を殺しながら泣き続けたが、その場にいることが耐えられなくなった。涙を拭き、深くお辞儀をし、一条和彦の眠る部屋を出ていく。
暗灯だけの廊下には誰も歩いておらず、その建物をさらに暗闇が覆っている。
21時半を過ぎていた。落ち着いた後、帰宅するため公衆電話でタクシーを呼ぶ、女子高生。来る間、受付前のソファーに座り、ハンカチで顔全体を覆い、独りだけの世界に。
一条兄は病院の手続きをしながら、向こう側に小さく座っている女子を気にしていた。
10数分ほど経つと、タクシーの運転手が院内まで呼びに来た。自分の意思ではなく見えない力に誘われるように、タクシーへと引き込まれる。無力さを味わった若き命毘師が、魂の抜け殻のように座っていた。
ドアが閉まり、動き出すタクシー。だが、小さなブレーキ音と共に停車。何があったのかと、ふと顔を上げフロントガラス先を見る。
突然、後部座席のドアが開いた。頼んでもいないのに……。
「レイさん! 和彦が! 」