陽気な日の、再会と出会い
暖かな季節がやって来た。穏やかな風が肌を撫で、新緑が芽吹き、降り注ぐ陽射しを振り仰ぐだけで小さく幸福を感じることすらできる。
春の訪れに合わせて、首都では祭りが開かれた。毎年必ず開かれる、国を挙げてと言っても過言ではない一大行事。首都とはいえど数少ない娯楽のひとつ、首都市民はもちろん近隣からの参加者も多い。
祭りの付き物である屋台。賑やかな祭りを作り上げるために欠かせないその出し物を募る告知が首都中に出されて、カフェを営むマトリカリアが乗り出さない選択肢は端から無かった。
「何だかんだでお祭りの準備だって楽しそうに仕込むくせに、何で申請がぎりぎりだったんでしょうね? 不思議でなりません」
「間に合ったんだから別にいいだろ、細かいことは」
「性分はいいですけど、しわ寄せが私に来たことも忘れないで下さいよ」
「……次の給料は祭りの分まで弾もう」
「やった。頑張りますね!」
ちゃっかりと言質を取ったスイランの手際が良くなった気がするのは気のせいだと思うことにした。そろそろ祭りが始まる時間で、屋台に客が込み合って来るのも時間の問題だ。ただでさえ常とは違う場所での商売なのだから、準備がスムーズに越したことはない。
春祭り、と呼び慣わされる祭りにふさわしい暖かな陽気の下。小さなカフェを十分気に入っているが、たまにはこういう場所も良い。
一番の大通りに並び広げられた屋台の数々は早朝から仕込みを始めていた。小さくも陽気な盛り上がりはその時分から滲んでいて、祭りの始まりを今か今かと待っているはずの人々の高揚は、まるで弾ける寸前の蕾のように首都の空気を奮わせていた。
そんな中にいて、心が浮き立たない訳がない。
それでなくてもコンフリーはこう見えて実はお祭り好きだ。普段こそ小さいとはいえ一店舗の店主らしい立ち居振る舞いだが、春祭りの仕込みをしていた時の楽しそうな顔と言ったら。スイランは浮かんできた笑みを、にこやかと言って差し支えない程度で押さえ込んだ。ここ最近で何度目になるだろうか。
「ラン、どうかしたか?」
「いいえ、これといっては何も?」
客商売をしているだけあってやはり目敏い。常なら何かを不審がられたかもしれないが、春祭りで首都中が陽気に包まれているのだからさほど不自然には映らなかったようだ。コンフリーもスイランもそれぞれに屋台の隣近所と挨拶を交わしつつ、道行く人々へ笑顔を向けつつ、祭りの始まりは春の訪れのようにゆっくりとやって来た。
* * *
「ラン、休憩行って来いよ。今くらいなら俺一人で回せる」
「大丈夫ですか?」
「というか今を逃したら次の一息があるか怪しいぞ。ついでに俺の分の軽食でも調達してくれると助かる」
「分かりました。適当に見繕って来ますね」
心待ちにされていた春祭りは天候にも恵まれて盛況だ。当然目玉である屋台の列にも客足は途絶えない。当然繁盛しないよりはずっと嬉しい状況だが、忙しないやりくりを二人で回さなければならないのはなかなかに骨が折れた。これは周りのどの屋台も概ね似たり寄ったりの事態だ。
ああ、少し昔を思い出すな―――と思いながらマトリカリアの持ち場を離れようとした時だった。
「スイラン?」
陽気な喧噪と雑踏の中でも、何故だか不思議と鮮明に聞き取ることができた。その声がぐっと引き寄せたように蘇る、どこか懐かしい感覚。
振り返った先にあった表情に一瞬で笑顔が広がって、駆け寄って来た姿を待ち受ける自分の顔にも笑顔が浮かぶのが分かった。
きゃあっと少女のような声を上げた同い年の女性は、忘れもしない。
「スイラン! 久しぶり! 卒業以来だから二年振り以上?」
「そうですね、こんなところで会えるなんて思っていませんでした! 元気そうですね!」
「スイランもねー! ああもう本当に久しぶり!」
「どうして首都に?」
