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ヴィタリスト =命と闇の合従= <ミングル編>  作者: 柳刃公平
第四章 志(インテント) 2017.8.30改造
36/109

(増話)幼き者の願い

2017年8月30日 差込

 

 ◇――――


 ―― 十一年前 ――


 2004年、海風が身を引き締める2月下旬。

 テレビから流れる男の声と、働く女性の声が響くフロア。廊下から小刻みに聞こえてくる足音は、この建物だからこそである。

 キレイとは言い難い白い壁とクリーム色のカーテンに囲まれた部屋で、重々しい表情の大人たちと、笑顔で健気な女の子たち――5歳のレイと涼夏りょうかが綾取りをしていた。

 メインとなる大きなベッドには、静かに目を閉じ横たわる涼夏の母――美紀。そのそばで歯を食いしばる涼夏の父――亮介。そして、反対側で心配そうに見守るのはレイの祖母――御世みよ。入院して二週間ほど。身体が弱く、これで五度目の入院。


 美紀は、綺麗な肌をもつ美しい女性。“天使の微笑み”とは彼女のためにある、コトバだ。それに気丈で明朗、かつ誰にでも優しい。隣町にも美紀ファンが多かった。入院している間も、子どもたちの前ではいつも、笑顔で接してきた。

 しかし……今日は違った。疲れきった表情。呼吸するにも一苦労のようだ。自身に何かを言い聞かせているようにも、感じる。

 子どもたちに笑顔を見せることさえも出来ないほど、最悪な状態だった。彼女は自らの死期を、心身ともに受け入れていた。


 妻を見つめる夫の目は、赤い。

 医師は既に諦めていた。『今日が峠』だと。

 平日だったが、レイと御世も駆けつけていた。

 幼女たちはそのことを、知らない。2人はいつも笑顔である。美紀がそれを望んでいたからだ。


 彼女は目を開け、ゆったりと子どもたちの声がするほうに顔を動かし。


「涼ちゃん、レイちゃん」


 弱き声に、顔を向けた二児。


「「はあーい!」」


 同時にサッと動きベッドにペタッと付き、美紀の顔をじっと見つめた。


「2人とも、そろそろ、年長さんね。ちゃんと先生の、言うことを聞いて、お片付けもしっかり、やりましょうね」


 振り絞るような声で。そして、深呼吸を一つ。


「それから、ママが帰るまで、涼ちゃんは、お父さんの、お手伝いを、すること。レイちゃんは、おばあちゃんの、お手伝いを、すること。その間に、ママは、元気になりますから……ね」


「ママー、おかたづけもおてつだいもいっぱいするよ。だから、はやくなおしておうちにかえろうね」


 母が家に戻れることを信じている、幼き涼夏。


「そうね、ママ、頑張るわ」


 やり取りを聞いている亮介は俯き、小刻みに両肩を震わせ、目から涙が溢れないよう必死に堪えていた。


「りょうちゃんのパパ、どうしたの? 泣いてるの? 」


 気づいたのは、小さなレイだった。パパは、ただただ唇を噛み締めている。


「りょうちゃんのパパもさびしいんだよね。りょうちゃんのママがはやくゲンキになるように、おいのりしてあげるね」


 レイなりの心遣い。小さな右手で亮介の指を、小さな左手で美紀の指を握った。目を閉じ、愛らしくお祈りをする。


「りょうちゃんのママ、はーやくゲンキにな〜ぁれ!」


「うんうん、そうだね、そうだね」


 その優しさに応えようと、必死に言葉にする涼夏のパパ。目を充血させたまま、努力ばりの笑顔を見せた。


「レイちゃんは、本当に、優しいよね。ありがとう」


 美紀も今見せられる最高の笑顔を、作った。


 ただ、幼女の祖母だけは渋い表情。不思議なものを見ているように。


「レイ……まさか……」


 ボソッと声が漏れた。この瞬間から、疑念を持ち始めた御世がいた。後日、幼馴染みに相談することに。『孫が祈る瞬間、涼夏の父母の指を握っていた小さな手から一瞬、ほのかな発光が見えた』ことについて、だ。



