第38話 今そこにいる者
昼間の不吉な予感が、的中。彼女はこの日、和彦の手から何も感じなかったのだ。すぐにこの時が訪れるとは、思いもよらなかった、という。
他の先生が運ばれた病院名を、叫んでいる。そして教頭と担任の先生が病院に向かう、という状況を理解した。
職員室奥の席にいる教頭に近づく。
「教頭先生、私も、私も一緒に。連れて行って下さい」
いつも明るく元気な女子生徒が、悲しそうな面持ちで何かを訴えてきている。彼女をジッと見つめながら、一言。
「なぜ君が? 」
教頭の反応は当然である。親族でもない一生徒を同行させる理由が見つからない。仮に付き合っている仲だとしても、学校側として彼女を特別扱い出来ない、はずだ。
「私の、私のせいかも……」
彼女が一条の父を応急処置で助けたことは、知っている。だが一条和彦の事故が彼女に関係あるとは、到底考えられない。意味不明の返答に対応出来ない教頭。
「教頭先生、準備できました」
三年B組の担任の報告で、目の前のレイをそのままに出掛けようとする教頭。その行く手を阻むように彼女も、立つ位置を動かす。
鬼気迫る彼女の形相が教頭の気持ちを、変えた。いや、急ぎたかったため断固拒否する理由もなかった、のかもしれない。
「……わかりました。では一緒に行きましょう」
「あっ、ありがとうございます! 」
深々と上半身を倒した。
職員室の入口に立っていた涼夏に、歩み寄る。一部始終を見ていた真友は何も言わず、力強く頷く。レイも頷くことで応えた。以心伝心のように。
病院へと向かう後部座席で、口と目を閉ざし座っている女子は、何を思い、何をしようとしているのだろうか。
ただ明確になっている掟がある。転命によって“命”を与えた人間は、一生涯、“命”を受けることは出来ない。与えるだけである。一条和彦は父に“命”を与えた。つまり受けることは出来ないわけだ。そしてもう一つ……。
そのように理解している、はずである。ただ、……じっとしていられなかった。彼女らしい。
病院に着いた先生たちと生徒。
受付で確認し、三年B組の生徒が治療しているICU室へ急ぐ。そこに3、4人ほどの人たち。
「一条さん」
廊下の長椅子に座っている女性が、顔を上げる。
「あっ、教頭先生」
立ち上げってお辞儀をする和彦の、母親。
「お忙しいのに、申し訳、ございません」
化粧をしていない顔に、充血した目と腫れぼったい瞼は、目立つ。
「ご主人様の件もあるのに、和彦君まで……本当に何と言ったら……」
再び座り込み、ハンカチを持つ両手で顔を覆い泣き出す母。彼女の傍にいた男性が、代わって語りかけてくる。
「和彦の兄です」
軽く会釈する彼にレイも一礼。六つ離れた兄とは面識があった。
兄弟の父親を助けた事に対して、『どうしてもお礼をしたい』ということで、一度だけ一条家へ涼夏と共に、夕食を御馳走になったことがあった。その時に会っている。
「わざわざご足労頂き、ありがとうございます。和彦は今あそこに……。まだ意識が戻っていません。検査では内臓出血も骨折もなく、外傷も大したことないようです。ですが打ち所が悪かったのか、心拍が弱くかなり危険な状態みたいで……。今はこうやって見守るしかなくて……」
「そうですかぁ。……どんな事故だったんですか? 」
教頭と一緒に来た女子生徒も、訊きたかったはずである。
まだ駐車場にいた警察官からの情報を、兄は教えてくれた。
現場は緩やかに弧を描く、山手側の県道。反対車線の中型トラックが、和彦めがけて突っ込んできたらしい。運転手は『子どもが飛び出してきたので避けようとしたら、操作を誤った』と言っているとか。ただ、子どもが現場で見当たらないこと、子どもが飛び出してくるような場所でもないこと。証言に対する疑念が、運転手の事情聴取を長引かせているらしい。
幸いなことに、和彦は直接車に跳ねられていたわけではなかった。が、接触して倒されたのか、避けようとして転倒したのか、現状では不明。事故現場で倒れていた、という事実のみだった。
先生たちの会話をよそ目に、ICUで治療を受けている様子を伺う、レイ。彼がICUにいては触れることが出来ない。歯痒い想いで見つめるしかない。視線を外し、和彦の母親の横に座った。
「おばさん」
彼女の丸めた背中に手を、軽く置いた。
「レイ、ちゃん」
一旦視線を合わせたが、また泣き続ける。そんな一条母の片手はレイの腿の上に置かれていた。黙ってその手を握り、寄り添った。
母には訊ねられず、一条兄に投げかける。
「お兄さん、おじさんは? 」
一条父は午前中に亡くなっている、と和彦から聞いていた。
「父の方は、祖父と叔父に任せてある」
納得したように、再びICUとにらめっこ開始。
30分くらい経ったであろうか。
「端上さん、私たちはそろそろ学校に戻ろうと思うんですが、どうしますか?」
進捗変化ない中、教頭たちは帰校することに。
「私なら大丈夫です。もう少しココにいます」
教頭と和彦の担任は、一条家に軽く挨拶してその場から離れていく。
廊下を歩く先生たちの後ろ姿を意味なく見ていた女子生徒は、その向こう側でコチラを見ている、見知らぬ男に気づく。が、すぐに姿を消した。気のせいか……あまり気にも止めずにいた。
暗くなり始めた頃。
「レイさん、お家は大丈夫? 」
「そうですね。電話をしてきます」
病院の玄関外まで移動した。
「水恵さん、すみません。帰りが遅くなります」
「涼夏から聞いておる。……じゃが、レイ、無理はするな」
「……はい」
何を言いたいのか、理解しているようだ。
「帰りは、タクシーで帰ってきなさい」
「はい。ありがとうございます」
申し訳無さそうな表情。電話を切り、行く場所へと足を向けた。
その時だ!




