(増話)嬉しくなる者たち
2017年8月30日 差込
***
約1ヶ月後。
敷地に植えてある桜の木々がピンク色で囲み始めた、病院。
正面の自動ドアから出てきた家族らしき、5人。看護師さんたちにお辞儀をしている小さな涼夏とその父母。そして、幼いレイと御世がいる。
医師が匙を投げた状況から、キセキの帰宅。千堂美紀は薬の服用もいらない状態までに、回復した。
亮介の運転する乗用車の中では、二児の唄声と笑い声が絶えない。隣に座る美紀も唄声に合わせながら、口ずさみ体を踊らす。
20分ほどで着いた。門の前で停まった車の後部座席から降り、久しぶりに見る我が家を見つめた。
「帰ってきたのね」
夢を見ているような不思議さ、感動、懐かしさ、嬉しさ、全ての想いをのせているかのように、たった一言で表現。
「うん、帰って来たよ」
妻の隣に立ち、温かく優しく応える、バッグと手提げ袋を持つ亮介。2人は目を合わし、言葉などいらないと言わんばかりに、微笑みながら頷く。
それから、はしゃぐ幼女に近づき腰を下ろした、美紀。
「レイちゃん、ありがとうね」
幼きレイが祈ってくれたことへの感謝である。何度もお見舞いに来てくれたお礼である。最高の笑顔で、優しき母親のように幼女を抱きしめた。
憶えているわけではない。が、抱擁されるレイは、ママの温もりを肌で感じ、母の香りを顔で感じ、心安らぐ空間を心で感じた。以前見た夢が正夢となり、嬉しくてたまらなかった。細い両腕を首あたりに巻き、頬を美紀の肩に預け、小さな目を閉じた。その時間を大事にしたかったのだろう。この瞬間だけは一生涯忘れることは、なかった。
そんな母子のような2人を見ている涼夏も、嬉しくなる。
「ママ〜、わたしもぉ!」
レイと一緒に抱擁してもらった。
「よ〜し、久しぶりに3人でお風呂入ろっかぁ!」
幼児2人は顔を見合わせ。
「やったあ〜!」「やったぁ〜!」
嬉しさを爆発させた。
千堂家に、そして近所に、明るい笑顔と笑い声が広がった。
――――◇
2015年3月6日、東伊豆――
西の山へ隠れる準備中の太陽。
フキノトウが、ほんの少し顔を出し始めている、海を見渡せる山斜面の、小さな墓地。
カサブランカなどの花が墓石の両側を陣取り、中央下の線香の香煙が哀愁を伝えていた。そこに集う正装の男と老婆、そしてコートを纏うセーラー服姿の、女子2人。
「千堂家」の墓石の横には「千堂美紀」の名が刻まれている。今日は十年目の命日。毎年、4人で彼女のことを偲んだ。美紀の笑顔を、忘れることなく。
16歳となった2人は幼き頃から姉妹、双子のように、いつも一緒だ。それは、近所に住む両親なきレイを可愛がってくれた、涼夏の父母のお陰でもあったのだろう。
祖母の御世も含め、端から見れば一家族のように、仲の良い関係である。千堂美紀が、それを強く望んだ。2歳の幼女に起きた不幸を、感じさせないために。
それだけではない。
千堂家に起きたキセキ、もある。命と時間の大切さを実感した大人たちは、子どもたちとの有限時間を真剣に考え、接してきた。
あの日から一年、忘れることのない思い出を、共に。
母なき2人は、人として、成長することができたのだろう。
◇――――
3月2日、東伊豆――
――『平成25年2月に起きた女子高生連続暴行殺人事件の被告人加々見伸介23歳が、先週の名古屋高裁にて懲役二十三年を言い渡されました。そのことにつきましては、当番組でもお伝えしましたが、その加々見が昨日15時30分頃、拘置所内にて死亡しているのが確認されました。詳細は明らかにされていませんが、自殺の可能性が高いと――』――
朝から不愉快な表情。またもや事件を起こした加害者死亡、のニュース。
人が人を傷付けることも、自ら命を絶つことも、絶対に許せない性格。犯罪者であっても一つの命であることには、変わりない。幼い頃から生命の大切さを教えられているレイにとって、故意の絶命は受容できない。
「レイ! 学校に遅れるよ」
御世の強声が古家に響く。
「行ってきまーす」
雲流るる清んだ晴れの外へと飛び出す、セーラー服の上に紺系ハーフコートを着た、元気女子。
同時に出てきた斜向かいの家の、息子。
「おっはよお〜」
駆け足ながらの、挨拶。
「おっ、おはよっ」
先を走るレイの耳には、届いていない。
トーン低めで暗めの挨拶をするその家の息子――阿部阪嵩旡。同級生で、中学一年から一緒だ。
