幸福の定義
誰もを虜にしてやまない少女がいた。
個人の嗜好や性癖やその他諸々を超越した美しさをもった少女だった。
深淵の見えないどこまでも深い瞳は、光の当たり具合によって色彩が微かに変わる、神秘的な蒼色をしていた。
どんな宝石だって、その美しさにはかなわないだろう。
いっそ神々しく艶めく髪は、淡い湖面の色から瞳の色に変わるグラデーション。
誰もが息をのむ美しさだった。
肌はすきとおり、唇は薔薇を溶かしこんだよう。
人間離れしていて、人形のように綺麗だった。
絶世の美女と呼ばれた者も、彼女の前ではかすんでしまった。
満月の光に照らされると、彼女の姿はまるで妖精のようにみえた。否、妖精よりも美麗だった。
触れるのすら戸惑われ、神秘的で繊細で。神に愛されているのだと、人々は褒めそやした。
彼女は不思議な色の薔薇を育てていた。
蒼い薔薇だ。普通に育てていれば、まず咲かない色の薔薇。
彼女以外、その薔薇の育成方法は知らなかった。
神の奇跡なのだと誰かが言った。
彼女の歌声は人々の心をつかんで離さなかった。
彼女の歌は不思議な魅力をもっていた。
魅了の魔法をかけられたわけでもないのに、誰もが彼女に魅せられ、深く感動し、涙した。
その評判を聞きつけた貴族の子息が、彼女を妻にしたいとやってきた。
貴族の子息は彼女の姿を見、歌を聞き、自分にはつりあわないと帰って行った。
彼女は誰のものにもならなかった。否、誰も彼女を自分のものにはできなかった。
彼女は特別なのだ。ただの人間がつりあうはずがないのだ、と。
彼女は病弱だった。
国でも有名な名医でも、彼女を救うことはできなかった。
彼女が息をひきとると、彼女の後を追い命を絶つ者すら現れた。
名のある術者が、彼女を甦らそうと奮起した。
彼女を知る者達は、その死を嘆いた。
彼女の生前の噂を聞いた者が、彼女に異常な程の感情を抱く者達を嘲笑した。
その者は、彼女の死を嘆く者に手酷い目にあわされた。
彼らは彼女に堕ちていた。狂っていたともいえよう。
彼女は幸せだったのか?と誰かが問うた。
それは勿論だ。誰からも愛されていたのだ、神にすら愛された美貌をもっていたのだ、と誰もが言った。彼女程幸せだった人はいないだろうと。
神の最高傑作と揶揄される美貌、誰もが聞き惚れる美声。誰にも憎悪の目をむけられることはなく、その死を誰もが嘆き悲しんだ。幸せでないはずがないと。
はたして彼女は幸福だったのだろうか?
それは彼女にしかわからない。
けれど。
彼女が声をあげて笑う姿を、誰もみたことがなかった。
穏やかに微笑んではいたけれど、彼女が声をあげ、心底楽しそうに笑う姿は誰もみたことがなかった。
彼女は孤独だった。
彼女は誰からも愛されていたけれど、愛した人はいなかった。愛すべき人はいなかった。
彼女は別格であり特別なのだと誰もが言う。それゆえ、彼女を真の意味で理解し心に寄り添える者はいなかったのだ。
自分が彼女の特別な存在になるなんておこがましい。自分とではつりあうはずがない。誰もがそう想っていたからこそ、彼女は孤独だった。
周囲に沢山の人がいるにも関わらず、心は孤独だった。
誰もが釘付けになる美貌をもち、誰もが羨み慈しむ声をもっていた。
けれど、それがなんになる?
彼女の心情には誰も気付きはしなかった。
彼女の深い深い瞳が、輝きを失い始め、闇がとけこんでいたことも。彼女の育てていた美しい薔薇の輝きが段々にぶくなっていたことも。
彼女について詳しく知る者は誰もいなかった。
何が好きだったのか、どんな性格だったのか、産みの親は誰なのか。
彼女の正体は、聖女だったのか、魔女だったのか。月の姫であったのか、ただの人間だったのか。王族だったのか、貴族だったのか、はたまた平民だったのか。
誰も、しらない。
彼女の髪は、彼女の深い悲しみと孤独に染まっていたのかもしれない。
最初は光り輝いていたその瞳がいつしか暗くなった。もしかしたらその瞳は涙の色だったのかもしれない。
彼女は今、黄泉の国で何を想う。