第19話 小娘と女将
☆―☆―☆間は、一人称視点の話です。
※ この話は、少し長めです。
新しくはないが、カウンター、壁、棚、柱など一つ一つが洗練されており、東京銀座でも通用するレベルの店内。まだ時間が早いためか、カウンターに男性客が一人。
奥から出てきた着物姿の女性。旭真紀子という小娘を見るなり微笑み、爽やかな声でその場を潤わせた。
「あらっ、ヒマコちゃん。今日は早いのね。お一人? 」
常連客のようである。そしてこの女性は女将さんなのだろう。背丈が少し高めで、赤や黄色の花柄が描かれているスカイブルーの着物を、優雅に着こなしている。肌も白く、小顔。誰が見ても一目惚れするような、美人系女将だ。
その女将に応えるため彼女は首を横に振り、顔でコチラを指した(ような気がした)。
「この人と一緒です」
「初めてのお連れさんね。奥の部屋使っていいわよ。進藤さんたちも来るの? 」
「今夜は来ません。このスゴいお方と2人っきりです」
トゲのある言葉を残し、奥の部屋とやらにさっさと向かう、常連客。
(何か悪いこと言ったのかなぁ〜……思い出せない……)
小娘といることが次第に、辛くなってくる。だが、進藤氏のクルーである。(今晩だけだ)と割り切り、常連客に従うことにした。
奥には十二、三畳くらいの和室。中央には4人がゆったりと座れる大きめの座卓。私を待たず、既に下座に正座している常連客の小娘。異様感を味わいながら、脱靴し、座る彼女の反対側、上座にアグラした。
女将がおしぼりを出し、メニューを差し出す。
「なんと御呼びしたら良いのでしょう? 」
「柳刃と申します」
「ヤナギバさん……少し言いづらいですわね。あだ名などございますか? 」
「そうですね……たまにヤバと言われています」
「ヤバさん? 何かヤバいお仕事をされている方ですか? 」
「いいえ、そういうわけでは……」
「ふふふっ、冗談ですわ。ところで、お飲物は如何致しましょう? 」
「では、ビールを」
「承知しました。ヒマコちゃんはどうされますか? 」
「……ビールお願いします」
「はい、承知致しました」
2人きりになった和室。無言の状態を打破しようと、試みる。
「あのぉ〜旭さん、何をそんなに怒っておられるのでしょうか? 何か失礼なことをしたのなら謝りますが、思いつきません。教えて頂けないでしょうか? 」
両腕を膝で突っ張り、口を閉ざしたままの子どもっぽい、小柄な女子。
女将によって暗黒の空間が花畑のように変わる感、を憶えた。お箸とお通し、そしてコップを2人の前に置き、そしてお酌してくれる。「かんぱーい」という声のないまま、コップに注がれたビールは小娘の口から、消え失せた。再び注いでもらい、一気に呑み干す彼女の呆れた行動。
私も静かにビールを口にする。
「あら、ヒマコちゃん、少しご機嫌斜めのようね。何かおありになったのかしら? 」
代わりに訊ねてくれる女将の心遣いは、少し嬉しかった。
間をおいて、俯いたまま、やっとのことで口を開く小娘。一緒にいながら何日も会話していないほど、待ちに待った彼女の声が聴けたのである。
「あのですね……」
突然、右腕をコッチに突き出し、人差し指で指してきた。
(やっぱり俺かぁ〜)と思いつつ、耳を傾ける。
「私が何度取材しても教えてくれない情報を、この人は……たった一回、それも一時間もしないうちに、全て聞き出すんですよ! 私って、そんなにダメなんですかぁ〜……ワァゥワァ〜」
(へっ? )
待ちに待った声が、泣き声に変わってしまった。
「あらまぁ〜、ヤバさんがヒマコちゃんのお仕事を奪ってしまったのね」
女将さんがチラッと私に視線を、送る。
(お、オレ? )
頭が混乱し始める。
「ふふふっ」
女将さんは他人ごとのように笑いながら、ビールを勧めてくれた。