嵩旡が父親の転勤でこの田舎町に引っ越してきたのは、四年前の4月。
大人しい……というより自己主張ゼロ、学校でも孤立しているタイプ。髪の毛も毎日ボサボサで、瞼重く細い目、制服の着方もだらしない。第一印象とすれば減点対象である要素が多い。身長165センチ程度、体重70キロ程度の、MBI値は加算対象。
泳げない、足は遅い、ボールは飛ばないなど、運動を苦手とする男子。外で元気よく遊ぶところも見たことがない。典型的なオタク系……とクラス中の誰もが思い込んでいた。
ただ、英語、スペイン語、フランス語で日常会話が出来る特技がある。母親が有名な建築クリエイターで、幼少期から海外にも数ヶ国住んでいた経験もあるらしい……が、この町で役に立つことはない、と言える。
転校が多いため友達を作るのが苦手、だけなのかもしれない。
そんな不器用な男子であるが、学校でも近隣住民としても、隔たりなく普通に明るく接してくれるレイの存在は、嬉しかった。
彼女の真の優しさと勇気を知る1人、それが彼だ。
◇――――
中学一年の一学期。嵩旡はイジメられていた。
各学年一学級の田舎の中学校だが、イジメはある。当時は身長が150センチもなくポッチャリ小柄で無口、友達のいない転校生。……恰好の餌食となった。
最初に目をつけられたのは、二年生男子。キッカケは、先輩面して近寄ってきた男子らを睨みつけたこと、がことの始まり。
ある日、放課後に呼び出したがあった、のだが、嵩旡は帰宅してしまう。「面倒だったから」と後々告白している。しかし、これがいけなかった。逆にエスカレートしてしまう羽目に。休憩時間や放課後の呼び出し、トイレでの悪戯、悪口などが日に日に増す。
先生や親に言いつけることもなく、ただ耐えていた。泣くことも、謝ることもなかった。
先輩らは、そのことも気に入らなかったのだろう。イジメる者が先輩のみならず同級生にも、広がっていく。当然その雰囲気に気付き始める、女子ら。
二学期のある放課後。
用具入れになっているプレハブ裏へ、強制連行。複数の先輩と同級生に囲まれ、イジメられている嵩旡がいた。
その場面に乗り込んだのが、レイと涼夏だった。
黙って見逃せない女子生徒が、いじめっ子らに文句を言った。が、「生意気だ」と言われ突き倒された。先輩の前に立ち「イジメるのは私だけにしてください」と、睨むイジメられっ子。
激怒した先輩は右拳を、振りかざした。この時は、校舎側から先生の「こらぁ〜、お前らあ〜」の声に、足早に逃げた。
先輩らの名前を先生が聞き出そうとするが、男子は一切口にしない。だから女子たちも言わなかった。
3人で下校する時。
「なんで、先生に言わないの?」
「あの人たちは、ムダなことをしていると気付いていないだけ。先生にも僕らのために、ムダな時間やエネルギーを使って欲しくないだけ。僕も、ムダな時間とエネルギーをこれ以上使いたくないだけ。イジメがムダなことと分かれば、いつか止めるでしょっ」
嵩旡なりの持論だった。
「端上さん、止めてくれて、ありがとう」
別れ間際の、彼なりの感謝のコトバだった。
この日以来、イジメの場を発見する度に乗り込んだ、レイと涼夏がいた。次第にいじめっ子らは、諦めていく。同級内から、その後先輩から、彼へのイジメはなくなった。彼女たちに味方する同級生が増えていった、からだった。
――――◇
その日の夕食後、視ていたお笑い番組が終了。残りの紅茶を飲み干し、カップをキッチンで洗っていた、時だ。
――『昨夜午後9時頃、多摩川河川敷で19歳男性の変死体が発見されました。警察のこれまでの発表によりますと、死亡した男性は昨年、OLストーカー殺人事件の容疑をかけられ、当時殺人については証拠不十分として不起訴となった男性であるもよう――』――
背後から聞こえてくる、数分間のニュース。いつの間にか、濡れた手を拭きながら、目と耳で確認していた。
「レイ、どうしたんだい? 」
洗面所から戻ってきた祖母。
「ん!? んんん、何でもないよ」
孫は座卓上のリモコンを取り、テレビをオフ。キッチンへ戻り、タオルを掛けた。
「おばあちゃん、戸締まりしとくから、先に休んでて。私、明日の予習してから寝るから」
「そうかい、それじゃあ頼むよ。おやすみ」
「おやすみなさい」
少女は、加害者・容疑者死亡事件に、敏感になっていた。意識をしていると言った方が、正しいかもしれない。それは、学校でも話題になりつつ、あったからだ。




