第36話 母のようになりたい
「まだ、どうすればいいのか分からないけど……でも……でも、やってみます! やります! 」
話し始めた時とは全く違う、少女の表情。悲しく、何かに怯えていた情は払拭された感がある。不安な気持ちは隠せていないが、決意は固いようだ。
相手の眼光を見て安堵する水恵。スッと立ち上がり、和室左奥の襖を開けた。押し入れになっている空間で何かを探し始めた。
両手で取り出した物体。硯箱くらいの大きさで、厚みのある代物である。
命毘師として決意した彼女の近くまで歩み寄り、垂直に座り直した和装の宮司。
「これは、おばあさんから預かっていたものだ」
丁寧かつ慎重に、膝の前に置いた。
年期を感じる黒布で包まれたその物体を、少女は凝視していた。
「菜摘さんたちが事故で亡くなった後、住んでいた家を壊す際に預かって欲しいと頼まれたのじゃ。本当はお前が高校を卒業してから、おばあさんは渡すつもりじゃったが……。
わしは中身を見ておらん。まぁ、見ても使えないからのぉ。さっき話ししたこと以外のことも詳しく書かれておるじゃろ。しっかりこれを読んでおきなさい。
人の命に関わる術じゃ。間違いがないよう注意しなさい」
端上家に伝わる、『伝書』だった。
「包んでいるその黒布は火浣布と呼ばれてるものじゃ。火事程度では燃えない布でな、何百年も使われているものだそうじゃ。
大事にしなさい。……これから子孫に伝えていくためにも」
先程にはなかった「はい!」の返事。
晴れ晴れさを見せる、レイがいた。祖母が亡くなったショックは、今その表情では感じ取れない程である。
黒布に包まれた伝書を両手で重量感を味わいながら持ち上げ、自らの腿の上に乗せた。刹那、閃きを得たように突然、問いかけた。
「水恵さん。母はどのようにして、助けを求める人と、連絡を取っていたのですか? 」
当然の疑問だった。
「わしじゃ。わしのところへ連絡がくる。それを菜摘さんに伝えておった」
意外な応えだった。
水恵が窓口ということになる。その理由を訊きたかった。
「命毘師の存在、転命の力については限られた者しか知らん。本庁含め一部の宮司同士の信頼関係で、密かに連絡を取り合っておる。稀に他からも依頼はあるが、皆、力の怖さを理解しとる。どの時代にも悪用しようとする者がいるからのぉ。全く知らんやつから依頼が来ても受けることはせん。とぼけて終わりじゃ」
頷く少女は納得した感を、覗かせていた。それだけでなく、「いつから活動開始なのか?」と、前向きな意思表示をも、見せた。
逸る少女を諌めようと、先ずは伝書を理解するよう、奨めた。
「レイよ、絶対に軽々しく口走るでない。もちろん涼夏にもじゃ。この力は公にしてはならん。今の時代、ネットで真偽関係なく広がる。命に貪欲な者が知れば、力づくで頼みにくるやもしれん。……菜摘さんは……いや……とにかく気をつけよ」
力強く頷く、理解した少女。気丈な彼女を見て、ホッとした感の宮司。
「では、そろそろ朝食に行こうかのぉ」
小綺麗な和室を出る2人。
一礼し、伝書を大切に抱いて自分の部屋へ戻るレイを見届けている水恵の表情には、まだ不安が残っていた。彼女に降り掛かる危機があったからだ。それは事故死としている両親の事件死に、関係する。
命毘師として生きる道を選んだ菜摘の娘には、事実をいつしか話さなければならないはず。しかし、今ではない、と考えたのだろう。機を先に延ばした水恵がいた。彼女の保護者として……。
***
その日の夕食後、部屋で独り、学習机に黒布を広げた。
中には、古汚さのある薄めのノート二冊と、表紙がシッカリとした教科書くらいの厚みのある古い伝書らしきものが入っていた。
最初に開いた薄めのノートの裏表紙に書いてある、キレイな文字。
『読みやすく書き写されたものです』
次ページを捲ると、裏表紙の文字とは明らかに違った。
「……難しい……」
焦る女子高生は、次に厚めの古い伝書を開いた。
「……読めない……」
さらに落胆。
何百年も前の書物なのだろう。達筆な字と絵で説明されている、年代物である。難しくて書いてあることが理解不能だった。
再びノートの数ページを軽く見てみた。丁寧に書いてある。絵も描いてある。ただ昔の漢字もあり、解読に時間がかかりそうだ。
ノートの古さから予想すると、高祖母が書いたのではないだろうか。そして、初ページの『読みやすく書き写されたものです』という文字は、現代的で読みやすい。……母の字、と思えるはずである。
古い伝書を閉じ、まだ読めるであろうノートから読み始めることにした。
大きな満月の明かりが境内全体を包む、静かな夜である。
――――◇
***
初出より一ヶ月ほどで三度の依頼を受けた、新人命毘師。
経験は浅いが、成長していることを、自ずと感じていた。
命の質の差を見分けることが、出来るようになってきたこと、だ。つまり、依頼人の誠実さの見極め、である。
依頼人の手を握ったが、命が流れてこなかったことが一度あった。『助けて欲しい』の言葉とは裏腹に、黒きモノを感じたらしい。
これは転命の特質でもある。善なる命でなければならないことを、レイが実感した日であった。
人の命の性質と命毘師の持つ命の原理、らしい。伝書に解説されていた。
命毘師の能力に関わる特別な命は、化学界でいうところの“触媒”に該当する。転命は、ある人の命を別の人の命に変化させることで、命の転移を可能にする。その際、善なるものでなく不善なものである場合、命毘師の命はそれを拒否する。となれば、転命は不可だ。
依頼人の命の質を感じることが出来るようになるのは、人の命の活性度合いの高低を確認出来るためである。
善なる場合に命は純度が高く活性度は低いが、不善なる場合に命は純度が低く活性度が高い。活性度が個人内で高いことで、命毘師の命に対してよりも個人の闇などのエネルギーが引き寄せられ、外部への転移が鈍くなる、というわけだ。
命毘師は、その活性度の高い状態で転移させることは可能である。が、それによって外部移転の命の量が増加するため、奪命の危険性が高まる。さらに、そのためのエネルギーの消耗は激しくなるため、命毘師はそれを実行しようとしない。伝書には多量転移について、注意を促していた。
命毘師は能力の高さも必要とされるが、精神的強さはさらに重要である。人の命に関わること、だからだ。
レイは経験を積みながら、“母のようになりたい”と心から願っていた。