「仕事よ仕事。それと、時期も良かったからお祭りもちょっとね」
「知っていたら案内したのに……」
「だって首都にいるなんて知らなかったもの。……って、あら? スイラン、ひょっとして……出店?」
「ああはい、実は。普段はカフェなんですけど、お祭りに出張です」
一頻り再会に沸き立った彼女はそこでスイランの格好に気が付いたらしい。普段通りのカフェの仕事服、どう見ても祭りに繰り出す側の服装ではない。
スイランはと言えば、そこでようやく置き去りにした店主の存在に思い至った。出張屋台から一歩離れようとした地点で降って湧いた再会だ、コンフリーは一部始終つぶさに目の当たりにしていたに違いない。
くるりと振り返った先のコンフリーはと言えば、既に彼女に向けた初対面用の笑顔を用意していた。
「紹介しますね、親戚のコンフリーです。今は私の雇い主」
それで、と今度はコンフリーに彼女を紹介しようとしたまさにその時、あっと彼女が弾んだ声で遮った。
「ひょっとして何度か話してた従兄弟のお兄さん!?」
従兄弟? とコンフリーが内心で首を傾げたのが直感で分かってしまうのは、付き合いの長さが成し得る業だ。スイランは間髪入れずに素早く「説明が面倒で従兄弟って言っていたんです!」と耳打ちをした。
ああなるほど、と物分かりの良さそうな反応があってほっとした、のも束の間だった。
「初めまして、スイランの甥のコンフリーです」
あっ! と不満が滲んだ声を上げたが後の祭りである。省いていた説明を敢えて笑顔で混ぜっ返したのは、確実に面白がっている。
「えっ、甥……? でもスイランより……?」
「ええ、私の方が年上です。世間一般的ではないですけれどね。ざっくり言うなら、私から見て『母の妹』ですよ」
ああなるほど、と彼女が概ね納得の表情を見せた。このやり取りを逐一するのが億劫で体良く取り繕っていたのに。事実が明るみに出たら、それはそれで何かと小さく厄介だ。主に彼女にとっては愉快な方向に。
「ラン、久しぶりならしばらくお話して来たらどうだ。そろそろ休憩だったんだし」
「あっ、やだ私ったらこの忙しい時に! すみません、お気になさらないで下さい。すぐに失礼しますから」
「それじゃあ、もし首都にもうしばらく居るんだったらまた会えませんか? 時間、合わせますから」
祭りの後のこの日なら、と約束を取り付ける。首都に慣れていないはずの彼女にも分かりやすいはずの、分かりやすい場所を待ち合わせに選んで。
またこの日に、と約束ができることが嬉しいだなんて、昔はこれほども思わなかったのに。
去り際の彼女に、「もしよろしければこちらもどうぞ」と絶妙の間合いでコンフリーが差し出したのは、マトリカリアの店舗を載せた小さなカードだ。祭りに乗じて少しでも宣伝になれば、と用意したものである。
「……もう、あんなの渡したら絶対うちに行きたいって言うじゃないですか、彼女」
後ろ姿を雑踏の向こうに見送ってから滲んだ不満の声に、コンフリーはにこやかな笑顔を欠片も崩さなかった。
「そりゃ、ご厚意にしてくれるかもしれないお客さんには的確に宣伝しておかないとな」
「私の身にもなって下さいよぅ……。働いてるお店に、わざわざお客として行くんですよ?」
「たまにはいいんじゃないか、そういう経営研究も」
「オフなのか仕事なのか分かりません……」
少し大袈裟に言って見せて、横で苦笑した気配を感じて、拗ねるのはそこで打ち止めにする。
スイランが彼女と話していた間にも、片手間でぽつぽつとやって来る客を捌いていたコンフリーの手腕は見事だ。穴にしてしまった部分くらいは取り返してみせないと、マトリカリア接客担当の自負が泣く。
まずは駆け出しに行きかけだった買い出しへ。少しくらいは祭りの客側の気分を味わいたい。
踏み出した春祭りの雑踏につられて、気分も一緒に暖かく弾んだ。