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ヴィタリスト =命と闇の合従= <ミングル編>  作者: 柳刃公平
第四章 志(インテント) 2017.8.30改造
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第30話  錯覚を得る者

 

 ◇――――



 2000年12月16日、東伊豆――


 街灯もない、海岸線沿いの蛇行する暗闇の一本道。

 ガードレールの下で止めどなく激突する波群。その不整音の合間に流れる整音がある。

 暗闇の中で宙を浮遊する、ぼやけた紅色の物体。

 2オクターブほど高めのサイレン音が、空気が抜けるような駄音に変わり、徐々に遠ざかった。と思いきや、大きくなってきたハイテンポ低音。

 白と赤の光が交互に救急車とすれ違い、逆の方へと動く物体。『静岡県警』と記された車両四台が、水飛沫を振りまき、等間隔で疾駆していた。



 冷たい雨が暗闇をさらに増す海と林に挟まれる集落……普段ならば……五、六軒の家灯りが頼りとなる独特の暗闇があるはずだが、今宵は特別。

 雨が弾く濡れたアスファルトに反射し、異様な明るさを漂わせている。

 救急車一台、そしてパトカー三台とワンボックス二台の薄気味悪い赤色灯は、この田舎町にミスマッチであると誰もが感じるだろう。


 古家を背にしたレインコートを着た警察官たちと、激しく動き回る捜査員たち。

 その光景を見守る10名ほどの、近隣住民。寒いのか、怖いのか、身体を震わせながらも、傘をさしたまま動こうとしなかった。


 その中に、泣きじゃくる2歳くらいの女の子を抱きかかえるポッチャリした、中老の女。

 震える背中、太い血管が浮き出る額、両下瞼に溜める涙、うっすら血の滲む力む口元。悲しさ、悔しさ、寂しさ、無念さ……いくつもの情念が彼女の胸中で入り交じっている、に違いない。

 今すぐ発狂したい己を必死に抑えるように、冷えた手は孫の背中をさすったり、軽く叩いたりしていた。


 中老女と女の子が濡れないよう、傍で両手に黒傘を持つ、小さな眼に丸い老眼鏡、羽織を着た中老の男。彼も複雑な感情を隠せないでいた。

 その彼の妻は夫から1メートルほど横に離れ、透明傘を持ち立っていた。


 各々が、特別であろう今宵の同光景を、目に、焼け付けることになる。


 古家から2人掛かりで運び出される細長い二つの黒いものを、合羽かっぱの男たちがワンボックス車に別々に入れ込んでいる。

 女の子の父、そして女の子の母であり、中老女の娘であった。

 偶然だったのだろうか。女の子は助かった。近くに住む大好きなおばあちゃんの家にお泊まり、だった。


 この日、何者かが侵入し、2人を亡き者にした。


 孫を抱える中老女と、女に頼まれた中老男は、中年捜査員にいざなわれ警察車両に乗り込み、その場を後にするが、田舎独特の暗闇は深夜まで戻らない。



 まだ、そこにいる複数の警察関係者。


「どうやれば、こんなになるのでしょうか? 人が暴れたとは思えませんね、これ!」


 若年捜査員の問いに、黙って隅々を凝視する中年捜査員。


 木造の古家内は、警察が準備したであろう照明器具三つのみ。それでも十分に把握出来る、嵐が過ぎ去ったような荒れ様と散血が、惨劇を語る。


 窓ガラスは凶器と化し、物という物は原形をとどめず、足の踏み場がない。ふすまは裂け、ドアは真っ二つ。壁と天井には、複数の穴があいている。

 普通の大人ではあり得ない、暴れ方。プロレスラー、いやそれ以上の巨体、例えば象が暴れたと言っても誰も疑わない、ほどである。



 現場から20分ほど離れた警察署、の一室。

 並列に置かれている金属製の物の上に、2人の亡骸。全身に白布が掛けられているものの、傷を負った2人の色白の顔だけが、目立つ。

 そして、そばに呼吸する者が3人。


 泣き疲れたのだろうか、スヤスヤと寝むる幼児。

 孫を抱いたまま、婦警が準備したパイプ椅子に座っている中老女。複雑な気持ちを、整理する……余裕などないことは、明らか。耐えていた涙を今、遠慮なく流していた。

 2亡骸の中央壁側で両手に拳を作り立ちすくむ、中老男も同様であろう。小刻みに震えながら、声を殺し流す涙目は、悔しさが滲み出ていた。


 どのくらい経ったであろう。白布を少しだけめくり、右腕をさすりながら、無数の傷を付けられた娘の顔を拝む老母が、口を開いた。


菜摘なつみぃ……あんたは……あんたは……こうなることっ……グッ」


 詰まらせ、嗚咽が続く。が、それを抑制しようと踏ん張る意図が窺える。寝むる幼児の小さな手をその母の手の平に、のせた。

 そして、聞こえるはずもない娘に、声を、掛ける。


「大丈夫だよ、レイは無事だからね。安心しな」


 刹那、「ハッ?」とするように嗚咽おえつを止めた。一瞬、重なり合う3人の手に目をやるも、元に戻す。驚きなのか不思議なものを見るように、娘の顔を注視。

 変化はなかった。


 この時、ピクッと動いたように感じた、と言う。孫の手ではなく、娘の指が、である。


(錯覚? )


 そう思うしかなかった。息を吹き返すことなど、なかったのだから……。


 ただ、錯覚と思われたこの“一瞬”の些細なことが、孫の運命を変えたかもしれない、と中老女――御世みよは、幼馴染の中老男――水恵すいけいに、後々語っていた。



 ――――◇



 

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