「ヒマコちゃんは、元気で負けん気は強いんですが、それがあだになることもあるようです。取材している時も、顔に出るんでしょうね。ヤバさんに対する態度も結果、そうです。その表情が不快に感じられ、取材に応じてくれない人もいるのだと思います。それを自分の目の前でヤバさんに奪われたのですから、悔しくて悔しくて堪らないのでしょう」
理解し始めた。
主婦たちが集まった上で、色々と聞き出すことが出来た。取材する者の難関はいかに知りたい情報を聞き出すか、である。経験豊富なジャーナリストにとっては、テクニックが複数あることで容易になってくる。苦戦していた旭にとっては悔しかったのかもしれない。おまけに彼女のテリトリーで、東京から来た部外者が情報を奪ったのだから。
旭の不機嫌を受容した。
「旭さん、すみませんでした」
「……柳刃さんは、悪くないです。私の未熟さに、腹が立っていたんです。でも、その矛先がどうしても、柳刃さんに、向いてしまって……謝るのは、私の方です、ごめんなさい! 」
嗚咽気味であるが、涙を拭きながら面と向かって自分の気持ちを、打ち明けてくれた。
「あら、良かった。お二人とも仲直りしたようね。ではヤバさん、何を召し上がられますか? 私にお任せ頂けるのでしたら、気の利いたものをお造りいたしますが」
「はい、お任せします」
「はい、承知致しました」
女将は拵えている煮物等を一品ずつ提供しながら、カウンター奥の厨房で調理。女将の料理は上品な味を纏うように、高貴で優しいものばかりである。
美味しく頂きながら、旭の質問に一つずつ応えた。今日の取材の方法、聞き出すためのテクニックなど。記事にしている“加害者連続死亡事件”の情報収集方法なども教えた。
まだ質問がありそうな彼女だったが、酔いが激しく、睡魔に襲われてきているのが分かる。
「旭さん、大丈夫ですか? ここで寝ないでくださいよ」
初めて会う旭と、初めてきたお店で寝られては困る。送って行こうにも行けないのだから。しかし、私の不安を無視し、座卓に身体を預け、寝てしまった。
「ちょっと、旭さん! 起きて下さい。ここではダメですよ」
困っている私を見ながら、その状況を愉しんでいるかのように和室の外から微笑む、女将。謝るしかない。
「すみません。旭さん、寝てしまいました。彼女の家も知らないし……。進藤さんに連絡した方がいいですよね? 」
「いつものことなので、気になさらないで下さい」
不安を和らげてくれる言葉をかけながら、和室に入ってくる女将。
「そうなんですね」
少しだけ安堵。
一つ疑問があった。
「ヒマコとはどういう意味ですか? 」
「ヒマコは、旭真紀子を短くした言い方なんです。でも、もう一つ意味があるんですよ。この子は、仕事がある時は集中し、真剣に取り組んでいるのに、仕事がない休みの日になると、趣味がないみたいで、いつも『暇だ、暇だ』、って言うんです。だからヒマコちゃんなんですよ」
「そうなんですかぁ。お詳しいんですね」
「はい、この子が小さい頃から知っていますから」
「そうでしたかぁ」
それ以上は訊かず、上着ポケットから財布を出した。女将はキレイな手を伸ばし、制止させる。
「お気になさらないで下さい。進藤さんの会社に回しておきます、ふふふっ」
(それはできない)と思い支払おうとするが、女将は首を横に振る。
御馳走になったことを感謝し、店を出た。後ろで見送る女将に再度確認する。
「旭さんをお願いしても、大丈夫ですか? 」
「はい、私が後で送って行きますので」
「旭さんのご自宅をご存知なのですね? 」
「はい、だって一緒に住んでいますもの」
「えっ? 」
「ご存知ありませんでした? 私たち母娘なんですよ、ふふふっ」
予想外の情報に、酔いが、醒めてしまったのだった。
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