奄美のリアル事件簿 『ヴィジョン(2) 肉林王な社長』
酒池肉林という言葉を御存じだと思う。紀元前一〇〇〇年ごろ、中国殷王朝最後の天子紂王は、愛妃である妲己を喜ばせるため、日夜豪華なパーティーを宮殿で繰り広げていた。膨大な酒と肉が招待者に振る舞われた。出される酒は半端なものではなく、まるで海になるほどの量だった。子豚の丸焼きである肉は積見上げられて木のようなり、いくつも建ち並ぶと林みたいになった。ショータイムでは、男女ストリパーが奇声をあげて本番をやらかす。その実、国庫の財政は空になってゆく。殷の官吏たちはパーティー費用を捻出するため、国民から厳しく税金を取り立ててゆく。そのうち辺境の周公を中心とした諸侯たちが反乱を起こし殷王朝は滅亡した。
私・奄美の半生で出会った中から、もっとも最悪な人物を挙げろといったら、あの男しかいない。
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民間遺跡調査機関アーク社は、最初、木造二階建ての社屋だった。玄関横に総務部があり、経理部長と数人の女性職員が机を並べていた。ぎしぎし音がする階段を登ったところに会議室がある。横には、整理部屋があり、中間管理職クラスの調査員が報告書を作成していた。土器の水洗い、接合、注記。撮影やら計測やら、パートさんたちが、まめまめしく動いている。
アーク社に入社するとき、面接のあとに新人研修というのがあった。規則だのメリットだの、飾り立てたプロパガンダが続く。
社長は近藤欽一といった。中背から小柄になる丈、肥っているというよりは猪を連想するような体型だ。学生のように肩まで伸ばした髪は白くなっている。
履歴書には慶応大学中退としている。実をいえば高卒で、そこへ行ったのは弟さんとのことだ。父親の代に養豚で財をなしたらしい。もしかしたら空港建設のため国に土地を売った資金で、会社設立資金をつくったのかもしれない。丁寧な物腰をしたかと思えば、急に高飛車な態度になる、ぎらぎらした目をした中年の男だった。
「史学科出なんだってね。じゃあ、正職として採用しますよ」
(やった!)と思いきや、話が終わって部屋を出ようとすると、
「やっぱり、嘱託からやってくださいよ」ということになった。
入社して面接を受け最初に派遣されたところが北陸だった。羽田から飛行機でゆく。バブル期であり、調査をしていたところはゴルフ場だった。収益三億円のプロジェクトだ。 途中、先輩職員五名が増援できた。会社は複数ある生産施設に、調査員・作業員からなるチームをぶちこんで、一気にやっつけようというのだ。新人の私は、先輩である主任調査員・水野氏が受け持つ地区の調査を手伝っていた。写真を撮っていると、別な地区の担当者が、やってきた。噂好きな上司・羽柴氏である。
「パートの××さんが、たまたま、経理部に用があって入ったんだって。すると近藤社長が▲▲さんとキスしていたんだと。もう、やんなっちゃうっていってたぜ」
水野先輩は噂話をきき流していた。羽柴氏の辛辣な言葉に、作業員さんたちは、へきへき、とした様子だった。
人の話というのはとかく尾ひれはひれがつくものだ。しかし火のないところに煙は立たないという言葉もある。
嘱託入社の翌年、正職員昇格試験で本社に戻る。社屋は鉄筋ビルになっていた。愛人が訪ねてきた。身長百七十を超えるモデルのような若い女性である。面接をした社長の友人と、ゴムマリでキャッチボールをやり始めた。このとき社長は露骨に不快感を示していたのだが、そういう反応をみせたのは一度だけだ。
同年、忘年会の後、社長が出資したスナックにゆく。年老いた愛人に持たせた店だ。私の横にツンツンした美女がやってきて相手をした。酒がまずくなる。
マダムがいった。
「社長とアレな仲なのよ」
数年後、東北の大きな遺跡にゆくと、二十代前半の娘さんが訪ねてきた。
「俺の彼女なんだ」近藤社長は紹介した。