 夕刻、一旦家に帰ることになった。病室で見守ることを老女は望んだが、普段と違う行動によって幼児2人に不安を与えないため。……病人の願いだった。


「何かあったら、すぐにご連絡くださいな」


 亮介は声に出さず「はい」と唇を動かした。


「じゃぁね、りょうちゃん、またあしたねぇ、バイバ〜イ!」


「レイちゃん、バイバ〜イ!」




 築四十年を超える古家に帰宅後、風呂に入り、そして夕食の準備。レイは唄を歌いながら、居間で絵描きをしていた。

 夕食後、昔話しを聞かせながら孫を寝かしつけ。夜中でも病院へ飛んで行けるよう、知人のタクシー運転手に電話で依頼した。枕元に服を準備し、布団へ潜り込んだ。

 オレンジ色豆電球の薄暗い部屋で、孫の隣で寝ようとするのだが、寝付けないようだ。身体を起こし静かに襖を開け、居間の照明を点けた。さらに隣部屋の仏壇の前に正座し、写真を手に取る。30歳前後のショートカットの女性――彼女の娘だ。

 その静かな眼差しは、寝室の孫に向けられた。その不安な表情は、千堂美紀のことよりも、孫のことを案じているようだ。何かを思い出していたのかもしれない。

 昼間の、あの光、を……。



 後日、不安をぶつけた。


『あの光……いいや、私も歳をとった、錯覚かもしれん。レイにあるはずがない……そんなはずは……もし、そうだとしても、5歳じゃ、まだ早過ぎる。……錯覚であると願いたい……たった一人の孫までも失いたくないんじゃぁ……』



 翌朝、ゆっくりと目を覚ます御世。


「大丈夫だったのかのぉ〜」


 亮介からの連絡はなかった。まだ寝ている可愛い孫の寝顔を見ながら、温かい布団から、冷え冷えする空間へと移動した。


 鍋の味噌汁の香りがふんわりと漂い、卵とベーコンを焼く音のする台所に、別の方向から響く明るい声。



「おばあちゃん、おはよう」


 既に暖まっている居間に、元気よく飛び込んでくるパジャマ姿の、孫。


「あぁ、おはよっ。お顔洗って、パパとママに挨拶して来なぁ」


「うん」


 いつものように2人きりの、温かい朝食。慣れないお箸を使い、無言で食べていたレイだが、思い出したかのように口を開く。


「おばあちゃん、ユメにね、りょうちゃんのママがでてきた。『ただいま』ってかえってきたの。りょうちゃんもパパもうれしそうだった。……でね、りょうちゃんのママがね、『ありがとう』ってだっこしてくれたの。ママって、いいね」


 箸を止めた。視線を隣部屋の仏壇にある写真に向けた。レイは両親のことを憶えていない。あの事件さえも……。

 自分に両親がいないことを幼心でもシッカリと、受止めているようだ。そのように御世も感じていた、強い孫だと。

 涼夏の両親に仲良く、そして我が子のように接してもらったお陰もある、かもしれない。だからこそ千堂家には心から感謝していた。



 今日は土曜日。保育園を休み、昼前から涼夏の母のいる病院へ。

 海岸線沿いを走るバスに揺られながら20分ほど。寒さはあるものの風もなく、遠いところで照らす太陽の暖かさを肌に感じるひとときである。


 病院に着いた2人は看護師に挨拶しながら、美紀の病室へ。


「あっ、レイちゃん」


 嬉しそうに近寄ってくる涼夏。亮介に挨拶をする御世。

 ベッドには美紀がいる。ただ、昨日と明らかに表情が違う。柔らかく、天使のような微笑みが、彼女の元へ帰還した。


「りょうちゃんのママ、こんにちは。どう?」


「今日はね、とても気分がいいの。少し元気になったみたい。レイちゃんがお祈りしてくれたからね」


 満面の笑みをレイに見せた。


 御世は不思議さを想いにのせ、視線を亮介に向けた。


「御世さん、ちょっと」


 病室外で話しをしたいようだ。部屋を出るなり、すかさず訊ねた。


「何か、あったのかい?」


「実は昨夜から、状態が突然良くなってきて……。今朝、主治医から――」


 『……ん? んんん……越えたようですね。安定しています』


「主治医も驚いています、諦めていましたから。一時期的なことかもしれないので、もう少し様子をみることになっていますが……でも、明らかに良くなっていると私も感じているんです」


「そっかぁそっかぁ、それは良かったよぉ〜」


「不思議なことですが、私たちにとっては心から喜ぶべきキセキが起きたんです!」


 彼の歓喜と興奮が、充分に伝わってくる。


「昨日、レイちゃんに祈ってもらったお陰かなぁ〜」


 少年のような笑顔を見せる亮介。喜ぶ彼に微笑む御世。そして2人の視線は、涼夏と美紀と話している、朗らかなレイへ。

 昨日とは全く違う、3人の楽しそうな笑い声が病室を、明るくしていた。


 心から喜ばしいことであるが、密かな疑念が確信へ傾いていることを、御世は感ずる日となった。

 梅のつぼみの割れ目から白色がにじみ始めるように、少しずつ、確実に……。



 ***



 

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