第3話 コーヒーを楽しみたい者
☆―☆―☆間は、一人称です。
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2015年3月6日、東京郊外――
都心から離れた落ち着いた住宅街。高層マンションもなく、都心とは違いのんびりした領域。駅から少し離れたところに理容店と並ぶ小さな、喫茶店がある。
窓際に4人用のテーブル、壁側に二人用のテーブルが三つとカウンター席が四つ。壁には昭和時代のスターのポスター、BGMも昭和30年から40年代の音楽が流れる、流行とは無関係の古き良き店ではないだろうか。
食事時間帯を外せば、客がいることは少ない。密会なら都合のいい場所、と言える。
入口に近い二人用テーブルで、無柄の白カップを口元に運ぶ。中を陣取るのは、マスターオリジナルのブレンドされた抽出液。
最初に微量の酸味、その後に主張してくる苦味は、喉を円やかに通過した時に湧き出る薫りによって、消えていく。一杯400円以下なら毎日飲みたいくらいだ。だが700円の有り難みは、たまに飲むからいいのだろう。あちこちに点在するカフェショップの良さが分からない私には、この店とこのブラックコーヒーで充分だ。
それは、私の前に座る男も同意見……いや違う、ならば“ヴィエンヌ(ウィンナ・コーヒー)”など注文するはずはない。
(こいつ、ここのコーヒーとチェーン店のカフェを同じと思ってんじゃないだろうなぁ!? ……)
「柳刃さん、この歯、何だと思います? 」
彼は自分の上側切歯を指差していた。
「……側切歯」
無表情で応え、られたと思う。
「えっ!? これ、“そくせっし”と言うんですか? ……じゃなくて、この差し歯、凄いモノなんですよ! 」
「……そっかぁ」
興味を示さず、コーヒーを一口。
「で、何だ? 」
「はい! これ、実はマイクっす」
(俺としたことが……)
眉を少し上げたことを悔やんだ。
「……聞いてやろう」
話を聞いてあげるだけで、彼は喜ぶ。
つまり、側切歯と犬歯の2本分が差し歯で、高感度マイク、バッテリー、発信装置などが組み込まれているらしい。緊急時、例えば誘拐され手を縛られた場合でも、舌で内側のスイッチをオン、登録した電話番号へ自動的に発信、相手が出ると振動。一方通行だが会話が相手に伝わる、というモノ。防水にしており飲食程度では壊れない、というのだが……。
「凄いな。だが、……顔殴られて歯折られたら、どうする?」
「あっ……な、殴られないように避けるっす」
動揺している彼に、さらに突っ込みたくなったが、やめた。
(電波の届かねぇ場所に監禁されたら、使えねぇな。それに……それを付けるために歯を削るなんて、俺には真似できない……)
彼の仕事柄、誘拐・監禁・暴行などは想定範囲。彼なりに工夫しているのは、理解出来る。
名は砂場仁――30歳独身男、しがない探偵だ。銀髪の爽やかなショートカットで玉子顔、つぶらな瞳と少し高めのキレイな鼻筋。左耳朶にピアスを付け、右耳穴に肌色のブルートゥースイヤホンを差し込む。これらも彼の仕事道具。
市販されているモノを改良したらしい。携帯電話の受話器の役目はそのままに、無線機にも対応させた。つまり、盗聴のためだ。ピアスはただのリング型だが、発信機になっている。電源はソーラータイプ。その他にも改造した所持品があるのだが、全て、秋葉原にいる知人に造らせた、らしい。
(スパイ映画の見過ぎだ! )
コーヒーを口に含みながら、そう思った。
「ところで、どうだ? 」
本題に入りたかった。
「あっ、そうそう」
彼も一旦口を、潤す。
「柳刃さん、先日多摩川で亡くなった男の子の死因すがねぇ……心不全って公表されてますが、どうやら違うみたいすよ。……心臓だけが焼けタダレていたらしいっす。感電とかの痕跡はないようですけど、ね」
通称ヤバと呼ばれている私は、柳刃公平。
中央で分けたヘアスタイル、薄い無精髭、左目下に一つだけ目立つ黒子、いつも眉間に二本の皺を寄せた、面長顔のどこにでもいる風のおじさんである。ちなみに41歳の独身、結婚は……想像に任せる。
「それから、ストーカー被害女性の父親なんすが、男が不起訴処分になった後、証拠を探すために必死になって街頭活動していたんすよ。けど、2月上旬にパッタリ止めたらしいっす。周囲には『娘の命の償いは、命をもって必ず償わせてやる』、なんて言ってたみたいすけどね。……まぁ確かにぃ、僕だって自分の子ども殺されたら、同じ想いになるっしょうけど……。
っで、ヤバさんの記事も意識してるんしょ。警察も一応は父親を調べたみたいっす。当日は会社にいて、お金で誰かに依頼した形跡もない、ってことで父親は白。なんですがぁ、ただぁ……」
コーヒーを飲み、一呼吸おく目前の男。
「ただ、何だ?」
せっついた。
「じぃつぅわぁ(実は)……」