奄美のリアル事件簿 『殺人犯への助言』
祖父・勝太郎は戦後直後に亡くなったとの話で、私は一緒に過ごしたことがない。周囲から話を訊くところによると、旧制中学校教諭で、従軍経験から軍事教練の教官となり、プライベートでは家の前で毎朝、近所にいた青少年に剣道を教えていたとのことだ。地方議会の議員に立候補しようという野心があったらしく、裏世界の住人にも顔が効いて、地元の親分・竜神組の御堂さんとかが、飲みにくることもあったとのことだ。現在ではスキャンダルだが、当時は任侠との付き合いも政治家の嗜みの一つだったのだ。
祖母から訊いた祖父の武勇伝は二件ある。
第一の武勇伝だ。通称山賊峠と呼ばれる追剥の名所があり、そこで、追剥二人が待ち構えていた。そこで、祖父は、棒を手にして対峙。やがて、「うちに茶でも飲みに来いよ」と声をかける。威圧されたのか、毒気を抜かれたのか、追剥どもは家まできて茶を飲んで帰ったとのことだ。
第二の武勇伝だ。家に泥棒が入り、父と一緒に取り押さえ、説教してから逃がしてやった。祖母にいわせれば、「握り飯をくれてやってから逃がせば良かったのに」とのことだ。祖父母ともども、昔日の人は、ピントがずれてて面白い。
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当時、実家のある福島県いわき地方は、炭鉱都市群で、活気があるぶん、血の気の多い連中がわんさかいた。ある夜更け、祖父が、地元の名士だか任侠の方を招いて酒を酌み交わしていると、突然、顔見知りのお兄さん・安田さんが戸口を、がらっ、と開けて土間に入ってきた。
「勝太郎さん。俺、人を刺し殺しちまった……」
服が血まみれだ。
祖父はぐい飲みを膳に置いて、「ともかく死体をその場から移せ」と助言する。
安田さんは喧嘩早い。川原で匕首を振り回す格闘となり、相手を刺殺してしまったのだ。 祖父の助言に従って、遺体をそこから二キロ離れた使われなくなった防空壕に運び込んで隠した。場所は炭鉱住宅が近くにある線路ばたで、砂岩が露出した崖を掘り込んだ奥行十メートル弱の横坑。下を石炭運搬用のレールが敷いてあり、それに沿った砂利道が走っている。遺体が酷い腐臭を放つようになってから、近所の住人が警察に通報し事件となったが、けっきょく、迷宮入りになったようだ。
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さて、問題となるのが安田さんの遺体の運搬方法である。このあたりの事情は祖母も訊いていない。
自動車が普及していない時代である。密室で殺害し、他の場所に捨てる場合、男性遺体五十キロ強を二キロ先まで負ぶって捨てに行くのは、深夜とはいえ無理なことだ。重たいし、炭鉱長屋を突っ切っていかねばならない。
現代の類例では、風呂場で遺体を解体し、少しずつ運び出してゆくのが定番だ。しかし、夜更けから未明にかけて、懐中電灯で明かりをつけて解体作業を行い、捨てに行くのはいくらなんでも時間がかかり過ぎるし、朝が早い納豆売りとか豆腐売りといった行商の人の目に就くリスクも考えなくてはならない。
私は安田さんの遺体遺棄の方法についてこう考える。
深夜未明、安田さんは一度家に帰って着替と荷車を持ってくる。遺体は解体せず、荷車に乗せる。意外と人目が少ない住宅地に近くの線路脇防空壕に死体を運び込んだ。そこで着替える。明け方、行商人が行き交う通りを、平然と、彼らに混じって抜け、帰宅する……。
どうだろう。
了




