奄美のリアル事件簿 『拳銃発砲事件の巻き添え』
間が悪いというのはこのことだ。日曜日、家内と食事に、前橋市アーケード街にある洋食屋・市にでかけたときだ。国道一二五号線からそこに曲がるところに、前橋テルサ・ビルがある。進入したところが辻になっていて派出所があった。
「すいません。ここは時間指定通行止め路線なんですよ。ご足労ですが、中に来てもらえませんか?」
中年の痩せた巡査で、制服警官だった。こういうときは、逆らわないほうがいい。悪意でないミスであれば許してくれる。少なくとも、当時住んでいた高崎警察署では……。ところがだ。派出所に入った途端に、巡査の態度ががらりと変わった。
「おまえには、黙秘権と弁護士を立ち会わせる権利がある。なんで入って来たんだ?」
「ここって進入禁止だったんですか?」
「気付かなかった? 嘘つけ! 進入口に、どでかい看板があっただろう? なあ、気持ちはわかるけどさ」
あ、この警官、誘導尋問している。刑法ではなく、憲法で禁止しているんだけれどね。
「はい、この書類にサインして。違反だけど点数は減点にならない。その免許なら次は五年だな」
警官にいわれるまま署名した。
文面。「ボクは、時間制進入禁止の道路に、いけないと思ったんだけれどめんどくさいから、ワザと入ってきちゃったんです。次からは気を付けます。猛烈反省です。ごめんなさい、ごめんなさい」奄美、捺印。
私は、翌日に罰金を郵便局で払い、半月後に前橋運転免許センターで青の五年免許を渡されることになるのだが、この一回であれだけ真面目にルールを守ってきたというのに、憧れのゴールド免許の夢も台無しだ。ボーナス欲しさの点数稼ぎかい、おまわりさん? 今後、何があっても、おたくの所轄、前橋警察には協力しないよ。そう固く心に刻み込む。
実は私が捕まった翌日に大捕り物があった。一か月前に、私が交通違反で捕まった場所付近のバーにいた客数人を暴力団の刺客が、敵対暴力団の組長・取り巻きと間違えて拳銃発砲して射殺したのだ。警察側は一度容疑者を捕えるのだが、すぐに釈放して泳がせた。私の派出所での取り調べはまさにその直前で、巡査もピリピリしていたというわけだ。後ろで事務をやっていた若い婦人警官もぎこちない動きをしていた。
調書のあと、巡査がいった。「これからどちらにおでかけです?」
「気分が悪くなりました。帰りますよ」
まこと白々しい。帰りに標識をみにいったが、小さいのか、目立ちにくく、どこにあるのか判らない。
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一か月後のことだ。私が前に勤めていた会社の営業所は前橋郊外にあり、そこで、遺跡調査報告書原稿を作っていた。倉庫を利用した建物だ。近隣は広大な造成地で、猛烈な勢いで住宅が建てられていた。施主である大手工務店のプレハブ営業所があり、出入りの下請け業者が頻繁に行き交っている。休日の夕方、私は会社に忘れ物があって取りにきた。すると、一台の軽トラックが会社前の路上に停まっていて、運転席から、頭をタオルで覆った職人風の男が顔をだした。
「いやあ。ちょっとおたくの会社の前に停めさせてもらいました。あのお、前橋市役所はどちらでしょうね。このあたりの地の利に疎いもんでしてね。えへへ」
トラックの荷台にはアルミサッシが載っていた。
公道だし、会社の駐車場からの出口を塞いでいるわけじゃない。なんで、この人、咎めてもいないのに言い訳をするんだ。それに日曜日、しかも夜に、市役所なんて開いているわけないだろ。
そんなふうに、思いつつ、男を適当にあしらって営業所の鍵を閉め、自分の車に乗った。
翌日だ。前橋警察署の制服警官が訊き込みにきた。みたところ停年に近いベテランという感じで礼儀正しいし愛想もいい。しかし、例の派出所の巡査に対する怒りはまだ冷めていなかった。パートさんたちが玄関にでて、相手をしていたのだが、奥の事務所にいた私は知らんぷりを決め込んだ。
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数年後、私は新潟に出張した。事件を現地スタッフの連中に話したところ、誰もが首をひねって、変わり者扱いした。憮然とした私は答えた。
「なんで警官にいわなかったかって? 単純ですよ。恨みのある前橋警察署に協力するのが嫌だったというのはもちろんですが、ほかに理由があります。犯人である職人の罪は軽い。逮捕されても弁護士を雇って保釈金を払えば刑務所なんかに入らずとも済むでしょうよ。けれど、これから、各工務店は、あの職人を雇わなくなる。私が職人の顔を目撃したように、職人も私の顔をみている。勤め先でね。食い詰めた職人が、腹いせに、私を闇討ちしないって保障はありますか? 警察がいつまでも私を警護してくれるほど暇でしょうかね?」
了
ノート20130403