鮮魚をウリにした居酒屋があり、職員関係者が呼ばれた。社長に招かれて飲む酒ほどまずいものはない。この時期の近藤社長は愛人をみせびらかすことに終始していたのだが、気前がいいところもあって、料亭に多数のコンパニオンを呼びつけ男子職員一人の横に侍らせて酌をさせることもあった。まさに世はバブル。しかしわが給与は十五万円……酌婦侍らすより金をくれ。
噂によれば、社長は総務部の女性職員すべてに手をつけ、愛人数人を孕ませマンションに住まわせ、第二第三家庭を築いていたとのことだ。また関連下請け会社の社長田中氏に、愛人の一人を夫人としてお裾分けしてもいたとのことだ。田中氏は、この夫人から三千万円を持ち逃げされ、会社を畳んだ。
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紀元前二五〇年ごろの中国は戦国時代の末期、趙の国の王族に平原君という人物がいる。自前で傭兵部隊を組織し、そこから逸材を発掘した。傭兵は食客と呼ばれ、平原君は千人を擁していたという。
平原君の愛妾が、老いた食客をみて急に笑い転げた。びっこをひいていたからだ。食客は憤慨して、「妾を殺して私に下さい」といった。
平原君は、「判った、判った」というばかりで実行に移さない。そればかりか陰で、「一介の傭兵の分際で何をいうのだ」と鼻で笑ったのだ。これを訊いた他の食客たちは、平原君の臣下を辞めて他国に去りだし、千人もいたのが半分になってしまった。平原君は慌てて妾の首をとり、びっこの食客のところに持って行き詫びた。すると辞めた連中が戻ってきた。
恐らく足の不自由な老食客は、平原君のために幾度も戦場を駆け抜け、ついには名誉の負傷をした勇敢な戦士なのだろう。まともな国家なら身体を張った負傷兵に対し、敬意を払う。それにこういう食客には落ちぶれてはいるものの貴族が含まれている。彼は貴族に違いない。
愛妾はどうだ。どこぞの貧民の親が金に困って売りとばした無教養な女奴隷の娘ではないか。売りとばされた先が王族の領主だったものだから、自分が領主になった気になり、図に乗って怪我をした国家功労者をコケにしたのだ。老食客が怒り、自分もそんな目に遭ったら堪らないと考えたその他大勢の食客が職を辞したのは当然のことである。
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創立三十年にしてアーク社が破産する間際の近藤社長の狂奔ぶりは輪をかけて異常だった。
元銀行マンの経理部長補佐が、職員給与を振り分けた封筒をテーブルの上に置いた。手洗いにゆくため席を外すと、その金が消えている。各マンションに住む愛人たちに配ったようだ。彼女たちの生活費入金が遅れると、会社に電話がかかってくる。
資金繰りが悪く銀行から融資してもらえなくなり、職員多数から借金をしだした。多い人は数千万円。とろいという理由で正職員から嘱託職員に落とされた横沢君など百万円の無心をされた。驚くことなかれ、彼が、なけなしの万札封筒を社長に渡すと、そこから五十万円を引き抜き、「さあ、飲みにゆこう!」といったそうだ。
私も何度か社長の宴に誘われたものだが、社長の下心がみえみえだし、給与遅配という事態が恒常化しているときに、何をいっているのだと内心憤慨した。職員が続々辞表をだしてゆく。私もそれに倣ったのはいうまでもない。
辞表提出後、一か月後にアークは破産する。
近藤社長が宴会費用として、会社から持ち出した金は年間二億円以上だったという。バブル時にかき集めた美術品を、愛人マンションに隠したようにみせかけ実家に隠すというトリックを用い、追及に来た弁護士管財人を煙に巻いた。また彼には、いくつかの子会社があり、一つを子息に渡して姿を消している。債権者への未払い額は数十億だと訊く。関係者の噂によると、最近、彼は恵比寿講で露店をだしているのをみかけたとのことだ。
亡国の君主はわが身を恥じて自決するもの。詐欺師は面の皮が厚いものだ。
了




